ノートルダム寺院の火災
ノートルダム大聖堂火災前・火災後
4月15日19時頃に発生したノートルダム寺院の火災は、夜のテレビ・ニュース時間帯であったため速報で報じられた後、即座に現場からの中継に切り替えられた。一体どれだけのフランス人が凍り付いただろう。私も驚くというより、「どうしよう」という訳のわからない感情に襲われた。そして、大統領と首相が現場に向かっていると伝えられ、国の一大事であることを認識した。
翌日早朝に鎮火するまで、テレビの実況は続けられた。異例のことである。尖塔が崩れ落ちたときに涙した人の数は、はかり知れない。そして、このまま寺院全体が崩壊するのではないかと表情を失った人々が映し出された。
聖母マリア(Notre Dame)をおまつりするこの寺院は、12世紀に建築が始まり、200年かけて完成した他に類を見ない立派なゴシック建築様式の大聖堂である。前から見ても、横から見ても、後ろから見ても美しい。セーヌ川の中州にあり、パリのど真ん中に位置する。「パリからの距離」を示す起点point zéro も寺院の前にある。
少し悲しい歴史もある。フランス革命では、略奪と破壊に見舞われ、廃墟と化した。倉庫代わりに使われ、この時も老朽化による倒壊が危惧されたようだ。しかし、その後ナポレオンの戴冠式が執り行われ、さらにヴィクトル・ユゴーの名著『パリのノートルダム』Notre-Dame de Paris の発表により修復工事が始められたのである。
そして、2013年に着工850年を期して改修が始められ、まずは鐘楼の鐘が鋳造し直された。火災の1週間前には、90メートルの尖塔を取り囲む彫像16体がクレーンで降ろされた。この釣り降ろし作業は、驚くような映像として報道されたばかりだったので、フランス国民の多くが修復作業中であることを知ることとなっていた。
寺院の火災には、世界中からメッセージが寄せられた。日本からも上皇陛下からお悔やみと励ましのメッセージが送られた。マクロン大統領は、パリ・オリンピックを見据えて「2024年までの5年間で修復する」と発表した。そして、フランスを代表する大企業や世界的企業が寄付を表明し、わずか数日で約1300万ユーロ(約16億円)が集まった。生活苦を表明する黄色いベスト運動参加者たちは、「国民の生活より、建物の修復の方が大事なのか」と息巻いていたが、この件はここでは置いておこう。
ノートルダムの火災は、心の痛むものだった。他の歴史的建造物の損傷とは異なると感じた。それは、皆が少なからずノートルダム寺院へ畏怖の念を抱いているためであろう。
◇初出=『ふらんす』2019年7月号