2017年8月号 本物のファースト・レディ登場
本物のファースト・レディ登場
ブリジット・マクロン新大統領夫人の登場によって、久しぶりに本物の〈ファースト・レディ〉がエリゼ宮(仏大統領府)で執務に就くことになった。
シラク大統領時代に、結婚写真が飾ってあったベルナデット夫人の執務室で、でんと構えた夫人にインタビューをしたことがあったが、サルコジ大統領時代はファースト・レディの不在時期が長かった。セシリア夫人が離婚して去り、再婚した元スーパーモデルでミュージシャンのカーラ夫人は音楽の仕事が忙しく、出産もしたので、留守が多かった。
オランド大統領時代は、お相手のヴァレリー・トリルヴェレール夫人が〈同居人〉の身分のうえ、本職が週刊誌「パリ・マッチ」の記者。オランド氏と女優との密会が発覚後、エリゼ宮を去ったので、大統領の職務を助けて公務をこなすファースト・レディは、2 代続けて不在気味だった。
エリゼ宮にはファースト・レディ用の執務室がある。ブリジット夫人が使っているのもこの部屋だ。シダの葉とブルーが主体の室内装飾が施されているので、「シダの間」とか、「ブルーの間」と呼ばれている。
ブリジット夫人が初めて公衆の前に登場したのは、マクロン氏が経済相だった2015 年6 月2 日、フェリペ・スペイン王が主賓のエリゼ宮での晩餐会の時だ。列席した全閣僚の中で最年少のマクロン氏と腕を組んで現れた金髪で美脚の美女が、高校時代に仏語とラテン語の教師で24 歳年長の初恋の人。人妻で3 児の母だった教師は離婚し、マクロン氏が30 歳の時に結婚、などとメディアが書き立てた。マクロン氏は当時、「幸福でなければ良い仕事はできない」と述べ、愛情の重要性を指摘し、夫婦にとって年齢の差は問題外であることを強調した。
マクロン氏は大統領選のキャンペーン中も常に夫人と行動を共にし、当選が決まった時には躊躇する夫人を壇上に招いて勝利宣言を行うなど、服装から演説草稿の点検まで細心の注意を払った夫人の内助の功をアピールした。夫人の方は、「彼の小さな兵士」「彼のファンクラブの会長」を自称し、控え目な態度を貫いた。
ベルナデット夫人のためには21 人の職員が働いたが、ブリジット夫人は「5人で十分」と経費も切り詰めている。セシリア夫人は人事に口を出してサルコジ氏の側近に疎まれ、トリルヴェレール夫人は執務室で原稿を書いて批判されたが、ブリジット夫人は目下、国民の敬愛を獲得している。毎日殺到する手紙は平均200 通。カーラ夫人は平均50 通でトリルヴェレール夫人は10 ~ 20 通だった。
ファースト・レディとしての真価が問われるのはこれからだ。
◇初出=『ふらんす』2017年8月号