第14回 女の子の成長とモラハラの物語
フレンチブルーム(以下FB):このコーナーで一度『星の王子さま』を取り上げたのですが、今月号が特集ということで、去年日本で公開されたアニメ作品『リトルプリンス 星の王子さまと私』と2014 年に出版された安富歩さんの『誰が星の王子さまを殺したのか』を取り上げてみたいと思います。
ひつじ:『リトルプリンス』はストップモーションアニメになった原作のシーンも一見の価値がありますね。英仏版のバラの声をマリオン・コティヤールが担当したことも話題になりました。『リトルプリンス』を見た私の6 歳の娘にもいろいろ聞いてみました。一番印象に残ったのが主人公の女の子と一緒に王子探しに出掛けた「キツネのぬいぐるみ」だそうです。
FB:娘さんはバラのエピソードには興味を示しましたか?
ひつじ:全然印象に残っていないそうです( 苦笑)。
FB:バラと王子のエピソードは、子供にはわかりにくい、ちょっとドロドロした大人の関係ですよね。
ひつじ:確かに王子には手強すぎる相手でした。バラは自意識過剰で気むずかしく、王子は彼女にいろいろ世話を焼くはめになります。しかし一緒にいるのが辛くなって、自分の星とバラを捨てて、放浪の旅に出ます。
FB:『誰が星の王子さまを殺したのか』の安富さんは王子とバラの関係に注目して、『星の王子さま』をモラルハラスメントharcèlement moral の物語として読み直しています。
ひつじ:モラハラは最近出てきた概念ですよね。新しい時代の読み方というわけですね。
FB:王子がバラに対して後ろめたく感じるのは王子が悪いからだと、バラは罪悪感を植えつけていきます。「あの人は本当はいい人のはずなのに、こんなにひどいことを言うのは私が悪いからだ」という、まさに典型的なモラハラ= DVの被害者の論理に陥っています。王子の憂鬱の根源は支配的な女性のコントロール下にあることです。そういう母と息子の関係にも置き換えられそうです。
ひつじ:キツネの役割はどうなるんですか?
FB:セカンドハラスメントです。これもよく引用される apprivoiser( 飼いならす)という動詞に注目してみると、この「飼いならす / 飼いならされる」という一方的な関係を、キツネはcréer les liens( 関係を結ぶ)という相互関係にすり替えてしまい、「君はバラに責任がある」と言って、王子をさらに呪縛するわけです。このすりかえに関して、『誰が星の王子さまを殺したのか』の解題でサンテグジュペリ研究者がこれまで誰も指摘しなかったと書いています。そして王子はバラのモラハラに耐えられなくなって毒蛇に自分を嚙ませて自殺するわけです。
ひつじ:サンテグジュペリはそういう意図で書いたのでしょうか?
FB:安富さんが言うように、偉大な文学作品は作者の意図を超えつつ、多様な読みを可能にするものなのでしょう。
ひつじ:確かにキツネの誘導でバラは「王子の大切なもの」にすりかえられていて、バラが嫌な女だということを読者もすっかり忘れてしまいます。王子は星に帰ったらまたバラにいびられるかもしれないのに。
FB:原作は、王子は星に帰ったのかどうか、あいまいな形で終わっています。それが逆に一種の神秘的な余韻になっていますね。しかし『リトルプリンス』では隣の家のお爺さんが『星の王子さま』を語り終えたときに、女の子は納得しません。てっきり王子が星に帰ったと思っていたのに、結末がはっきりしない話のために大事な夏を費やしたのかと怒ります。
ひつじ:そして王子がどうなったのか確かめに行くんですね。彼女は母親の監視下で分刻みのスケジュールで受験勉強させられていますが、王子を探しにいくことに関しては、母親の言うことを聞かずに断固として自分で決めています。
FB:大人になるということは誰かの言いなりになるんじゃなくて、自己決定できるようになることです。王子は自分の本当の名前も、自分のミッションも忘れ果て、ビジネスマンに雇われた煙突掃除夫に成り下がっていたけれど、女の子が大胆な行動によってそれを思い出させます。何だか宮崎駿の『千と千尋の神隠し』を思わせますね。
ひつじ:私の娘も王子を助けるようなカッコいい女の子になって欲しいですね!王子もバラがどうなっているのか不安で、現実を見たくなかったのかもしれません。星に戻ってみたらバラが枯れてしまっていた、ということもありえるし、生きていたとしてもモラハラが続くわけです。それが怖くてビジネスマンの奴隷状態にも甘んじていた。しかし現実に向き合わないと何も決着がつかないし、前に進めません。
FB:草食系男子が肉食系女子に手をひかれ、覚醒させられる構図はグローバルなものなんでしょうか。うちの息子もクラスの女の子によく助けてもらっています(笑)。もうひとつ安富さんの本で面白い指摘がありました。自分が描いた羊がバラの花を食べてしまうかもしれないと飛行士が心配する一節があります。つまり、バオバブの駆除のために描かれた羊はバラの花を食べて、モラハラのスパイラルから王子を解放するかもしれないんです。
ひつじ:王子が「羊を描いて Dessine-moi un mouton ! 」と言ったのは、バラを食べる刺客を放つためだったのか。王子を救うのは私なんですね!
◇初出=『ふらんす』2016年5月号