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今井敬子「レオナール・フジタ〈小さな職人たち〉」

第7回 《釣り人》

『ふらんす』2017年10月号表紙絵
レオナール・フジタ
《釣り人》
1959年頃
ポーラ美術館蔵

 やんちゃ盛りの男の子が意気揚々と釣竿を引き上げると、獲物はなんと蛙だった。マーク・トウェイン著『トム・ソーヤの冒険』の一場面のような今月号の表紙は、フジタがパリのしがない働き手や、パリ郊外に住まう人々をテーマに描いた連作〈小さな職人たち〉(1958-1959)の1点である。

 東京とパリという大都市を故郷としたレオナール・フジタ(藤田嗣治1886-1968)。1913年にパリでの画家修業を始めて1年も経ないうちに、フランスでの田園生活に憧れを抱いて首都を離れ、本作品に描かれるような水辺の村での短期、長期の滞在を重ねている。最初は1914年、パリ郊外のモンフェルメイユで、続いて1915年、先史時代の遺跡と中世の古城が残るドルドーニュ地方のマルザックでのことである。すでに27、8歳になっていたフジタであったが、異国の奥地に分け入るような豪胆な行動を独りで決行することはなかった。トム・ソーヤにハックとジョーという心強い仲間がいたように、フジタには意気投合して冒険に身を投じる相棒が傍らにいた。パリ留学者の先輩格でフジタと同年齢の画家、川島理一郎(1886-1971)である。川島はアメリカでの留学を経てパリに到着し、レイモンド・ダンカンを師とする古代ギリシアをイメージしたダンスに傾倒していた。フジタもたちまち古代文明の魅力に引き込まれ、二人はルーヴル美術館で古代ギリシアやエジプト美術に感銘を受けて、生活と芸術活動が同一である古代人のような暮らしを実践しようと志したのである。フジタと川島は一心同体となり、フランスの寒村での共同生活の夢を実行に移す。

 1914年4月、パリから鉄道で30分足らずの近郊モンフェルメイユで、フジタと川島はパリに拠点を置いたまま、粗末な小屋の建つ地所を購入し、自給自足を理想とする実験的な生活を試みる。渡仏当初のフジタの動静は、彼が日本に残してきた最初の妻、登美子宛ての書簡に詳しい(『藤田嗣治 妻とみへの手紙1919-1916年』上下巻、林洋子監修、2016年)。フジタはいずれ登美子をパリに呼び寄せるつもりであった。「ギリシアの着物に又そのサンダル(皮の草履)すべてが元始時代 浮世離れが嬉しい」(1914年4月22日付書簡)。

 1915年のドルドーニュ地方での滞在は、パリの住居を引き払った本格的な移住であった。1914年7月に第一次世界大戦が勃発。日本からの仕送りに頼る二人の生活が困窮を極めたことが移住の第一の理由であった。大地主のフルリュ伯爵からの依頼で、今やユネスコの世界遺産に登録されるマルザックの古城と、ヴェゼール渓谷の岩壁に嵌め込まれたレニャックの奇城を管理する仕事を引き受けて、フジタと川島はどうにか戦中の貧窮を凌ごうと目論んだのである。移住当初の初夏に、フジタが登美子宛に送った手紙には、のどかな田舎暮らしの情景が活き活きと綴られている。「桜の木にのぼりて桜坊等食べ候、夕方は野に沢山�等出で可愛く候、今に魚等も釣りする筈」(1915年6月21日)、「昨日は釣等して遊び候、川島一尾を得候、小生は洋服のまゝ首まで川に落ちこみ大笑ひいたし候、洋服の丸る洗ひいたし候」(1915年7月)、「昨日曜ハ川島と二人して早朝より釣をし十七尾三四寸くらいの魚を得しほ焼きにして食べたりいたし候」(1915年7月26日)。やんちゃ坊主さながら無邪気に魚釣りに興じるさまは、若者たちが放つ、人生の黄金期特有の輝きを帯びている。

 戦時下におけるマルザックでの生活の実情は、極めて不便で心許無いものであった。それでもフジタと川島は励まし合いながら、ラスコー洞窟の壁画を見学するなど、機会を逃さず真摯に見聞を広めては風景画を制作し、引き続きギリシア、エジプトなど古代芸術の研究に努めた。秋から冬へと季節が移り変わり、やがてフジタと川島は長引く大戦下のフランス滞在に見切りをつけ、アメリカ行きに新たな希望を託してドルドーニュを後にする。

 しかしながら一足先に渡米した川島の援助も虚しく、フジタは渡航資金を確保することが出来ず、1916年に知人を頼ってロンドンに滞在。登美子との遠距離婚を解消し、翌年パリに戻る。30歳、転機を迎えたフジタはフェルナンド・バレーと結婚。シェロン画廊と契約を締結し、パリの画家フジタは名実ともに立身を遂げた。

 フジタが川島と一緒に大志を抱いていた若かりし頃、登美子を喜ばせようと送った書簡のなかには、このように愉快な釣りのエピソードが残されている。

◇初出=『ふらんす』2017年10月号

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著者略歴

  1. 今井敬子(いまい・けいこ)

    ポーラ美術館学芸課長

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