第8回 《スリ》
『ふらんす』2017年11月号表紙絵
レオナール・フジタ
《スリ》
1959年
ポーラ美術館蔵
いつの時代も、自分の性分に合った一生ものの仕事を見つけるのは難しい。堅気の職人の道を謹厳実直に歩む者もいれば、ふと魔がさして危険な稼業に足を踏み入れ才能を試す輩もいる。レオナール・フジタ(藤田嗣治(つぐはる)、1886-1968)が描いた連作〈小さな職人たち〉(1958-1959)には、善き手仕事の職人だけでなく、後者の人々の肖像も含まれる。「猛獣使い」「手品師」「トランプ占い師」「心霊治療師」「泥棒」「スリ」など。これらは興行師、魔術師、いかさま師、そして犯罪者の部類である。
スリの手口はマジシャンの手品に似る。ある種のテクニックの鍛錬と修得なしには稼げない、スリはいわば昔気質の職人稼業のひとつである。目当ての品をこっそり抜き盗る細やかな手わざと、人間の心理を熟知し、瞬時に盗みの手順を組み立てる知能の両者が揃わなければ務まらない。彼らは単独ないしは徒党を組んで、餌食となる「カモ」の意表をついて金品を奪う。
この職業は、1959年にロベール・ブレッソン監督の映画『スリ』(原題:Pickpocket)が公開されて陽の目を見た。今月号の表紙絵《スリ》は、フジタが同じ年に制作したものである。作品上部に書き込まれている表題の「PICKPOCKET」は、フランス語化した英語であり、フランスでは19世紀以降に普及した言葉らしい。スリは元来のフランス語では「voleur à la tire」(引き抜き犯)を用い、古くは市場などの雑踏で、ベルトに括り付けた巾着型の財布を引き盗るコソ泥を指した。
映画『スリ』は、この仕事の手わざに魅せられ、世の規範に背いて生きる道を選んだ男の心理に迫った犯罪映画である。盗人の一味の手の動きを、リズミカルかつスリリングにクローズ・アップのショットに収め、それらを再構成した数十秒の映像は、映画史上に残るリアリズムの名シーンだ。なかでも主人公ミシェルが、弦楽器を奏でるように指を回して腕時計をはずし盗るさまは神技の域に達する。これらの高度な窃盗術の実演は、幼少期から実際に盗みで生計を立てていたチュニジア出身のスリの大御所カッサジの指導によるものであった。
無類の映画好きのフジタも、モンパルナスの映画館で『スリ』を観たのだろうか。フジタもかつて50歳の頃、随筆集『腕(ブラ)一本』(1936)を上梓し、画家として右腕一本で勝負中であるという矜持を披歴している。「凡そ一枚の紙、一枚のカンバスは吾等の戦場である」と勇ましい。フジタが《スリ》を手がけたのは、1959年2月5日のこと。筆まめな彼の日記によると、パリ14区にある自宅の室内の壁を飾るために作り始めたこの細密描写の壁画を、この日は一気に9点も完成させている。フジタは並外れた集中力と速描きの腕の持ち主で、常日頃から絵描きとしてのたゆまぬ鍛錬を自らに課していた。
さて、表紙の絵《スリ》では、映画の主人公ミシェルのような、あるいは画家フジタのようなストイックな男ではなく、小粋なファッションに身を包んだかわいらしい女の子が主役だ。男から腕時計と財布を大胆に抜き盗る、小悪魔的な香りを漂わせた一人前の女泥棒である。この悪事の一幕は、画家が設えた小さな舞台上で繰り広げられる立派なフィクションであり、演出家である画家のユーモアに包まれて、画面には古色が施され、おとぎ話の風情が醸し出されている。女の子には罪がない。
1920年代に裸婦で名声を獲得したフジタであるが、戦後、そのモデルは子どもたちへと著しく偏るようになった。フジタの〈小さな職人たち〉の連作では、子どもたちの逞しく生きる姿が、200枚ほどの壁画上に展開されている。興味深いことに、そのうち堅気の職人仕事についての多くは男の子たちが担い手として描かれるが、「スリ」「女泥棒」「トランプ占い師」などでは、魔性の女の子たちの出番となる。この連作では、一般的な職業観の類型を踏まえつつも、フジタ自身のジェンダー意識が、男児と女児の担う職業の割り振りや描写に少なからず投影されているのである。
男は職人仕事に打ち込み、女はその愛嬌を活かして商い、男心を惑わせ、男の富を平然と奪う。さまざまな職人仕事を集め、それらにひたむきに取り組む男の子と女の子たちを描写したこの連作は、半世紀ものあいだ、万人の姿と性分を観察し続けてきたフジタの男女観が表わされた図譜でもある。
◇初出=『ふらんす』2017年11月号