第24回 ハングル創制の目的
Q:ハングルはなぜ作られたのでしょうか。
A:これに関しては『訓民正音』(1446年刊)の劈頭に簡にして要を得た記述があります:
「國之語音、異乎中國、與文字不相流通、故愚民、有所欲言、而終不得伸其情者多矣。予為此憫然、新制二十八字、欲使人人易習、便於日用耳」(我が国の語音は中国と異なり漢字と互いに通じないので、愚かな民は、言いたいことがあっても、その意をのべることができない者が多い。私(=世宗)はこれを憐れに思い、新たに二十八字を創った。人々が簡単に習い、日々用いるのに便利にさせたいだけである)
つまり、漢字漢文を知らない民衆のための「ふだん使い」の書記手段としてハングルが考案されたわけです。換言するならば、民を教化することがハングル創制の一義的な動機であったと言ってよいでしょう。また、『訓民正音』の末尾に付された鄭麟趾(チョン・インジ)による後序には、行政文書に使われていた借字表記法のひとつである吏読の不便さについての言及もあり、ハングルは行政側の書記手段としても想定されていた可能性が窺えます。
しかしながら、実際にはハングルによる書記言語が漢文のように規範言語として古典語化することはなく、その後も朝鮮半島の書記言語は依然として漢字漢文が大きな比重を占めます。特に公的な著述は19世紀末まですべて漢文によってなされました(注1)。ハングルはといえば、詩歌、仏典、経書、韻書、教化書、実学書、書簡などに用いられることでその命脈を保ちます(注2)。
例えば、1447年に公にされたハングル文献の嚆矢『龍飛御天歌』は朝鮮王朝の建国を讃える頌歌です。同書は韓国語で書かれた文章に漢文で注を付すというスタイルになっており、韓国語を「主」、漢文を「従」として定位するこの形式は、「文」とはすなわち漢文を意味していた朝鮮において主従が逆転した〈ハングル中心主義〉の象徴的なテキストと断じて過たないでしょう。さらに、同年には、世宗の王妃・昭憲王后の冥福を祈るために釈迦の一代記である『釋譜詳節』も刊行されました。ハングルによる古籍の多くは、〈諺解〉と呼ばれる、漢文とその翻訳である韓国語のバイリンガル・テキストになっていますが、『釋譜詳節』はそうした諺解の様式はとらず、韓国語のみによる散文であるという点で特異な文献と言えます。
1448年には『東國正韻』という韻書が頒布されました。韻書とは漢字音を整理した字書のことで、世宗の言語学的な関心は文字の発明のほかに、漢字音の匡正にも向けられていました。何となれば、朝鮮王朝が国是とした朱子学においては、音と政治の関連性が説かれ、音を整えることは政治を正すことであるという思想があったからです。当時の朝鮮では、漢字音が中国の本来の字音から乖離しており、世宗はそのことを問題視していました。ハングル創制の動機もその実、上述の実用性と並んで、漢字音を視覚的に写しとれる表音文字の必要性に存したものと思料されます。
(注1)ハングルが正式な文字として認められたのは1894年のことであり、またハングルが朝鮮民族の象徴的な存在として謳われるようになったのも20世紀に入ってからです。
(注2)実学書には語学書も含まれ、ハングルは中国語や日本語、満洲語などといった「外国語」の発音を表記するためにも用いられました。中国語の歯頭音と正歯音の区別を表すために、歯音字の字形を改造するなどの工夫もなされました。



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