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今井敬子「レオナール・フジタ〈小さな職人たち〉」

第10回 《ポスター貼り》

『ふらんす』2018年1月号表紙絵
レオナール・フジタ
《ポスター貼り》
1959年
ポーラ美術館蔵

 糊を溶かした水の入ったバケツと刷毛(はけ)を手に壁に向かう男の子は、伝統的なスタイルのポスター貼りの職人である。パリの地下鉄の駅構内では、色とりどりの特大の紙をダイナミックに壁面に拡げていく現代版のポスター貼りの実演に出くわすことがある。旬なイメージと宣伝文句で通行人の視線を惹きつけるポスター広告。パリに暮らしたことのある人は、数日間のみ貼り出されては破り捨てられる運命にある広告の紙切れに、誰しも少なからずノスタルジックな感慨を抱いているのではないか。

 1950年にパリに戻り、モンパルナスのカンパーニュ= プルミエール街に居を落ち着けたレオナール・フジタ(藤田嗣治(つぐはる)、1886-1968)は、パリの娘たちや街路を主題に、いわばパリ専属のアーティストとして、この都市への忠誠心を証明する図像を描き尽くした。彼がパリのしがない働き手たちを子どもたちの姿に託して描いた小壁画の連作〈小さな職人たち〉(1958-1959)は、自宅の壁にタイル状に貼り付けられ、「パリの画家フジタ」の最終章を締めくくる作品群となった。しかし、フジタは14区のアパルトマンを自分好みにどれほど整えようとも、安住の地と為すには到らなかった。再渡仏から10年の月日を経た頃、フジタは君代夫人と共にかねてからの夢を実現するべく、パリ市内から脱出することになる。

 さて、ポスター広告のあるパリの街景といえば、まずは佐伯祐三(1898-1928)の絵画を思い浮かべるのではないか。フジタより一回り若い佐伯は、東京美術学校西洋画科の後輩にあたり、佐伯が1924年から1926年初頭にパリに滞在した折に、二人は面会しても不思議ではなかった。しかし画風も気質も著しく隔たる二人はあえて交流することはなかったようだ。パリの街並みを描くために短い命を燃やした佐伯は、1927年に2度目にして最後の渡仏の前に、「是非渡仏してあのキタナイ巴里の黒ずんだ壁や広告や自動車小屋の横文字を、も一度ウンと描いて見度い」(中山巍「佐伯の第二渡仏」『画集佐伯祐三』1929)と、パリ特有の汚れた壁と広告に執着した。病をおしてパリの街路に戻るが、まもなく心身ともに病に屈して客死している。

 フジタの場合は、戦後の東京で再渡仏への決意を固める中で、「私が一番懐かしい家」としてフランスの田舎家のイメージを膨らませた。両手で抱えられほどの大きさの精密な模型を作り、君代夫人と暮らすための《私たちの家》(1948)として手元に大切に置いていた。このフジタの魂の拠り所となる器(うつわ)のような室内は、白い漆喰の壁に囲まれた、中世の時代から変わらぬ手作りの温もりのある調度品の数々で設(しつら)えた部屋であった。修道院の小房(セリュール)のように質朴でありながら平安に満たされた空間。太平洋戦争中に外地で繰り広げられた戦闘をフジタが記録した大画面とは対極にある内なる小さな完結した世界は、終(つい)の棲家となるヴィリエ=ル=バクルの「メゾン=アトリエ・フジタ」、そして最晩年にランスに建立した「シャペル・フジタ」において、画家の魂を宿す白い器として具現化されていく。

 今月の表紙絵《ポスター貼り》をよく見てみよう。職人が貼り付けているポスターの広告文は次のとおり。「イル=ド=フランスの美しい邸宅 モダンで快適 タダ同然 電話DAN6571」。不動産の広告のようであるが、電話番号「DAN6571」は、フジタのカンパーニュ= プルミエールの自宅のもの。フジタはこの年、パリ在住の親しい画家田淵安一がエソンヌ県のヴォアランに転居したことを契機に、自らも郊外の家探しに本腰を入れ始めた。このポスターには、新居探しに心を躍らせていたフジタの願望が、直截簡明に書きつけてあるのだ。

 折しも1960年に、フジタは〈小さな職人たち〉の連作を、豪華挿絵本『しがない職業と少ない稼ぎ』(1960)として発行するために、編集者のピエール・ド・タルタスと協働する。タルタスもまた、エソンヌ県ビエーヴルの由緒ある地所「ムーラン・ド・ヴォーボイアン」を1959年に購入していた。フジタは都会の喧騒から離れたこの理想郷をしばしば訪ねて、時を忘れる居心地の良さに酔いしれていた。

 目まぐるしくポスターが貼り替わる黒ずんだ壁の都会から、静かに制作に打ち込める郊外の白い邸宅へ。1960年、74歳の年に、フジタはエソンヌ県の小村ヴィリエ=ル=バクルで、18世紀に建造された農家とめぐり合った。転居と旅を繰り返した人生の末に、フジタはようやく「私たちの家」を定める夢を成就させた。

◇初出=『ふらんす』2018年1月号

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著者略歴

  1. 今井敬子(いまい・けいこ)

    ポーラ美術館学芸課長

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