第14回 《印刷工》
ふらんす2018年5月号表紙絵
レオナール・フジタ
《印刷工》
1958年
ポーラ美術館蔵
《印刷工》の工房。銅版画を刷り上げようと、プレス機のハンドルを慎重に回す男の子。彼が作業着やアトリエ内のあちこちをインクで汚してしまった状況の描写なのか、画面には黒の絵具が点在する。されども無作為を装ったこのような着彩は、《印刷工》に限らず、連作〈小さな職人たち〉のほとんどの作品の画面にもおよぶ。この連作には、汚れや傷、摩耗を模して、長年にわたり愛着を持って使用されたような、経年変化、いわゆる「エイジング」の仕上げが施されている。フジタが確固たる名声を得ていた繊細な線画が象(かたど)る優美な女性や子どもの肖像画──手で触れがたい清新な絵画の芸術とは、対極にある美意識のもとに創作されたものの証として。
この連作の素材は独特だ。木の繊維を固めたボードで、建材にも用いられる安価な品である。フジタはこれに油絵具で着彩し、自宅の室内の壁にタイル状に張る装飾画とした。フジタの画業の中でも、主題と形式において類のない作品群として際立つ。本稿では、この連作の着想源をめぐる探索にしばしお付き合いいただきたい。
世界各地を旅したフジタは、その土地の郷土色を帯びた品々を蒐集し、民衆芸術への関心を制作に反映させてきた。フジタが土産や骨董を選ぶ基準は、「使へば使ふ程よくなるという生命のある」もの。アンティークの陶器を部屋に飾り、陶器の絵付けも嗜(たしな)んだ。連作〈小さな職人たち〉はタイル型であることから、陶製のタイルに着想を得た装飾画と考えるのが自然だ。そのイメージ・ソースには、子どもの遊戯図や職人図が絵付けされた伝統的なデルフト焼のタイルが筆頭に挙げられよう。フジタがオランダのアンティーク・タイルを集め、最晩年を過ごしたヴィリエ= ル= バクルの家の装飾に用いていたことからも裏付けられる。
オランダのデルフト窯で焼かれた染付タイルはヨーロッパ中に伝播し、職人図のタイルの伝統はイタリアやスペインのアズレホ焼にも存在する。なお、フジタは〈小さな職人たち〉の連作を自宅の壁に設置する際に、3メートル以上の幅の壁を油彩の板で埋め尽くすため、花弁を図案化した装飾モティーフを描いた板も併せて貼り付けたのだが、それはフジタによれば日本の「九谷風」のモティーフであるという。画家の念頭には、和洋にわたるやきものの絵付けのイメージがあったのだろう。しかしながら、〈小さな職人たち〉の最大の特徴である油彩による豊かな色彩と、色数の限定されたやきものの外観とは、実のところ大きな隔たりがある。
ここでイメージ・ソースの探索を、フジタが関心を抱いていたもう一つの民衆芸術のジャンルにも展開してみよう。それは版画である。1913年の渡仏から6年後、フジタは銅版画制作を皮切りに、木版画、石版画、ポショワール、手彩色といった技法も次々と習得し、自画自刻で版画作品に取り組んでいく。フジタは1920年代には、《印刷工》にあるような銅版画のプレス機を自宅に置き、自ら刷りの経験を積んで版画家としても腕を鳴らした。
そしてフジタは生涯版画に情熱を傾けた。画家の自信作として長らく愛蔵し、パリの国立近代美術館に寄贈した《私の部屋(アコーディオンのある静物)》(1922)では、自室に架けたエピナルのペルラン社発行の版画《人生の階段》を、画中に完璧に写し取っている。彼はレンブラントの銅版画に感服する一方で、19世紀に流行したエピナル版画に代表される大衆向けの彩色版画の味わいに親しんでいた。
極彩色でにぎやかな画と、素朴で可笑しみのある表現で子どもから大人までの読者に愛されたエピナル版画。〈小さな職人たち〉は、この民衆版画の直系にあたるフジタの戧造物だ。その理由を述べよう。連作〈小さな職人たち〉のメインテーマである「小さな職人たち(プティ・メティエ)」は、エピナル版画にも登場するテーマである。またこの連作のサブテーマにある「いたずら者」、「守銭奴」など、いわゆる「人間の諸性質」のテーマは、子どもの教化に活用されたエピナル版画における重要な主題であった。さらに「子どもの姿のユーモラスな表現」、「素朴な描写とあざやかな色彩」、「タイル状の図版配置」、「レタリングによるタイトルの明示」など、〈小さな職人たち〉は、主題、形式、表現において、いにしえのエピナル版画の面影と精神をフジタ流に受け継いでいる。
人びとの生活を彩った素朴なやきものや民衆版画に傾倒したフジタ。歳月を経るほどに味わいを深めるものならではの生命を、本連作も宿している。
◇初出=『ふらんす』2018年5月号