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「アクチュアリテ スポーツ」芦立一義

2017年12月号 古式テニス「バスクペロータ」とは?


©McDelbos FFPB

 パリを流れるセーヌ河、その西側ブーローニュの森の方からエッフェル塔に向かって川沿いを進むと、環状道路(ペリフェリック)を過ぎたところで左手に壁打ちテニスコートが見える。正確に言えば、テニスではなくバスクペロータpelote basque の競技場である。バスクペロータは、専用のグローブ、ラケット、あるいは素手で、壁に向かってボールを打ち合うスポーツで、スカッシュと少し似ている。フランス革命の導火線とも言われる「テニスコート(球戯場)の誓い」も、実はテニスではなくジュ・ド・ポームjeu de paume というスポーツのことであるというのはどの事典にも説明があるが、バスクペロータの起源はこのジュ・ド・ポームだと言われている。いずれも古い歴史を持つフランスの伝統的スポーツだが、ペタンクとは違い実際に競技しているところを見たことがある人は少ないだろう。

 バスクペロータは、1900年に開催された第2回オリンピックでは正式種目であったが、出場国はスペインとフランスの2か国だけで、それぞれ金、銀メダルを獲得した(当然銅メダルは該当なし)。その後は1924年、1968年、1992年に公開競技になっており、1924年のパリ大会では、冒頭で書いたパリ市内の競技場Fronton Chiquito de Cambo で競技が行われている。このチキート・デ・カンボというのは、19世紀末にバスクペロータの人気が最盛期であったころの伝説的なバスクペロータ選手、ジョゼフ・アペステギJosephe Apesteguy のもつ異名である。 « chiquito » は「小さい」という意味だが、1メートル95センチ、90キロの体軀は小柄どころではない。彼は17歳の時に世界チャンピオンになっており、そのため親しみを込めた「カンボ(バスクの町の名前)生まれの小僧」くらいの意味だろうか。

 10月26日~31日には、フランス南西部のアングレ、バイヨンヌ、ビアリッツで、バスクペロータ(36m コート)のワールドカップ大会が行われた。出場国はヨーロッパからはバスク地方を領するフランスとスペインだけで、その他はバスク移民の影響で南北アメリカ勢が多くを占めた。

 競技場Fronton Chiquito de Cambo とその併設レストランAu Trinquet では、毎年6月に「パリ-バスク」というお祭りが行われる。もともとバスクペロータは、お祭りの時の催しであったが、このパリのバスク祭でもバスク料理を楽しみながらバスクペロータをはじめさまざまな催しが用意されている。

◇初出=『ふらんす』2017年12月号

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著者略歴

  1. 芦立一義(あしだて・かずよし)

    パリ第12大学Master2(哲学)修了。仏哲学

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