第17回 《たばこ屋》
ふらんす2018年8月号表紙絵
レオナール・フジタ
《たばこ屋》
1959年
ポーラ美術館蔵
陽気なサフラン色の地に「たばこ屋TABAC」の茜色の文字がある一枚。たばこ屋の看板娘を、色とりどりのデザインのパッケージやオブジェがにぎやかに取り囲む。南洋諸国から取り寄せられた箱入りの葉巻、蓋つきの器に入ったパイプ用の刻みたばこ、紙巻用たばこ、シガレット、それらのカートン、マッチ、ライター、嗅ぎたばこや嚙みたばこを量るための秤、分銅など。たばこ屋のシンボルとして秤を表示するのが、19世紀以降のフランスにおけるこの職業の伝統であった。異国の芳香を蓄えた葉が多様な姿で陳列される様子が、視覚と嗅覚を愉しませる。いなせなたばこ屋の娘が咥(くわ)えるのは、白い素焼きのクレイ・パイプであろう。日本のキセルのように煙道が極端に長い。長崎の出島ではクレイ・パイプが多数出土しており、鎖国時代にオランダ人が日本に持ち込んだたばこ道具であることが知られる。看板娘は涼しい表情を浮かべつつ、この古式ゆかしい喫煙法の実演中である。
レオナール・フジタ(藤田嗣治1886-1968)は女性像を描いた画家として名高く、細くしなやかな線で白い身体の輪郭をなぞり、煙るような柔らかな陰影法によりリアルに具現化した。観る者は彼女たちの圧倒的な存在との対峙を迫られる。そのような人物画よりも、生活の中のなにげない文物を丹精込めて描写した静物画にこそ、観る者はフジタの視線に寄り添うように、物たちが構築する独特の世界を覗き、すっと入り込むことができる。
フジタは白いパイプを、小さな静物画にも写している。《インク壺の静物》(1926年、石橋財団ブリヂストン美術館蔵)には、人物の頭部を模した彫刻をある白いパイプが、靴型のインク壺とペン、青いインクに点々と染まる吸い取り紙とともに置かれている。木の机、白い紙、ガラスのインク壺、白い海泡石の彫刻の質感を、巧妙に描き分けた逸品である。ペンとインクとパイプ。これらはいつもフジタの傍らにあった馴染みの愛用品であり、画家の日常生活を物語るシンボルとして選ばれている。
フジタは写真や自画像の中でたばこを咥え、指の間に挟み、多くは紙巻きたばこであるが、パイプや葉巻も手にした一服中のスモーカーとしてしばしば現れる。フランスと日本、北米、南米と行く先々で土地のたばこを買い求め、紫煙をくゆらす旅する画家の姿があった。くつろぎの場だけでなく、真剣勝負の制作の場でも右手に筆、左手にはたばこを挟む。若い頃から半世紀近くもの間、愛煙家であったフジタ。この〈小さな職人たち〉を制作した後の1960年代初頭の日記には、フジタが禁煙を試みている様子が記される。この絵には、フジタがたばことの決別を考え始めた頃の、この嗜好品に対する深い感慨と、走馬燈のような懐かしいヴィジョンを見ることが出来よう。
看板娘の頭上には、3種のアンティークの看板が掲げられる。左には巨大なパイプ。中央は、たばこの葉を木の板に象(かたど)った明治時代の日本の看板である。「たばこ」と独特のうねりのある看板文字が書かれる。右側の物体は、円錐を上下につなげた形状の「キャロット」と呼ばれるフランスのたばこ屋の看板である。1906年にこの看板の設置が義務付けられたそうだ。その形は、たばこの葉を丸めて紐で結わえた姿を由来とする説がある。現在でもこのにんじん型を継承した看板が街に赤く輝くが、絵の中に取り付けられた看板は、金属製の赤いペンキが塗られた昔ながらのものである。フジタは商店の看板に興味を持ち眺めていた。「散髪店の看板は世界共通で、日本のもその真似ですね。パリでは、靴屋のほか洗濯屋、洗い張り屋、蝙蝠傘(こうもりがさ)屋、時計屋など、いろいろな形を極めて店先に下げていますが、なかなか面白いのが多く、私は一度一通り木板で作画したことがありましたよ」(藤田嗣治『巴里の晝(ひる)と夜』1948年)
世界各地を旅して見聞を広め、その土地のたばこを味わい尽くしたフジタ。老境に入り諸国のたばこに火を点(とも)すとき、懐かしい風景や出会いの記憶が立ちのぼったのであろうか。最後に、日本の煙草文化の象徴をこの絵に堂々と掲げる画家の、日本男児らしいたばこにまつわるパリの青年時代の武勇伝で、本稿を締め括りたい。
「或る日アパツシユと言つて向ふのならず者が煙草の吸殻を私の顔にぶつけた、見上げるやうな二人の大男に「何故の無体か」、「お前は気狂いだ」との返答を聞くやその瞬間に柔道の横捨身で二人を同時に敷石に叩き付けた」(藤田嗣治『腕(ブラ)一本』1936年)
◇初出=『ふらんす』2018年8月号