第19回 ムートンさんのリアルなマンガ体験2
フレンチブルーム(以下FB):ムートンさんがリール大学の日本学科に登録した2002年の前の年に、今やアカデミー賞アーティストであるダフト・パンクが松本零士とコラボしたアルバム『ディスカバリー』(2001)を発表しました。私自身が『宇宙戦艦ヤマト』の洗礼を受けたアニメの第1世代で、松本とダフトのコラボに驚いたのですが、ダフトのふたりは小さいころ『キャプテンハーロック』をテレビで見ていて、松本零士の熱烈なファンだったんですね。
ムートン:ちょうどそのころの授業風景の1コマを紹介しましょう。大学1年生の文法の最初の授業でした。授業が始まる前の教室で、コスプレ風にセットした髪にアクセサリーをつけたMさん(女性)が日本のアニソンを歌っているところに、 ちょうど厳しい表情をした日本人の男の先生が入って来ました。そしてフランス語で、“Vous, là, asseyez-vous et taisez-vous, le cours va commencer !”(そこのあなた、席についてだまりなさい。授業を始めます。)といきなり彼女を叱りつけ、 険悪な雰囲気になりました。リール大学の日本学科の先生たちは全員日本人で、フランスで博士号を取得している優秀な方々でしたが、なぜ20歳のフランス人がオタクになっているのか、なぜそれが日本語を勉強するモチベーションになっているのか、理解できなかったんでしょうね。一方Mさんはアニメの歌で覚えた日本語だけで卒業できると思い込んでいたようで、文法の授業だけでなく、漢字の授業でも挫折し、結局半年で日本語の勉強を辞めてしまいました。
FB:モチベーションとしては悪くないのに残念ですね。日本学科ではどんな授業が印象に残っていますか?
ムートン:2年生のときの漢字の由来を学ぶ授業が面白かったですね。先生から「珍」という字の音読みを教えてもらったとき、例に挙げた熟語はなぜか「珍味」でした。“En français : un mets rare et délicieux” と先生が言った瞬間に、僕の友だちがすかさず手をあげて、“Ah ouais ? Comme des nuggets de condor ?”(コンドルのナゲットみたいな?)とツッコみました。高度なフランス人のツッコミに反応できなかった先生が可哀想でしたが、おかげで「珍味」の読み方と意味が僕の記憶に深く刻まれました。
FB:フランスで初めて放映された日本のアニメが「Goldorak = UFOロボ・グレンダイザー」だったのは有名です。SF的な作品は共感も抽象的なものだったと思うのですが、日本の日常生活が舞台になっている作品も放映されるようになりました。特に日本の独特な学校文化(制服、部活、先輩……)を扱ったアニメをフランスの子供たちはどのように見ていたのか、ずっと不思議に思っていました。
ムートン:『ルーキーズ』『GTO』『スラムダンク』が僕の大好きなマンガなのですが、これらは日本の高校が舞台になっています。マンガを読んでいても舞台設定にはあまり違和感はなく、むしろ日本の高校生活が本当に楽しそうで、そこで勉強したいと思うようになりました。結局、高校のときは親に反対されて、留学できませんでしたが。
FB:つまり、マンガの中の光景はまるで自分自身の体験のように意識に刷り込まれていったわけですね。フランスから来た留学生が日本語で「大学の先輩が……」と、やたらと先輩という言葉を使いたがっていました。先輩という言葉を使うことにあこがれがあったようです。
ムートン:フランスには先輩後輩という人間関係はないですよね。
FB: 先回も紹介した『水曜日のアニメが待ち遠しい』の著者が書いていた「遮断機の体験」も面白くて、初めて日本に来て、町を歩いていたとき、遮断機の音が耳に飛び込んできて、その瞬間、頭が混乱しつつも、とても懐かしい感覚に襲われたと書いています。フランスに日本のような遮断機が存在するわけがなく、日本のアニメを通して植えつけられた記憶だったわけです。ムートンさんもそういう体験がありましたか?
ムートン:僕にとっての遮断機の音は、暴走族のバイクの音ですね(笑)。『GTO』なんかに暴走族の話がよく出てきたので、暴走族が町中を暴走しているのを初めて聞いたとき何だか感動してしまいました。マンガの影響で暴走族の人に対して好奇心を抱くようになったんですが、日本で知り合った元暴走族の人はみんないい人ばかりでした。
FB:マンガを通してヤンキー文化にも精通したんですね。
ムートン:沖縄の地元に溶け込むのにとても役に立っていますよ! それと、初めて日本に来た2001年のときに「懐かしい!」と思ったのが自動販売機です。
FB:フランスにも自販機はありますが、日本の自販機は独特な進化をしていますよね。スラヴォイ・ジジェクも指摘していた「ピンポイントで欲望を満たす」日本の消費文化の象徴です。
ムートン:『ルーキーズ』では、冬に温かいポタージュを飲もうとして自販機にお金を入れたら、出てきたポタージュは冷たくてびっくり!というエピソードがあり、日本の自販機に興味津々でした。『スラムダンク』では、試合中や練習のときに主人公がポカリスエットを飲んでいたので、日本に行ってポカリをガブ飲みしながらバスケをやることも夢でした。
FB:マンガやアニメがフランスの子供たちの中で、それこそピンポイントな欲望を生み出していたことがわかります。日本に来て遮断機や暴走族に感じた「懐かしさのめまい」は特異な体験ではなく、マンガやアニメを浴びるように消費したムートンさんの世代の多くが経験しうることだったんですね。
◇初出=『ふらんす』2016年10月号