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「アクチュアリテ 社会」桜井道子(トリコロル・パリ)

100年前のパリ・オリンピックに思いを馳せる


五輪&パラ五輪のコンセプトビジュアルに彩られたパリ市庁舎

 まだまだ先のこととばかり思っていた、パリでの第33回オリンピック開幕が間近に迫ってきました。楽しみな反面、期間中の安全対策や交通機関への影響など、不安要素も少なくありませんが、それは一旦脇に置いておいて、おそらくもう少しのどかだったであろう、今からちょうど100年前のパリ・オリンピックにタイムスリップしてみましょう。
 1900年の万博に合わせてパリで行われたものの、運営がうまくいかなかった第2回大会の後、「近代オリンピックの父」と呼ばれるクーベルタン男爵の、パリでもう一度開催したいという願いが叶ったのが、1924年の第8回大会でした。男爵はこの大会を最後に、国際オリンピック委員会の会長の座から引退します。
 1924年の1〜2月にシャモニーで初の冬季大会が開催されたため、この年のパリ五輪は「夏季オリンピック」と呼ばれる最初の大会となりました。7月5日に開会式が行われたメインスタジアム(4万人収容)は、パリ北西郊外の町、コロンブの陸上競技場でした。現在はイヴ・デュ・マノワールと名付けられているこのスタジアムは、100年の時を経て、今年のオリンピックでもフィールドホッケーの会場として使われ、2つの大会の歴史が刻まれる唯一の場所となります。
 合計44か国、3089人(うち男性2954人、女性135人)のアスリートたちが参加して、実施されたのは17競技、126種目。参加国はヨーロッパと北南米諸国が中心で、アジアは日本、フィリピン、そして当時英国領だったインドのみでした。日本からは19人の選手が4競技に参加し、レスリングの内藤克俊選手が銅メダルを獲得しました。
 1924年のパリ大会から始まり、その後のオリンピックに引き継がれていったものがいくつかあります。たとえば参加する選手たちの宿泊施設である選手村は、このとき初めて作られました。コロンブの競技場近くに木造の小屋が建てられ、敷地内に美容院や郵便局、新聞・雑誌販売のキオスク、洗濯屋などがありました。閉会式で、五輪の旗、開催国の旗、次の開催国の旗の3つを掲げる伝統も生まれました。また、無線通信の発達のおかげで、ラジオでの実況放送が始まったのもこの大会からでした。

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著者略歴

  1. 荻野雅代(おぎの・まさよ)(トリコロル・パリ)

    パリとフランスの情報サイト「トリコロル・パリ」を運営。著書『おしゃべりがはずむ フランスの魔法のフレーズ』

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