中央集権国家フランスの権力の象徴「ENA」の運命
ノートルダム大聖堂の尖塔が焼失した日、高級官僚養成所・国立行政院(ENA)も消滅するはずだった。あの日、マクロン大統領は「黄色いベスト」運動などの国民の不平・不満に対し、午後8時からのラジオ・テレビ演説で返答を発表する予定だったが、大聖堂炎上の衝撃ニュースによって急遽中止した。
その回答の1つが、「社会格差」の元凶ともいうべきENAの廃校だった。「権力の苗場」とも呼ばれるENAは、中央集権国家フランスの権力の象徴だ。出身者「エナルクÉnarque」は政財官界のトップとしてフランスを牛耳ってきた。
1958年の第五共和政誕生以来、大統領はジスカールデスタン、シラク、オランド、マクロンで4人目。首相はシラク、ジュペ、ジョスパンなど9名を輩出した。現政府もフィリップ首相、パルリ軍事相、ルメール経済相がエナルクだ。
毎年、80人から100人が難関の選抜試験に合格して入学すると、月給1684ユーロが支給される(’16年度)。全産業スライド制最低賃金の1498ユーロ(35時間労働、’18年度)より多い。
エナルクたちには下々のことはわからない、というのが「黄色いベスト」らの主張だ。ただ、1945年に臨時政府のドゴール首相がENAを創立した当時は、権力の座にアグラをかいている従来型のエリートを排除することが目的だった。ドゴールは、第二次世界大戦でフランスがあっけなく敗退しナチの占領を許したのは、エリートたる高級官僚にフランス共和国の理念「自由、平等、博愛」を死守する気概がなく、保身や省庁の利益を優先し、理念とは正反対のヒトラーの全体主義、人種差別、反人道主義に屈したからだと分析。官僚の社会的階級からの独立、政治からの独立などを規定した。ENAを踏み台にして政界・財界への転身を図るなど、もってのほかだった。
ENA設立の政令に署名したのはモーリス・トレーズ公共相(共産党書記長)だ。親代々の炭鉱労働者階級だ。この1点だけでも、創立の精神が現在のENAとは正反対だったことがわかる。
ENA創立前の世代のミッテランは大統領時代、地方出身者が入学しやすいようにとENAの校舎をパリから仏東部ストラスブールに移転させた。富裕層のパリっ子が多く、口先三寸的なエナルクにウンザリしていたからとか。
ENAの弊害が指摘されて久しいが、その廃止には反対者も多い。最近は労働者階級や農業、小売り業界の出身者も多く、地方出身者が57パーセントという統計もある。もっともノートルダム大聖堂炎上と異なり、ENA消滅に涙する国民は少なそうだ。
◇初出=『ふらんす』2019年6月号