第15回 自己再生のソウル旅
海外旅行へ最後に行ったのは、いつだったか、そしてどこへ行ったのか、全く記憶がない。COVID-19があったしね、と思うかもしれないけれど、僕の場合はそういう理由ではないのだ。高齢姉妹の養子に入って8年程は、介護をしていた関係で、家を空けようがなかった。国内旅行だって、彼女達が徐々に体調を崩し始めたここ7年は、一泊旅行すら出来ず、どこへ行くにも日帰り。外泊すら7年はしていない、自分のベッド以外では寝ていないのだ。色々指折り数えてみれば、海外旅行へ行ったのは、少なくとも10年以上前のことになる。
そんな長年の介護生活で、染みついた時間のリズムは簡単に崩れない。今は妹の方は亡くなり、姉は療養型の病院にいるので、仕事が忙しいとしても旅行へ行くのは自由。でも、可愛いチョビ(猫)がいるから、家を空けられず結局は日帰り旅ばかりになった。もともとはどこかへ出かけて、知らない景色や文化に触れる事が好きだった。移動時間というのも、味わいたい。そろそろ昔のように旅をしたいと思うようになっていたが、どうも踏ん切りがつかなかった
そんなとき、旅に出かけるチャンスは、思いがけず身近なところからやって来た。春先から仕事を手伝ってくれている、友人の野中氏がソウルへ仕事の関係で行くという。つき合いが長い彼とは気を使わずにいられるし、仕事の上のいろいろなことや感覚が近くて、何事にも違和感がない。いつも先回りしてくれて、ちゃんとお尻も叩いてくれる。ダメなところはきちんと指摘して、成長するように引き上げてくれている感じがした。僕は一人っ子育ち、会社の後取り息子とちやほやされて、その道から外れても、雇用される事なく自分のルールだけで生きてきた扱い難い人間だ。多分僕を上手に転がす事ができるのは彼だけじゃないかと思っている。初めはマネージャー的立ち位置と思ったが、何ヶ月かのうちに気持ちの上での所属事務所社長的な存在となった。彼の本業はアート関係の仕事で世界中を飛び回り、長期滞在が常で旅慣れている。僕の日々はいつだって、半分仕事で半分遊びだから、せっかく旅に出るなら公私を共有出来て旅慣れた人が良い。着いて行こうかなと思って、航空券をとりホテルを予約した。最後にどこか海外へ出かけた時だって、航空券をインターネットで予約した記憶があるけれど、スマホのアプリだけで完結はしなかった。パスポートは、いつでもどこかへ出かけられるようにと更新だけはしていたので、残り期限も十分にあった。
どこへも行けないと諦めていたせいもあり、スーツケースも手元にはもうなかった。2泊3日なら、機内持ち込みが出来るサイズが良いとのアドバイスにより、小型のスーツケースを購入すると、もうどこかへ羽ばたいたような気持ちになった。パートナーのために、冷蔵庫に色々と日々のごはんを作り置き、チョビの事も託し、9月5日に出発の朝を迎えた。
羽田空港へは、タクシーを手配。我ながら、ちょっと早いかなと思いながら、2時間前到着を目指して、羽田へ向かう。道はスイスイと順調に30分足らずで、羽田空港国際ターミナルへ到着。途中混雑しているかなと思ったが、渋滞も全くなくて随分早い到着となった。タクシーの中、アプリでスマートチェックインも済ませたし荷物も預けないのだから、そもそも時間がかからない。いよいよ出国手続きへ向かうと、荷物の検査はいつもと変わらないものの、パスポートを変な機械にかざすのは初めての体験で、機械に通すだけなのに、カウンターの前にぼんやり立っていると「スタンプいりますか?」と、係の方にいらいらした様子で言われてしまった。今は希望しない限り出国スタンプは押さないのだとか。希望すれば押してくれるというが、それでは何だか風情がない。否応なしに、適当にバンと押される感じが良いのにな。
免税店を久しぶりに覗くも、欲しい物は特にない。お店を見て回るともう少し昔の、白々しい感じの本屋とか売店、喫茶店が良いなと感じた。どこもまるでチェーン店のような、コンビニライクな佇まいの店ばかり。野中氏と合流し、ラウンジへ行く。美味しいとは言えないコーヒーを飲みながら、搭乗時間を待った。野中氏が隣で食べていた、ちょっと干からびたような焼きそばが、やけに美味しそうに見えた。同じ時間の別な飛行機(コードシェア便と言うらしい)にそれぞれ乗り込んで、金浦空港へ。海外旅行へ出かけた友人達は、機内食が不味い不味いとよく言うけれど、そんなに不味かったかな?と思っていたら、本当に不味くてびっくりした。そうそう、こういう味だってある。冷凍の唐揚げをチンし過ぎて、焦げたのが冷めた嫌な感じに油っぽい衣の味。果物と、パンだけ食べて、コーヒーを待った。ソウルに着いてからタクシーで、江南のホテルまで向かう道すがらに車窓から見えた、久しぶりの街並みは結構な回数を旅して見ていたはずが、全く記憶がない。久しぶりに日本を離れて、異国へ来た喜びを噛み締める事は出来た。
飛行機からの眺め
江南エリアのホテルにチェックインを済ませてから、友人が出版した本『韓国 美・味 案内』に掲載されていた、三清洞にあるお汁粉と漢方茶屋さん「ソウルソ ドゥルチェロ チャルハヌンヂップ」まで、到着早々お汁粉を食べにタクシーで出かけた。昔、ソウルで乗るタクシーというのは、優しいけれど、何となく遠回りをされているような感じがあったのだけど、今は運転手さんが行き先を携帯に話すと、スムーズにナビがスタートして目的地へ向かってくれるので、非常に分かりやすい。日本のタクシーもこうした方が、双方楽なんじゃないだろうか。到着したお店は、想像していたよりも小ぢんまりとした佇まい。定番のお汁粉を注文すると、塗りの椀にお汁粉が入って出てきた。味わいとしては日本と近いけれど、もっと素朴で薬効があるような味わい。栗や銀杏、黒豆とか白玉と、なかなかに具沢山。他にも生姜が効いたお茶をいただいた。暑かったところに、さらに身体があたたまり、汗が吹き出たが、どこか清々しさがあるのは、生姜のおかげだろうか。お汁粉屋さんというと、女性が多いのかと思っていたら、入ってくるお客さんは、今時の韓流スターのような顔立ちの若い男性が多かったのが意外であった。
「ソウルソ ドゥルチェロ チャルハヌンヂップ」のお汁粉
そのまま、散歩をしながら、ホテルの辺りまで戻る。途中歩いた道沿いの八百屋には大量のネギが綺麗に結いてあって、美味しそうに見えた。ふらふらと、目的もなく歩いたのはいつぶりだろう、この何年間かそんな時間を過ごした事がなかった。歩く先には買い出しといった目的があり、家に帰ったら、夕ご飯の支度をしなきゃ、チョビのごはんやトイレ、原稿など、いつもやる事がたくさん溢れている。ただ友人と楽しく話しながら、地図も見ずに(見てないのは僕だけ)今どこにいるのかもよく分からないし(相手は分かっている)、夜どこへ行くのかも分かっていない(多分聞いたのに忘れている)、現地通貨のウォンも持っていない(相手は持っていた)。そんな旅は初めての事だ、普段なら自分で全部やってしまう性分なのに、安心し過ぎて、全て任せきり。
梨泰院の街角
夜は、今回の旅の目的である、翌日から開催される、アートフェア「FRIEZE」関連のパーティーへ出かけ、他の友人達と合流。会場は梨泰院エリアにあるビルの屋上、その階下にはD&DEPARTMENTが入っていて、東京感があったけれど、パーティーは東京にない熱気を感じたのは、国民性もあるのだろうか。屋上からふと眺めた、オレンジ色っぽい照明に包まれた街の景色、大きな街頭広告はまるでアメリカのような印象を受けた。ビルの裏手の階段が続く街並みも、どこかドラマティック。パーティーを抜け出して、向かったのは梨泰院にあるモダンコリアンとマッコリレストラン「안씨막걸리」。ミシュランのピブグルマンも獲得しているお店。インテリアも洗練されていて、店内中央に存在感のある大理石の大きなテーブルを中心に空間が構成されている。テーブルに配置された花瓶と、生けられた花は東京の感覚と変わりがなく、韓国の花屋というのはどんな感じなのか気になった。薄暗い店内はモノトーンの配色、キャンドルや間接照明の明かりはキリッとし過ぎず、全体の緊張感を緩めるかのように植物が置かれていた。食事は韓国料理を大切にしながら、繊細な盛り付けが効果的。サムギョプサルは、鉄板で焼くのではなく、焼き上がった状態のお肉が大きなお皿に綺麗に盛り付けられて登場する。空間作りと似た、大きなお皿の余白を生かした盛り付け方は、見習いたいもの。マッコリも、様々な種類があって、美しい白い陶器のボトルでテーブルに次々に供されて、繊細な料理と共に食卓は盛り上がった。そして、何より接客が素晴らしかった。流暢な英語で対応してくれた店主は、我々がマグロのサラダを頼むと、マグロは日本で食べた方が美味しいんじゃかいかとも語った。大きなお皿の隅にコチジャンの風味がきいたマグロが入ったサラダ、余白を挟んで反対側に韓国海苔が置かれていた。海苔に包んで食べるのが、風味があり美味しかった。代々木上原や幡ヶ谷にでもあれば、週一で来たいという気分になった。タクシーで、ホテルに戻って就寝。この何年間か、毎日自分のベッドで寝ていたので久しぶりに違う寝床を満喫しながら、朝を迎えた。
マッコリレストランで食べたもの
朝、起きた瞬間にチョビを探してしまった。パートナーと留守番してくれている姿を想像しながら、空を見上げた。会いたいなあと呑気に思ったが、僕が一人で旅に出て留守番をさせられて、きっとチョビは怒っているだろう。パートナーの事が大好きなので、思う存分甘えているに違いない。2日目の朝は、骨董エリアへと向かう。コーヒーが飲みたかったので、街角のベーカリーカフェで、コーヒーとクロワッサンを食べた。お店はチェーン店のようだけれど、美味しいクロワッサンで満足。普段なら、チョビが僕のパンを味見、小さくちぎったのをいつも手から食べる。食パン、丸いパンよりも、クロワッサンが好きなのだ。鼻をクンクンさせて匂いを嗅いでから、よく噛んで食べる姿が何とも愛おしく、一つの食べ物を分け合う喜びを感じてしまう。今日の朝は、パートナーと何か食べただろうか。窓辺の席から、街を行き交うソウルで暮らす人々を眺めながら、そんな事を思った。
骨董街は古い雑居ビルの一階に小さな店がひしめき、街を形成していた。店の中だけではなく廊下にも、お皿のような小物から家具まで積まれていた。その中で気に入ったお皿を見つけたので、側の店に入るがうちのじゃないと言われ、違う店を教えられたが結局それがどこの店なのか分からなかったので、また同じ場所に戻す、縁がなかったのだ。本に載っていた骨董屋さん「タプシムニ」で、スッカラを購入。お店に置かれていた本の奥付ページを開いて友人の名前を指して、この人は僕の友人だと伝えると、店主がすごく喜んだので、記念に一緒に写真を撮影した。もっと骨董を見たい気もしたが、よく考えてみたら、我が家にはたくさん骨董品があるじゃないかと、急に現実思考に。
骨董屋さん「タプシムニ」の店主と
いつもは、朝と夜の二食で済ませる事が多い。しかし、旅先ではお腹が空くもの。そこから歩いてすぐ、本の中に掲載されていた「ヒスネ センサムギョプサル」という、サムギョプサル屋さんへ向かかう。昔は、ガイドブックを読みながら写真を指さし注文したり、あの人が食べてるのが食べたいとジェスチャーで伝えていたのは昔の話。今はスマホでメニューを撮影したら簡単に翻訳されて、何でも分かってしまう。便利と言えばとても便利、味気ないと言ってしまえば味気ないが、オーダーはスムーズな方が、食べたいものを食べられる。店員さんにビールとサムギョプサルを頼んだ、僕はアルコールを飲まないので、お茶はないかと尋ねたら、メニューにはないようだったが、おばちゃん達がガサゴソ探して店にあった適当なお茶をサービスで出してくれた。こういうところ、優しい国民性だなと思う。東京だと、だいたいメニューにないと断られて終わり。もちろんソウルのお店全部がそうではないし、東京にもそういうお店だってあるとは思うけど。旅先で触れるちょっとしたこういう優しさは、特に嬉しく感じる。サムギョプサルは、ベーシックで素直な美味しさだった。焼いた豚肉をサンチュやレタス、エゴマで包み、キムチをのせて食べるのが好き、コチュジャンは使わない。僕はとにかくキムチが好きなのかも知れない。
「ヒスネ センサムギョプサル」にて
ややサムギョプサル臭さを感じながら、そのまま野中氏行きつけの器屋さんに連れて行ってもらう。韓国の作家さんの器がずらりと揃う「SIKIJANG」、ガラス張りで白を基調とした明るい店内は器が映え、どれもこれも目移りしてしまう。高揚する気持ちと、我が家の食卓を照らし合わせながら、大きな歪んだ楕円の皿、小鉢、梅干しなどを入れる白磁にシンプルな花が描かれた蓋物を選んだ。買い物欲が、すっかり満たされた。次にソウルへ来る時も、必ず訪問したいお店。一度、ホテルに荷物を置きに帰り、この日から開催される「FRIEZE」(アートフェア)に出かけた。2003年からロンドンで開催され、韓国では昨年からアジアで初の開催、アートシーンを盛り上げている。会場は江南エリアのCOEX、会場に着くとエントランスには、FRIEZEとボディに記された、最新のBMW7シリーズがずらりと並んでいた。これまであまりピンときていなかったけれど、経済とアートが敏感に繋がっている事を痛感した。しかし、それは昔からそうであったと後から再認識した。今回は、世界から120ものギャラリーが参加して、様々な作家の作品を見る事が出来る。もちろん購入できるけれど、購入出来る金額のものがない。全ての作品をしっかり見てしまうと、時間が足りないので流し見。いつも、お告げをくれる友人から「水墨画」と言われていたが、李禹煥の作品に惹かれた。もちろん気軽に買えるわけもなく引き下がった。そのまま、皆でソルロンタンを食べに出かけた。他にもアキレス腱を煮込んだような鍋もあって、どれも美味しかった。韓国料理は、本当に食材を無駄にしないなあとつくづく感心した。滞在中、キムチをたくさん食べているからか、健康状態も良い。
迎えた最終日、野中氏と朝からお粥を食べに出かけた。日本や中国のお粥も好きだけど、韓国のお粥もまた違う風情で美味しい。中華粥とは違って汁っぽくなく、煮込まれた感じがする。カボチャのお粥も甘くて好きだけど、今回は王道の鮑粥。甘くない小豆のお粥というのにも惹かれたが、小豆は甘い方が美味しい気もする。野中氏はまだあと一泊する予定だが、僕はホテルをチェックアウト、FRIEZEに関連し、様々な展示をしているソウル市中のギャラリーを、チャーターした車で巡る。「Pace Gallery」では、奈良美智さんの陶器の作品がずらりと並んでいた。表参道のAtoZカフェに行っていた頃が懐かしい、小さな作品でも高級車が手に入りそうな価格帯だった。他にも数カ所まわり、ランチタイム。最初、冷麺屋さんに行こうとすると、そのお店は大混雑で、すぐ近くの市場の中にあるユッケの専門店に行った。まわりの市場も散策、肌触りの良いイブル(大きな多様布)を購入。まだ生きているぶつ切りのタコも食べた、美味しいというか食感と生命力の味。ユッケも久しぶり、臭みとかそういうのは全くない、ただただ生命力そのものを感じた。
野中氏はギャラリー巡りの続きを、僕は空港へ向かう時間が迫ってきた。車からスーツケースをおろし、別れを告げてタクシーに乗り込んだ。ホッとして水を飲もうとした瞬間、さっきの車の中にリュックを忘れた事に気がついた。明日、野中氏も帰国する、ごめん忘れ物と頼めば良いかと一瞬思ったが、パソコンも入っているから仕事が滞る。まだ間に合うと、タクシーを無理矢理停めてもらい、まだ後ろにいた車に向かってダッシュ。リュックを無事に受け取り、再びタクシーに向かい走った。嫌そうに待ってくれていた運転手に謝ると首を傾げられ、渋滞のなか空港へと向かった。行きの飛行機とは大違いの、1時間前に到着、それでもスムーズに飛行機に乗る事が出来た。
ずっと介護やら何やらで、元気なようでも、心は塞いでいた。今も自由になったとはいえ、心のどこかには重石が乗っていた。夏の暑いソウルの街で、忘れ物をとりに夢中で走っている時、何かがスカッと解放され、大袈裟かも知れないが"自分はいま生きているんだ"という事を実感した。きっと野中氏がいなかったら、僕はまだ旅に出なかったかも知れないし、そういう感覚すら取り戻せずにいただろう。また旅が出来る人生に戻ったんだと、飛行機が羽田へ着く夜景を見ながら少し嬉しくなった。タクシーに飛び乗り、家に着いたら玄関でチョビが「ニャア」と元気に鳴いて、思わずぎゅっと抱きしめた!