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今井敬子「レオナール・フジタ〈小さな職人たち〉」

第6回 《写真家》

『ふらんす』2017年9月号表紙絵
レオナール・フジタ
《写真家》
1959年頃
ポーラ美術館所蔵

 世界各地で「自撮り」が全盛期を迎えているが、フジタほど「フォトジェニック」な容貌を巧妙に自己演出した画家は、これから先も世に出ることがなかろう。フジタは、マン・レイ、アンドレ・ケルテス、土門拳ら、気鋭の写真家たちの被写体となったことが知られる。しかし彼らの写真に登場する以前に、ファッショナブルでエキゾティックな「パリ画壇の寵児フジタ」のアイコンは、1927年に女性写真家たち─ベレニス・アボットとドラ・カルムスにより、彼女たちの肖像写真専門のスタジオで創作された。今月号の表紙《写真家》は、古風な肖像写真のスタジオが舞台となっている。黒と赤の冠布を被る写真家は写真機と一体化した職人だ。パリのしがない働き手たち、いわゆる「プティ・メティエ」をテーマに、自らも職人(アルティザン)でありたいと表明していた晩年のフジタが手がけた連作〈小さな職人たち〉(1958-1959)の1枚である。

 フジタ自身も写真を撮った。1913年にパリに到着すると、翌年にはまだ珍しかった小型カメラを入手している。フジタは生涯にわたりカメラを愛用し、フランスと日本のみならず外遊先で目にしたあらゆる土地の人々とその生活を写真に記録し、晩年は雑誌『アサヒカメラ』で自作を紹介するなど、かなりの腕前を誇っていた。

 フジタが惹きつけられた写真、パリと郊外の風景、そして「プティ・メティエ」の世界を見わたすと、これらの領域を先駆的に切り拓いた写真家ウジェーヌ・アジェの姿が立ち現れてくる。アジェは「近代写真の父」として回顧されるが、生前、「私は記録写真しか撮影していない」と語り、芸術家であることを否定した。彼の興味はパリの街路を踏査して、「消えゆく」運命にある「古きパリ」を記録することにあった。

 アジェは1898年、41歳の年から暗箱カメラとガラス乾板を担いで、約1万点の写真にひたすら収めていく。撮影の対象は、パリの街路、店構え、「プティ・メティエ」と呼ばれる呼び売りなどの商売をする人々、馬車、そして貧困者が暮らすパリの城壁と周縁部、半ば廃墟と化したパリ郊外の城の庭園などである。こうして撮りためた写真をアジェは1枚ずつ台紙に貼り、台紙の余白に撮影場所と撮影年をサインとともに書き添えて、図書館や画家、室内装飾家、建築家などの顧客を訪ねて販売し、妻と二人きりの生活を細々と成り立たせていた。晩年のアジェは、写真を売りにフジタの部屋も訪ねており、画家はそれらを気に入り数葉購入していた。フジタ自身と同居していた恋人ユキは、それぞれのアジェの思い出を回想録や手紙に書き残している。

 とはいえ、フジタがアジェの写真を絵画制作のイメージ・ソースとして使用したとは言い難い。しかしながら、フジタが1910年代に描いた陰鬱なパリ郊外の風景、晩年に絵画と版画のシリーズで手がけた「プティ・メティエ」の人物像、そしてパリ郊外や旅行先で撮影した写真のイメージは、異邦人フジタと地方出身者アジェが、都市の内外を彷さまよ徨いながら、同種の鋭い観察眼と美意識を培ったさまを明示している。

 戦後パリに戻ったフジタは、14区のカンパーニュ= プルミエール通りの、かつてアジェが暮らした住居の並びに自邸を構えた。1958年9月4日、フジタは室内を装飾するために一念発起して、15センチメートル四方のタイル型の連作〈小さな職人たち〉に着手し、壁面を覆いつくすべくコツコツと描き進めた。それはアジェがパリの街路の断片的な記録写真を撮りため、「古きパリ」という総体のヴィジョンとして所有しようとした試みに等しい。この頃のフジタの日課は、カンヴァス画やデッサンの制作のほかにこの小さな壁画を数枚仕上げ、君代夫人とともにモンパルナスの映画館か自宅のテレビで映画鑑賞に興じて、老年期の穏やかな一日が締めくくられた。

 さて、今から90年前の1927年、パリのアメリカ人写真家アボットのスタジオを訪ねてみよう。男が来た。売り出し中の画家フジタ、40歳。最新流行のスーツに身を包み、写真機の前でいつものように粋なポーズを決めた。アボットの写真は上出来で、フジタの個性的なポートレート群に加わり活用された。別の日。無名の写真家アジェ、70歳。彼を敬愛してやまないスタジオ主に乞われ、生涯ただ一度きりの肖像写真の撮影に臨む。冠布のような大ぶりのコートでやせ細った体を隠しつつ、気力を振り絞って自らの姿に威厳を漲らせた。後日、アボットがアジェのポートレートを仕上げて14区にある自宅を訪ねると、彼はすでにこの世を去った後であった。

◇初出=『ふらんす』2017年9月号

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著者略歴

  1. 今井敬子(いまい・けいこ)

    ポーラ美術館学芸課長

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