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今井敬子「レオナール・フジタ〈小さな職人たち〉」

第21回 《焼栗売り》

ふらんす2018年12月号表紙絵
レオナール・フジタ
《焼栗売り》
1959年頃
ポーラ美術館蔵

 「ショ~、ショ~、マロン・ショ~! Chauds, chauds, marrons chauds !」

 秋風が吹きはじめると街頭に現れる昔ながらのパリの風物詩、焼栗売りの呼び込みである。

 「パリは、十月の声を聞くと、もう全く冬の気分である。木はすっかり葉をふるっているし、霧の深い日が、次第に多くなって、その中を、人の影が、暗くぼんやりと動いている。丁度この頃に、キャッフェの表に、焼栗やの爺さんが店を出し、又牡蠣の箱が、並べられるのである。焼栗の窯と、そして牡蠣の箱とを見ると、あゝ又冬がきたなあと思う」(藤田嗣治「焼栗屋の爺さん」『巴里の横顔(プロフィル)』1929年)

 近頃でもカフェやビストロの店頭に牡蠣は並ぶが、焼栗屋の姿はもはやそこにない。今月の表紙絵の《焼栗売り》は、木箱の上に窯を据えた、20世紀前半の典型的なスタイルの屋台だ。栗を焼いて紙袋に入れて、通行人に販売する。笑みを含んだ見事な丸顔の焼栗売りは、イガグリ頭の少年のようにみえるが、実のところ中年のおばさんである。世慣れた態度にピンクの襟巻と長いスカートで、客をテキパキさばき、寒風を跳ね除ける。焼栗屋は19世紀後半には画家のピサロやロートレックも描いたピトレスクな風情をたたえた職業であり、熱々の焼栗は客の手とお腹を温めた。寒空の下、焼栗屋はときおり窯の中を豪快にかき回して燻された熱気を街角に立ち上らせ、貧しく焼栗を買えない子どもたちも集まって、窯に小さな手をかざして暖を取った。

 このような伝統的な窯を備えた焼栗屋は、近年めっきり数を減らし、パリのリュクサンブール公園に屋台を構える「ミレイユおばさんの店」が最後の一軒といわれる。かく言う筆者は、パリの焼栗を残念ながら口にしたことがない。冬の季節には、甘くねっとりとした匂いを充満させるクレープ屋のスタンドの常連となるからだ。ただし、マフラーに埋めた鼻にも届く、あのツンとした香ばしく焦げた焼栗の匂いは、パリの街路の記憶と分かち難くある。足元をかすめるつむじ風が、枯葉と栗の殻を空虚に揺らし、侘しさに付きまとわれた。いまや繁華街に立つ観光客相手の焼栗売りの多くは、警察の取り締まりの目を搔い潜りながら路上販売する移民たち─パリから遠く離れた温暖な国々の出身者たちである。彼らは焼栗の季節が過ぎると、ペットボトルの水を売って糊口(ここう)を凌いでいるという。

 レオナール・フジタ(藤田嗣治1886-1968)がこの絵を描いた1959年頃は、焼栗売りの生業は至極健在で、むしろ全盛期を迎えていた良き時代であった。1960年代の歌姫ダリダには、「レ・マロン・ショ」(1961)という、本文冒頭の売り声を快活にリフレインする陽気な流行歌もある。焼栗売りの呼び声は、日本の石焼き芋のそれと同じく下町のメロディーとして、フランスの老若男女に親しまれていたのであろう。

 中世の時代から、パリの物売りは「クリ・ド・パリcris de Paris」と呼ばれ、焼栗売りの記録は13世紀に遡ることができる。フランスの栗といえばリヨンの南にあるアルデーシュ地方産の栗が最高級品とされるが、この地方がフランス王国に併合された14世紀以降、かつては「マロン、マロン・ドゥ・リヨン!」という呼び声が、パリの街に響き渡っていた。20世紀にはマロンの名だけでなく、シャテーニュの名も登場し、「シャテーニュ・グリエ」とも露天商の看板に表示される。マロンとシャテーニュは別品種の実だが、昔も今もさほど厳密には区別されていないようだ。

 「栗はマロンと云って、日本の栗よりは、少し小さく一寸(ちょっと)、大きさも味も、甘栗の様である。その熱い栗を外套のポケットにいれて、手を暖め乍ら、学校へ行く少年もある」(前掲書)

 若きフジタは1913年にパリに到着、翌年には大戦が勃発して日本からの送金が滞り、酷く貧窮した。絵は売れず燃料も尽きた冬の日に、自作のデッサンを火にくべた辛い経験をしている。凍えた手では、絵筆が持てない。国境を越えてパリに来た人間にとって、昔も今も、寒波と世間の風は厳しく身にこたえる。時代が移り変わろうとも、焼栗は路上の人びとの冬場を支える生活の糧であり、その働く手を温め続けている。

◇初出=『ふらんす』2018年12月号

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著者略歴

  1. 今井敬子(いまい・けいこ)

    ポーラ美術館学芸課長

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