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今井敬子「レオナール・フジタ〈小さな職人たち〉」

第18回 《放浪者》

ふらんす2018年9月号表紙絵
レオナール・フジタ
《放浪者》
1959年頃
ポーラ美術館蔵

 原っぱにたたずむぼさぼさ頭の男の子は、放浪者。風に吹かれるロック歌手のようだ。ワインの瓶とフランスのパンを抱えているので、ここはパリの郊外か地方の野原なのか。バゲットを携える男児のシルエットは、浪人のサムライ像にも重なる。

 レオナール・フジタ(藤田嗣治1886-1968)は、1913年にパリに到着したのち、パリ郊外の風景―城壁の周辺やゾーンといった貧し人びとの住む地帯を主題に、陰鬱な風景画を描いた。20世紀初頭にこのような殺風景で物騒な土地を、貧しい芸術家たちがあまたうろついていたものの、風景を記録した画家は、フジタが敬愛していた税関吏ルソー(1846-1910)のほか、ごく僅かに過ぎない。パリの城門で入市税関の徴収官として勤務したルソーは、都市の境界線であるゾーンを見つめ、余暇を過ごすレジャーの地としてその風景を描いた。ルソーは“ 奇跡” の画家で、先見の明の持ち主であった。生前は無理解と嘲笑にさらされたが、城壁の外に共存する自然の息吹と都市化の波を敏感に受け止め、後世に独創的なパリ郊外のヴィジョンを残してくれたのだ。

 1910年にルソーは亡くなり、その数年後にこの地に足を踏み入れたフジタは、石畳のパリ市内とは異なる土と草の匂いがする場所に惹かれていった。彼の胸中には、故郷である東京の景色への郷愁と、パリへの愛着が混在していたのであろう。「貧しい菫売娘、崩れかけた城壁の土手の上で恋をして、六畳一間位の部屋で愛の巣を作り、やがて喧嘩をして別れる、―そうした哀れで愉しいパリの情緒というものは何とも言えませんね」(藤田嗣治他『巴里の晝(ひる)と夜』1948年)

 そしてフジタは、放浪者や乞食について、次のように綴っている。「乞食の風俗が、実に詩味豊かで、ユーモアに富んでいるのだから、心ある画家は、どうしても割愛するに忍びぬ。[…]放浪者の数は、益々増加するばかりである。何故か?「 乞食を三日したらやめられぬ」という金言は、必ずしも経済的自由を言ったものではない。もっともっと、人間の奥の奥の本能に根を張った怪しげな誘惑である。ラ・ヴィ・ボエームという事は、人間の生まれながらにして持っている本能の一つである。完全に束縛を脱した理想郷への憧れである。自由への憧れと言っても差しつかえない」(藤田嗣治『巴里の横顔(プロフィル)』1929年)

 貧者を注視していたフジタが彼らを本格的に画題とするようになったのは、戦後のことである。細密描写と複雑な構図法を駆使する具象の第一人者であったフジタは、カフェに集まる労働者階級の人びと、街角にうずくまる浮浪者などを取材した絵を展覧会に出品している。画家フジタは公の舞台において、彼のスタンダードの主題である女性や少女の像だけでなく、社会に根ざしたリアリズムを志向した作品も加え、同時代の画家としての健在ぶりをアピールしている。かつて1920 ~ 30年代に流行した、社交界の住人たちをファッショナブルに描く華麗なる絵画は、完全に過去のものとなっていた。戦後の再出発を機に、カトリックの信仰に傾倒したフジタの慈愛の念が、宗教画のみならず、貧しい人びとの主題へと向かわせたのであろう。

 今月の表紙絵《放浪者》には、フジタが青年期より憧れていた自由人が描かれる。草原に堂々と屹立する男児。モデルの服装や背景など、対象の属性が正確に捉えられている。このような「肖像」と「風景」が合された描き方を「発明した」と表明した画家がいる。こちらもやはり税関吏ルソーだ。「Portrait-Paysage 肖像=風景」と命名し、セーヌ河岸でパレットを持つルソーの自画像のほか、アポリネールとローランサンの肖像画などが知られる。フジタがルソーの持論に通じていたかは定かでないが、〈小さな職人たち〉のシリーズは、ルソー発案の「肖像=風景」の画法を忠実に継承している。

 もしもルソーがフジタのアパルトマンに招かれ、フジタの壁画〈小さな職人たち〉を眺めることが出来たならば、彼はフジタの手を握りしめて激賞していただろう。「君こそ、我が芸術の正統なる後継者だよ」と。ルソーの絵画を入手し、〈小さな職人たち〉の隣の壁に掲げていたフジタ。彼もまた、師の励ましを夢想したのかもしれない。

◇初出=『ふらんす』2018年9月号

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著者略歴

  1. 今井敬子(いまい・けいこ)

    ポーラ美術館学芸課長

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