白水社のwebマガジン

MENU

釣馨 + Ghislain MOUTON「Dessine-moi un mouton !」

第12回 バブルの効用

ひつじ 先回はクラピッシュの青春3部作映画の2作目『ロシアン・ドールズ』(2005年)を飛ばしてしまいましたね。今回はこの作品について話しましょう。

フレンチブルーム 私は『ロシアン・ドールズ』をユーロバブルの映画と呼んでいます。景気の良かったヨーロッパの空気を如実に反映しているからです。実際ユーロは発足してから上がり続け、2008年のリーマンショックの直前に対円で168円をつけました。当時、フランスに留学していた友人は生活費が割高になり、毎日スパゲティを食べていたと言っていました。

ひつじ 為替レートは旅行するときも重要な指標になりますね。人の動きに大きく影響します。ユーロが安いときはパリのバーゲンに外国人客が殺到します。バブルと言えば、映画の中でウェンディは父親がロンドンに買っておいてくれたフラットに住んでいて、「今じゃ高くて買えないわ」と不動産バブルをほのめかしています。当時パリでも不動産価格の高騰や家賃の上昇がよくニュースになっていましたね。

フレンチブルーム イザベルもバブルのキャラクターと言えますね。グザヴィエと同じ経済学部出身ですが、不本意な作家生活を送っているグザヴィエとは対照的に、金融資本主義の波にうまく乗り、レズビアンの友だちを集めて羽振りの良い生活をしています。極めつけはアメリカの金融情報メディア、ブルームバーグのキャスターとしてテレビに登場します。

ひつじ タイトルになっているロシアン・ドールズ les poupées russes はマトリョーシカのことで、入れ子になっている人形のことです。ロシアン・ドールズは、これが最後の相手と思いつつも、その向こうに理想の相手が待っているのでは、と疑ってしまうことの象徴になっています。

フレンチブルーム 景気が悪いと人間は仕事においても恋愛においても堅実な選択をするのですが、景気が良いと人は自分の可能性が底上げされたように感じて、グザヴィエのように際限のない自分探しを始めます。自分自身もバブル世代なのでその気持ちはよくわかります(笑)。ヨーロッパの景気が良かった2000年代の半ばごろ、ひつじさんは何をしていましたか。

ひつじ ちょうど僕が日本に来た頃ですね。日本で「堅実に」自分探しをしていました(笑)。先の話で言えば、ユーロ高でユーロ圏外に出やすかったんですね。2004年の夏は「日本での仕事」を体験するために八ヶ岳にいました。僕にとっての『スパニッシュ・アパートメント』の舞台バルセロナは、20歳のとき、ワーキングホリデーで滞在した山梨です ! 7カ月月間いたのですが、研修先の清里の醸造所で知り合った友人たちと今でも連絡を取り合っています。

フレンチブルーム 『ロシアン・ドールズ』は『スパニッシュ・アパートメント』の同窓会的な作品でもあって、バルセロナでアパルトマンをシェアしていた仲間たちが、ロシアのサンクトペテルブルクに集結します。

ひつじ 僕たちも、映画のように、機会があれば東京や山梨でときどき会いますよ。元同僚、元ボス、元カノジョと10年ぶりに会ったときの気持ちが10年前と変わらないのは不思議です。

フレンチブルーム 当時ひつじさんはリール大学の日本学科(études japonaises)に所属してたんですよね。

ひつじ 日本語は高校1年生のときにすでに始めていたのですが、それまで日本語を一度もしゃべる機会はありませんでした。しかし研修の初日にブドウ畑に連れていかれて、いきなりブドウのゼリーやパイを日本人のお客さんたちに売ることになりました。日本語の文法や漢字の成績は良かったので、何を言えばいいのか何となくわかっていました。その日をきっかけに、堰(せき)を切ったように僕の口から日本語が止まらなくなり、未だにずっと話し続けています。

フレンチブルーム 「子供に学ぶ仏語学習のヒント」を思い出させるエピソードですね(2015年8,9,10月号参照)。外国語を学ぶ過程で、天啓のような瞬間ってありますよね。

ひつじ 外国語をしゃべらざるを得ない状況に自分を追い込むことも必要なんでしょうね。夏の八ヶ岳は観光客がたくさん来ていて、働いていたレストランは朝から晩まで満席状態。まさに理想的な環境でした。フランス語も同じです。日本でフランス語を詰め込むだけ詰め込んだら、あとはフランス語圏に行って、それを吐き出しましょう!

フレンチブルーム 日本で働いてみてどうでしたか。

ひつじ サービスについての日仏の考え方の違いにずいぶん悩まされました。謝る場面も多々ありました。お客さんに対しても、同僚に対しても。そのとき初めて「迷惑」という概念を理解しました。印象に残っているのが「トイレ掃除」です。最初は屈辱的に感じることもありましたが、毎日するうちにだんだんと慣れてきて、「これこそお客さんに対する敬意と気配りの証だな」と次第に分かってきましたね。

フレンチブルーム こういう体験を通して、言葉と文化は不可分だということが実感できるんですよね。そしてバブルを評価するとすれば、経済の勢いに乗って、いろんな経験に身を投じる余裕ができるということでしょうか。語学に対しても前向きになれる時期なのかもしれません。

◇初出=『ふらんす』2016年3月号

タグ

バックナンバー

著者略歴

  1. 釣馨(つり・かおる)

    神戸大学他非常勤講師。仏文学・比較文学。FRENCH BLOOM NET 主宰。

  2. Ghislain MOUTON(ジスラン・ムートン)

    琉球大学非常勤講師、ひつじフランス語教室代表。

フランス関連情報

雑誌「ふらんす」最新号

ふらんす 2024年12月号

ふらんす 2024年12月号

詳しくはこちら 定期購読のご案内

ランキング

閉じる