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今井敬子「レオナール・フジタ〈小さな職人たち〉」

第23回 《修道士》

ふらんす2019年2月号表紙絵
レオナール・フジタ
《修道士》
1959年頃
ポーラ美術館収蔵

 1959年10月14日、フランスのシャンパーニュ地方のランス大聖堂で、フジタは君代夫人とともに、念願のカトリックの洗礼を受けた。シャンパン・メーカーのマム社社長ルネ・ラルーが後援者および代父となり、フジタは古都ランスとキリスト教に迎え入れられた。フジタはランスにあるサン=レミ旧大修道院で、神の啓示を受けたのだという。72歳の藤田嗣治は、残りの生涯を「レオナール・フジタ」として生きる道を選んだ。1920年代の「狂乱の時代(レザネ・フォル)」に名を馳せたモンパルナスの画家フジタの改宗は、フランス国内でも注目のニュースとして報じられている。洗礼式の次第は、ニュース映像『フジタの洗礼』(1959年10月25日)に収録され、現在はフランス国立視聴覚研究所(INA)のウェブサイトで閲覧することができる。

 洗礼式の日、フジタ夫妻は参列者の一群に付き添われ、ランス大聖堂内に厳かな面持ちで入場した。冠(ミトラ)を被った司教がフジタ夫妻を迎え、その口に塩を含ませ、フジタは司教の三つの問いに肯き信仰心を誓った。司教はフジタの顔─額、頰、唇へと、親指で十字の印を念入りになぞる。老画家の顔の肉付きは柔らかで、洗礼の頃の新生児の肌を思わせる。顔を撫でられるフジタは神の恩寵に身をゆだね、こわばった表情を解いていく。

 洗礼の後、フジタはインタヴューに次のように答えている。「私は長い間、キリスト教への改宗を望んでいました。[…]もともとは仏教徒の家に生まれました[…]1914年にブルターニュを旅した時に、カルヴェール[キリスト磔刑の石像彫刻]や、さびれた村々の教会の絵を描きました。1919年頃には、「受胎告知」「十字架降下」「三王礼拝」をテーマに大作を制作しました。いつの日かキリスト教信者になりたいと考えていたのです」(筆者註:ブルターニュへの旅は、実際は1917年のこと)。

 フジタはキリスト教への関心を、青年期にさかのぼり跡付けて証を立てた。1913年にフランスへ渡り、1950年にフランスに戻り、1955年に国籍を得て、この年の改宗により、最期にはキリスト教徒として彼の地に骨を埋める覚悟と信仰の道行きを定めたというわけだ。緊張を滲ませながらその道程を説明するフジタの言葉は、異端審問の応答に似て、簡潔で、形式的でさえある。若きフジタの享楽的なパリでの日々、女性たちや猫をモデルにした華麗な絵画群、世界各地への精力的な制作旅行、壁画や大作に筆を揮(ふる)った豪胆な姿を知る者にとって、神の忠実なしもべたろうとするフジタの姿は、まるで別人に映る。フジタは老いて人生を達観した。そして、晩年の心持ちを、慎重に言葉を整えながら述べているのである。

 「私はフランス国籍を取得し、洗礼を受けて、よりフランス人を親しく感じています。私と妻は二つの体で分かたれていますが、魂は一つです。[…]これからはもっと宗教画を描き、礼拝堂の装飾を行う予定です」。洗礼後にフジタはパリのアトリエに戻り、ランス大聖堂へ献納する絵画《聖母子》を仕上げている。この時に初めて、フジタは絵画に「レオナール・フジタ」と署名している。藤田嗣治は、長年のあいだ絵画芸術を追究する求道者であり続けたその先に、信仰の画家「レオナール」の道を継いだ。私が勤める美術館では、このフジタと君代夫人の固い遺志を尊重し、「レオナール・フジタ(藤田嗣治)」の名称で、彼の画業を紹介している。

 壁画〈小さな職人たち〉は、フジタが洗礼を準備するなかで完成した。連作中の一枚《修道士》に描かれた教会のある田園風景は、フジタがかつてブルターニュなど、ヨーロッパの小さな村々で目にしていたものであり、ランスでのちにフジタが実現する礼拝堂の建立を予見するものでもある。青空の下、小鳥のさえずりだけが響きわたる野原に、赤紫の帯を巻いた司教が傍らの神父を導いている。聖書の御言葉(みことば)を深めようと、二人は手を携えている。フジタが当時交流していた聖職者の姿を念頭に、親しみを込めて描いたのかもしれない。本作品は、連作の多数を占める職人図とは一線を画した特別な一点にみえる。なぜなら、自らの行先を決断したフジタが、もっとも気にかけていた同志たちのポートレートであるからだ。

 自然のなかの小さな教会。千年変わることのない風景。この小さな壁画には、レオナールと、君代改めマリ=アンジュ=クレールとなる二人の敬虔な信徒の、理想の魂の在りかと在りようが示されている。

◇初出=『ふらんす』2019年2月号

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著者略歴

  1. 今井敬子(いまい・けいこ)

    ポーラ美術館学芸課長

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