パリの下にもうひとつあるパリ…パリの下水道を知る
下水道博物館の展示室は地下3mに位置し、空気は少しひんやり。実際の下水に近づくため、独特の匂いがある。
中世から手つかずの入り組んだ細い道のせいで風通しが悪く、道路の中央の凹みに垂れ流された汚水がそのままセーヌ川に流れていたパリではたびたび伝染病が流行し、1832、1849年にはコレラが流行して多くの犠牲者を出しました。都市衛生の改善を叫ぶ医師や科学者たちが増え、セーヌ県知事ジョルジュ・オスマンが指揮した大規模な都市整備に繋がり、下水道のネットワークもその一環で大きく発展しました。このとき、責任者として現在まで使われるパリの近代的な下水道を完成させたのがウジェーヌ・ベルグランという人物です。
1848年には96kmしかなかったパリの下水道の全長は現在2,600kmにも及び、飲料水や電気、光ファイバーなど、他のパイプや回路も通っています。地上の通りごとに下水道が置かれ、通り名のプレートもついているので、まるで地下にもう1つのパリの町があるかのようです。普段は見ることができない、この隠された第2の町には、パリに住む人々や芸術家たちの想像力をかき立てるものがあったのでしょう。フランスの文豪ヴィクトル・ユーゴーもその1人です。『レ・ミゼラブル』ではジャン・バルジャンが下水道に逃げ込むシーンが有名ですが、それに留まらず、この小説の中の「巨獣のはらわた」という1章がパリの下水道の歴史に割かれたほどでした。1867年のパリ万博でアトラクションの1つとして下水道見学ツアーが開催されたのを皮切りに、一般公開は続き、1975年には、セーヌ川にかかるアルマ橋のふもとに下水道博物館が開館。実際に稼働するポンプ場を見学しながら、パリの都市としての発展にも貢献した下水道の歴史や、処理の仕組みなどを学べる興味深いスポットで、2021年にリニューアルオープンしました。
昨年のパリ五輪で、トライアスロンやオープンウォータースイミングの会場となったセーヌ川の水質の問題が話題になり、直前までセーヌ川で実施できるかどうかハラハラしました。これは、パリの下水システムがベルグランの時代から変わらない合流式(フランス語でTout à l’égout=すべて下水へと呼ぶ)であることが大きな理由となっています。雨水と生活排水が同じ管を通る合流式は、大雨が降ると処理しきれなくなった汚水がセーヌ川に流出することがあるためです。