パリの地下鉄名になったシモーヌ・ヴェイユ
厚生相や欧州議会議長を歴任したシモーヌ・ヴェイユ(1927~2017)の没後1周年を迎え、7月1日には国の偉人を合祀するパンテオン(万神殿)入りの式典が行われたほか、パリの地下鉄駅の命名や記念硬貨発売など、改めてその政治家としての功績が称えられている。
「女性の権利と欧州再建のために闘ったアイコンを、この広場と地下鉄の名にすることは光栄だ」。こう宣言したのはイル・ド・フランス地方議会議長のヴァレリー・ぺクレルだ。6月1日からパリ3号線の地下鉄名「ヨーロッパ」は「ヨーロッパ=シモーヌ・ヴェイユ」に改名され、近くの広場も同時に改名された。
式典にはぺクレルのほか、パリ市長のアンヌ・イダルゴとパリ交通公団総裁のカトリーヌ・ギルーと、偶然にも女性トップ3名が並んだ。ぺクレルが右派政党・共和党所属ならイダルゴは社会党だが、党派を超えてヴェイユに対する敬愛の念では一致だ。とくに厚生相時代に発効した中絶解禁法(1975)は、女性解放のために革命的な足跡を遺した。富裕階級はスイスなどで手術を受けていたが、貧困層は闇手術などで年間約300人が命を落としていたからだ。
「赤子を殺す法案」と与党議員さえ反対するなか、三日三晩の徹夜審議の末に法案を可決させたのは、彼女の発した「悲嘆」という言葉だった。子どもを含む約600万人が虐殺されたアウシュヴィッツ強制収容所からの生還者のみが持つ言葉の重みに、反対者も沈黙せざるを得なかった。彼女の両親と兄も収容所の犠牲者だ。
かつての“敵国ドイツ”とともに、欧州統合を目指し、欧州議会議員(79-93)として、そして初の女性議長(79-82)として活躍した。検事としての経験も、統合の「人権分野」で大いに役立てた。
「ユーロはヨーロッパだ。彼女はヨーロッパそのものだ」とは記念硬貨発行を決めたパリ造幣局のオレリアン・ルソー局長の弁だ。2ユーロの記念硬貨の裏側には、トレードマークのアップにしたヘアスタイルの彼女の肖像画が掘られており、この7月に1500万個が発売された。
マクロン大統領は昨年6月30日のヴェイユ死去の際、「フランスは最も偉大な人物の1人を失った」と述べ、収容所での過酷な生活や難問だった中絶解禁問題と果敢に戦った「不屈の勇気」を称賛し、アンヴァリッド(廃兵院)での国葬や、マリ・キュリーらに続いて女性として5人目のパンテオン入りを決めた。7月1日のパンテオン入りの式典では、政治家、そして欧州主義者としての先輩であるヴェイユへの尊敬の念を吐露し、国民に彼女の遺訓の重要性を想起させた。
◇初出=『ふらんす』2018年8月号