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今井敬子「レオナール・フジタ〈小さな職人たち〉」

第20回 《いたずら者》

ふらんす2018年11月号表紙絵
レオナール・フジタ
《いたずら者》
1959年頃
ポーラ美術館蔵

 恐ろしい猫虐待のシーン。無実の猫を両手で締め上げる、悪意のみなぎる三白眼の子どもは、指名手配書にあるような人相だ。今月の表紙絵はお尋ね者ならぬ《いたずら者》である。レオナール・フジタ(藤田嗣治1886-1968)の合計115枚ほどある連作〈小さな職人たち〉には、職人以外の主題も含まれる。《癇癪(かんしゃく)持ち coléreuse》《守銭奴 avare》《狂人 folle》《うわさ好き potinière》など、男女の悪童を寓意的に扱う、いうなればフジタの「性格研究」である。子どもの表情はいずれも劇画調でにらみを利かせて凄み、仕事に勤しむ誠実で可愛らしい大多数の子どもたちの図とは異なる、人間のダークサイドを映した面々だ。

 愛猫家のフジタが受難の猫を描くのはめずらしい。フジタは「猫の画家」としてパリのみならず北米でも名声を獲得し、猫を抱く自画像と肖像写真がたっぷり残る。フジタがパリでセルフプロデュースに努めた青年時代、毛皮に包まれ宝石のような眼をもつこの小動物は、最高の相棒として画家とともに脚光を浴びた。猫との運命的な出会いは夜、1920年頃のパリの街角でのこと。歓楽街から帰る道すがら、足元に絡み付いてきた野良猫を不憫に思い連れ帰ったことがきっかけであった。

 猫はフジタの絵画芸術のアイコンとなった。いつでもアトリエで一緒なので、「裸体画の横にサインみたいにこの猫を描いたりした」のだという。猫は恋人のような存在だったようで、女性と猫についてフジタは次のように語った。「女はまったく猫と同じだからだ。可愛がればおとなしくしているが、そうでなければ引っ搔いたりする。御覧なさい、女にヒゲとシッポを附ければ、そのまま猫になるじゃないですか」

 猫だけの肖像画も数知れず、写実的な猫から擬人化された猫まで、そして単身の肖像画から集団肖像画ともいえる群像図《争闘(猫)》(1940年、東京国立近代美術館蔵)まで、この生き物を描き尽くしている。フジタはながらく猫と生活したが、戦後にパリの14区で暮らし始めた頃には鳥を飼ったからか、〈小さな職人たち〉を制作したカンパーニュ=プルミエール通りの部屋には猫の姿がなかった。戦後の絵画の中では、猫の多くは女の子のアクセサリーとして手元に添えられる役割に甘んじている。「猫の画家」フジタは、「子どもの画家」へと転向してしまったようだ。

 フジタは猫を愛したが、猫は長らくキリスト教の世界で不吉な動物として厭(いと)われてきた。夜行性で、目が暗闇の中で光ることなどから、魔性の生き物、魔女の化身とみなされ、ヨーロッパの近世から近代にかけて、土地によっては民衆が動物、とくに猫を火あぶりにするなどの祭礼を娯楽とし、憂さを晴らしていた例もあるという。本作品のなにやら中世風の装束の子どもが猫を痛めつけるのは、フジタがこのような西洋の歴史を知ってのことだろう。

 かつて戦争画の制作に身を捧げた画家は、戦後の時代において、人間の欲望と闇の世界を表現する課題を負った。それは動物を主人公にした「寓話」や、グロテスクな異形の人物像とともに「七つの大罪」を描出する作品へとフジタを向かわせた。悪徳を戒めるテーマをアイロニカルに料理した作品にも、この画家の愉悦が見え隠れする。「七つの大罪」のテーマは、最晩年に建立したランスの「シャペル・フジタ」で集大成をみる。礼拝堂の袖廊(しゅうろう)の隠れた一隅が、この主題の壁画に当てられた。醜悪な男女が罪深い醜態を晒す図である。堂内の主要な壁には正統的なキリスト教の図像を配し、隠れた壁や小さなステンドグラスの絵に悪徳や死のテーマをフジタは組み入れた。もう一方の袖廊はフジタの墓所となりその魂が眠るのだが、この聖堂の装飾の随所にフジタの聖と俗の精神が生々しく息づいている。

 〈小さな職人たち〉と「シャペル・フジタ」という二つの大壁画に共通するのは、「聖と悪」「無垢と偽り」のフジタ流のブレンドだ。どちらか一方の表現では充足せず、両者のほどよい調合を晩年のフジタは追究していった。無垢の象徴であり、一方で悪徳の象徴でもある子どもたち。猫に代わって子どもが老画家の最良のモデルとなった理由がここにある。猫も元来は二面性を持つ動物で、画家はそこに惹かれていた。「ひどく温柔(おしとや)かな一面、あべこべに猛々(たけだけ)しいところがあり、二通りの性格に描けるので面白い」。猫の潔白と子どもの邪悪さを合わせた本作品は、フジタ流ブレンドの味わいが濃く深い。

◇初出=『ふらんす』2018年11月号

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著者略歴

  1. 今井敬子(いまい・けいこ)

    ポーラ美術館学芸課長

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