第22回 《自転車乗り》
ふらんす2019年1月号表紙絵
レオナール・フジタ
《自転車乗り》
1958年
ポーラ美術館収蔵
年の瀬に、こたつで暖を取りながら年賀状を書いていた昭和の時代が懐かしい。賀状や書初めなど、日本人は一年の節目に平安を祈念し、新年に向けた志を胸に筆を執った。今月の表紙絵は《自転車乗り》。自転車で曲芸をする二人の子どもが、正月を祝う大衆演芸さながら日めくりカレンダーを披露する。絵に書かれている文言は次のとおり。
「自転車乗り/ 1958年12月31日水曜日/さよなら1958年/ 1959年1月1日/ようこそ1959年/ 1958年12月31日、真夜中/フジタ」
1958年のフランスを振り返ってみると、年末にド・ゴールが大統領就任。後の欧州連合(EU)につながる欧州経済共同体の確立に向けて、比較的明るいムードに包まれていた。自転車は、ツール・ド・フランスが史上初の5 度の総合優勝を果たすジャック・アンクティルの時代に突入し、大衆的な人気を高めていた。レオナール・フジタ(藤田嗣治1886-1968)は当時72歳。パリのアパルトマンで大晦日の夜に、本作品を描きながら年神様の到来を待っていたのだろうか。
連作〈小さな職人たち〉には、歳時記、あるいはフジタの絵日記ともいえる絵がいくつか含まれる。《復活祭》では、旅先のイタリアで迎えた春の祭日にちなんで、大きな卵と少女が描かれた。《テレビ》では、ソビエト連邦の打ち上げたルナ2号が月面に初到達した人類の記念すべき瞬間を、「1959年9月13日日曜日22時2分24秒」と几帳面に記している。《警官》では、巡査に止められる車は、フジタが当時所有していた自慢の高級車、1958年型ダッジ・カスタム・ロワイヤルである。アメリカ車ならでは艶やかなクロームのフロントフェイスが、この絵の真の主役だ。この頃フジタはアメリカ車に惚れ込んでいたようで、《旅行者》には、巨大なテールフィンがシンボルの1959年型キャデラック風の車体が登場する。《ポスター貼り》の不動産屋のポスターに掲示されるのは、広告主の連絡先と思いきや、フジタ家の電話番号。このほかの絵にも、フジタのプライベートの生活に関わる情報が、さりげなく散りばめられているに相違ない。
古今東西の絵画に、職人たちの典型的な人物像を、社会の風俗図として版画にして頒布した「職人尽くし図」というものがある。本連作もその一種であるが、フジタの壁画の場合は公にすることを前提とせず、日々の生活に取材した私家版のアンソロジーであり趣が異なる。それぞれの職業に典型的な服装、ポーズ、道具などが細密に描写されているが、例えば《魚屋》には、フジタのお気に入りの魚が並ぶ店頭が写されているのであろうし、《歯医者》に歯を抜かれて卒倒する患者の図は、画家自身のユーモラスな体験録の類かもしれない。一見不愛想な子どもたちばかりが集まる本連作の細部を読み込んでいくと、フジタの心情や願望、街の人びとへの愛情が、じわりとにじみ出るような仕掛けが施されている。
フジタの畏友ピカソは「私が絵を描くことは、日記を書くようなものだ」と語り、後半生には必ず自作に日付とサインを書き入れて、数万点もの絵を残した。そして記録魔のフジタは、大家のピカソに負けじと旺盛に絵画制作に取り組むかたわら、日記帳にびっしりと文字を書き連ね、友人たちに多数の書簡と絵手紙を送っている。フジタは、つまるところ「絵も文字もかきたい」タイプであった。それでも描き(書き)尽くせないほど潤沢な折々の記録や記憶の受け皿として、フジタはこの壁画のプロジェクトを考案したのではないか。備忘録を兼ねた絵日記の方式で、ささやかなパリの生活に対する愛着をたっぷりと筆に含ませて、〈小さな職人たち〉を日々彩った。
フジタは1958年にはベルギー王立アカデミー会員になり、翌年の1959年にはランスでの洗礼を控えており、君代夫人とつつがなく年の瀬を迎えていた。彼の日記によると、大晦日の日にはムフタール街の魚屋で買った鯛を刺身にして賞味した後、日本人の友人たちの来訪があり、夜はそばを食べ、テレビで歌謡ショウを観て就寝している。なんとも平穏な一日だ。この日はこの壁画をたった1枚だけ描いたとある。新しい年に期待を膨らませる画家の、潑溂(はつらつ)として若々しい気分にあふれる1枚だ。
フジタは毎日ほとんど休まず制作した。一年の計は元旦にあり。絵描きの志は高く、年が明けた1959年元旦には、5枚もの壁画を仕上げて掲げている。
◇初出=『ふらんす』2019年1月号