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今井敬子「レオナール・フジタ〈小さな職人たち〉」

第24回(最終回) 《コンシェルジュ》

ふらんす2019年3月号表紙絵
レオナール・フジタ
《コンシェルジュ》
1959年頃
ポーラ美術館収蔵

 「パリを素通りになるお客さんは別である。又ホテルで暮らしてしまふお客さんにも分らない。半年でも一年でも、フランス人の家庭にはいり、若しくはアパルトマンの一室を借りて、暮らすならば、必ず、おめにかかるのは、このコンシェルジュである。門番と云ってもよろしかろう。廊下の掃除もしてくれるし、便所の掃除もしてくれるし手紙がくれば、四階でも五階でも、コツコツと持ってきてくれるのだから、どうしても交渉なしに過してしまふわけには行かない。[…]コンシェルジュといふ人種は、これこそ、フランス独特のもので、独逸にも英国にもない」(藤田嗣治「コンシェルジュ」『巴里の横顔(プロフィル)』1929年)

 今月の表紙絵の肖像は、出納帳を持ち、腰に鍵束を下げるおばさん風のかわいらしいコンシェルジュ。トイレの戸口にしっぽをのぞかせる猫と、鳥かごの小鳥たちを養いながら、自分の城の隅々まできちんと目配りする勤勉な少女。丸眼鏡を下ろし、相手の身なりから胸中までをじろりと見通す眼力は一人前である。

 コンシェルジュとは、昨今では高級ホテルで客をもてなす華やかな相談役として定着した職業の呼称であるが、元来はフランスの集合住宅に住み込みで働く管理人を指す。パリに来て住み着く人間は、まずはコンシェルジュとの関係から、生活の規則と仁義を学び、運が良ければ人情も知ることになる。1913年にパリにやってきたフジタは、当初はホテル住まいであったが、アパルトマンに越してコンシェルジュと出会い、彼女たちの人間観察を始めた。その描写は的確で面白い。

 「年中ブツブツ言っている人種です。何しろ全住居人の管理人ですから大変な権力を握って居り、借家人にとっては恐るべき存在ですよ。が、時々やるチップで御機嫌が直ったり、─また直らなかったり、しかし仲善くなればまた格別で、こっちが困れば金も貸して呉れるし、借金取りを追い返しても呉れますよ」(藤田嗣治、柳澤健編『巴里の晝(ひる)と夜』1948年)

 赤の他人であるはずが、家族以上に住人の交友関係や財政状況、いわば人となりの全貌を掌握し、箒(ほうき)を手に建物全体の秩序維持に采配を振る人物がコンシェルジュである。機嫌を損ねると、意地悪をされかねない。コンシェルジュの多くはパリに移り住んできた外国や地方出身の女性たち─フジタと同じ移住者である。彼女たちが建物の一階に住居を割り当てられ、しがない給金を得るこの職業の担い手となってきた。しかし、時代の移り変わりとともに住み込みのコンシェルジュは減少する。フジタがこの絵を描いていたカンパーニュ=プルミエール街の近代的なアパルトマンは、もはや絵にあるような共同トイレなど備えていない。古めかしい呼称「コンシェルジュ」は20世紀末には廃れ、「ギャルディアン」(管理人)と呼ばれるようになって久しい。

 フジタはパリ生活を始めた頃を懐かしみ、《コンシェルジュ》を描いたのであろう。1913年8月15日、フジタが船でフランスに到着して10日後、日本に残してきた最初の妻登美子宛ての書簡に、次のようにパリでの生活の充実と展望を熱く綴っている。「日本でハ無理に美術らしいものを求め自分で無理にこしらへ様としてる、だけれ共自分が仏に居ると自然の方が先に立って自分に与へてくれるものが多過ぎる程で困ってる。実際ここへ永久でも住居して暮して見たい。若い男女の往来でキスしたり人中でだき合ったりしてるを見て何んなに幸福と思ふだろう。皆んな二人で必ず歩いてる。そうして小さな暮しに満足してる、本当に美しい事だ」(『藤田嗣治 妻とみへの手紙1919-1916年』上下巻、林洋子監修、2016年)

 その後の約半世紀にわたる旅、二つの戦争、さまざまな出会いと決別を経て、フジタは君代夫人とパリで小さな暮らしを営み、絵を描いている。フランスに骨を埋める覚悟はできた。26歳のフジタの内に灯された、パリでの生活への愛情の炎は絶えることなく、連作〈小さな職人たち〉の煤けたような画面を生み出し続けている。絵の上部のレタリング「コンシェルジュCONCIERGE」は最後のE の文字を欠き、壁に塗られた人差し指が、目に見えない何かを指し示す。70代のフジタは、いまだフランスが彼に与えるすべてを描き切れない。〈小さな職人たち〉を、フランスの画家フジタのはじまりの絵画として見つめていたい。

◇初出=『ふらんす』2019年3月号

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著者略歴

  1. 今井敬子(いまい・けいこ)

    ポーラ美術館学芸課長

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