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今井敬子「レオナール・フジタ〈小さな職人たち〉」

第1回 《御者》


ふらんす2017年4月号表紙絵
レオナール・フジタ
《御者》
1959年ポーラ美術館蔵

 連作〈小さな職人たち〉は、レオナール・フジタ(藤田嗣治(つぐはる)、1886-1968)が1958年秋から翌年の春にかけて手がけた、15センチメートル四方のファイバーボード(木の繊維を合成樹脂で固めた板)に描いた油彩画である。本誌の表紙に複製されたイメージと同様、手のひらサイズの小さな作品である。フジタはこの連作を100枚程コツコツと制作し、パリ14区のカンパーニュ=プルミエール街の自宅の室内の壁に、タイル状に四隅を釘で打ち付けて装飾していた(表紙の作品画像をよくご覧になると、フジタが金槌で開けた釘穴が見つかります)。この正方形のボードには、パリとその郊外でかつて見かけられ、時代の流れにより消え去っていった、あるいはパリに現在なお残る、あらゆる路上の職業──石炭運び、煙突掃除夫、刃物研ぎ、屑屋、御者、すみれ売り、猛獣使い、そして泥棒まで、多種多様な仕事に勤しむ愛すべき庶民たちが登場する。彼等・彼女たちは、どういうわけか、全員子どもたちの姿で表わされている。

 〈小さな職人たち〉というタイトルは、この連作の一部を原画としてフジタが制作した挿絵本『しがない職業と少ない稼ぎ』(原題:Petits Métiers et Gagne Petit, 1960年刊行)からとった通称であり、フジタが付けた正式な題名ではない。本来ならば、フランス語の慣用句となっている「プティ・メティエ」(しがない職業)と呼ぶのがふさわしいのかもしれない。さらにこの「プティ」には、「しがない」という意味に加え、描かれている子どもたちを示す「小さな」という二重の意味が付されているから、正確な訳語は「小さなしがない職業人たち」となるのだろう。が、説明が過ぎていかにも無粋であり、やはり〈小さな職人たち〉の呼称が親しみやすい。この連作の一部は、私が勤務するポーラ美術館の代表的なコレクションとして、折に触れて展示され、来館者の眼を楽しませている。

 フジタといえば、乳白色の下地に、面相筆で繊細な墨の線を引いて描いた1920年代から30年代の裸婦の作品がよく知られている。そのため〈小さな職人たち〉のように、色とりどりの色彩で子どもたちをテーマにして描いた作品群は、フジタの絵画制作の中心から外れた余技の披露と見えるかもしれない。確かにこの連作は自宅用の装飾画であり、展覧会や画廊などで世に発表する目的の絵ではなく、フジタの歿後まで公の目に触れる機会はほとんどなかった。

 おかっぱ頭にロイド眼鏡の個性的な風貌のフジタは、見かけを裏切ることのない多彩な才能の持ち主であったことはご存じであろう。フジタはいわゆる芸術家「アルティスト」たらんとした人物ではなく、職人「アルティザン」でありたいと願った型破りな戧作家であった。絵画以外にも日常の生活の中で、裁縫、木工、金属細工など、室内装飾に関わる細々とした手仕事を器用にこなし、洋服作りから身の回りの住空間まで自分好みに徹底的に設えることに喜びを見出した人物であった。

 これからの1年の幕開けを飾る、フジタの〈小さな職人たち〉として登場するのは、「御者」である。フジタ自身が「パリ人種」というパリらしい職業人たちについての一文を執筆し、その冒頭に「運転手(シォファ)と馭者(コッシエ)」を挙げている。

「コッシェはなかなかロマンティックな趣に富んだもので、タクシー程早くないからパリの町をゆっくりと見物するにはこの馬車に限るのである。ヨーカン色のフロックコートを一着に及んで、真白な髭をはやした爺さんは、パリの古い物語をたくさん心得ていて、いろいろと興味ある説明を聞かせてくれる。凡そこの人種程パリのすみ隅をよく知っている人種は、パリにも少ないだろう」(藤田嗣治『巴里の横顔(プロフィル)』1929年発行)

 フィエロ『パリ歴史事典』(鹿島茂監訳)によると、かつて横暴で飲酒癖があるとの悪評が高かった御者も、19世紀前半からは政府の厳しい監視下に置かれ、シルクハットと大きな金ボタン付きの制服の着用が義務付けられた。フジタが絵に描いた御者は、晴れ着姿の男児であり、相棒のポニーの鼻面を手に取って小粋なポーズを決めている。

◇初出=『ふらんす』2017年4月号

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著者略歴

  1. 今井敬子(いまい・けいこ)

    ポーラ美術館学芸課長

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