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「アクチュアリテ 政治」山口昌子

ウエルベックの新作は何を意味するか

 異色の近未来小説家ミシェル・ウエルベック(61) が新年早々に発表したSérotonin(「セロトニン」)が例によって出版界だけではなく、政治的・社会的現象として話題を呼んでいる。初版9万部は発売とほぼ同時に完売し、5万部を増刷した。

 セロトニンは脳内で働く神経伝達物質の1つ。感情や気分をコントロールし、精神の安定に深く関わるとされ、セロトニンが不足すると脳の機能低下を招き、心のバランスを失い、ストレス障害やうつ病の要因になるという。つまり現代人に最も必要な物質というわけだ。

 小説「セロトニン」の主人公は46歳の農業技官。同性愛者を軽蔑し、過去に多数の愛人がおり、愛車は排気ガスをまき散らす四輪駆動のディーゼル車。「男はみんな、若くて新鮮な女性が好物」とうそぶく反現代的男性だ。ウエルベックも農業技官の資格があるが、主人公との共通点はこれだけだ。

 前作『服従』では、「2022年にイスラム教徒が(極右政党党首の)マリーヌ・ルペンを破って仏大統領になる」という衝撃的な内容に加え、発売日の2015年1月7日に、風刺週刊紙「シャルリ・エブド」と「ユダヤ系食品ストア」への同時テロが発生。同紙の編集会議に偶然出席していたウエルベックの友人のエコノミストも犠牲になった。

 しかも、同紙の一面は、ウエルベックを皮肉る記事をイラスト入りで掲載していた。ウエルベックは過去にも度々、イスラム教徒を批判してきたこともあり、警察の保護下に置かれ、しばらく消息を絶った。

 『服従』はイスラム教やテロの背景への理解の助けになるとして、60万部の大ベストセラーになった。

 ウエルベックが久しぶりにメディアに登場したのは昨秋、若い中国人女性と3度目の結婚を果たし、その幸せいっぱいの写真が主要週刊誌「パリ・マッチ」に掲載されたからだ。新作の宣伝には、この結婚式の写真を利用するなど、あいかわらず人を食ったやり方も話題を呼んでいる。

 フランスは昨年来の「黄色いベスト」のデモが新年に入ってますます過激になり、デモ隊、警官隊の双方の負傷者も増加。一方、マクロン大統領は新年に入って仏全土で「大論争」を展開。低支持率も上向き中だが、5月の欧州議会選挙(比例代表制)で勝利できるかは不明だ。フランス全体に「セロトニン」が不足しているようにみえる。反ヒーローのウエルベックの主人公が、ヒーローのイメージにがんじがらめに縛られているフランス人全体のカンフル剤の役目を果たすのかもしれない。

◇初出=『ふらんす』2019年4月号

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著者略歴

  1. 山口昌子(やまぐち・しょうこ)

    産經新聞前パリ支局長。著書『フランス流テロとの戦い方』『パリの福澤諭吉』

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