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「あまはい、くまはい、いちむどぅい 沖縄で考えることばのいろいろ」島袋盛世・兼本円・髙良宣孝

第14回 琉球黒檀 クルチ、クルチウィレー/兼本円

「あまはい、くまはい、いちむどぅい」、兼本円さんの第5回。沖縄の音楽に欠かせない琉球黒檀をめぐる、沖縄語の思い出から。

 今回もあまはいして、木の話になる。ところで「あま」とは対義語の「くま」とは異なり、英語のthere(「あそこ」)になる。話者から離れた場所になるが、「くま」はhere(「ここ」)で、話者から近い場所になる。本題の琉球黒檀」は名称の初めに「琉球」とあるので沖縄の人にとって身近なものを指して、「くまはい」とする方が良さそうだが、敢えて「あまはい」とする。その理由は現在琉球黒檀を「ここら辺」(くまりかー)で見ることができないくらいに激減しているからだ。あまはいして出かけないと見つけられない。ハイビスカスのようにあまくま(あちこち)で見ることができなくなった。
 私の島くとぅばでは「黒檀」を「クルチ」と呼んでいるが、この木は沖縄にとって重要な木である。三線(サンシン)の竿に使用されているし、高級な仏壇の木材としても使用されている。歌と三線を愛する者、先祖を愛する者にとってクルチは欠かせない木である。この状況を憂えた宮沢和史氏(「島唄」の歌手)が、2012年に音頭を取って沖縄でクルチの植林活動を始めている。なんとかこのクルチが育って三線と平和を祈る心が絶えないように願うばかりである(クルチが成木となるには百年はかかると言われている)。存続危機に面したクルチであるが、個人的に少々ユーモラスな話があるので披露させて頂きたい。
 下記にある写真は拙宅の坪庭にあるクルチである。父が家を建てた後に伯父がクルチの苗を祝いとして持って来てくれた。見ての通り幹が黒く堅そうである(黄色の粒は実で、食することができる)。伯父は父より三、四歳年上で時折島くとぅばで話をしていたことを思い出す。素朴な言葉使いを好む伯父はクルチを父に差し出しながら、ニコニコして「ウリ、クルチウィレー」(ほら、このクルチを植えなさい)。それに対して父も満面の笑みを浮かべて受け取っていた。当時私は小学校四年生であった。つまり、「クルチ」は腕白な私の話し言葉では「クルスン」(コテンパンにする)の連用形でしかなかった(腕白時代には草木の名前は殆ど知らなかった)。なぜ優しい伯父が笑顔で「ほら、これをコテンパンにして植えなさい」というのはどういうことか。それをまた父も同じ笑顔で受け取るとは、どういうことか。指示通りに植えても育つはずはないではないか。伯父が帰って後に父にこの件を尋ねると再度同じ笑顔でこの木の名前とその素晴らしさを教えてくれた。あれから50年の時が経った。その間に我が家を二度改装・改築をした。そして同じ土地に新築した。その際にはこの木が建築上邪魔になることを指摘された。足場を組んだり、トラック、重機を入れるためだったり。しかし、先のユーモラスな思い出があるために倒木せずに農園に一旦預かってもらうことにした。そしてこの木は枯れずに現在に至る。息子たちにもこの話しをしてやりたいが、未だに出来ないままである。
 クルチを前にしてはこの話しを思い出して独りニッコリしている。一旦息子たちに共通語で伝えることも考えてみたが、私の技量ではうまくいかない。しかし、依然として胸中には何とかしたいという思いがくすぶっている。時節の挨拶のために数年前に伯父宅を尋ねた時のことである。 気前の良い伯父は「この三線、持って行きなさい」と言って見事な三線を一竿渡してくれた。クルチの竿である。既に持っている三線と合わせると、我が家には三線が二竿あることになった。庭のクルチと合わせると3本あることになる。
 島くとぅばの活性化が新聞紙上で取り上げられている昨今。せめて自分の家庭では下手であっても三線を奏でる夕べを楽しみたいと思う。そう思っていた矢先に息子のジャージの上着に”Linguistic Revitalization”(言語活性化)との英文が記されているではないか。これはもう、何かのお告げではないかと思っている。

 次項ではアマクマで見られる「ガジュマル」(「榕樹」)について語りたいと思うので、ご一緒下さい。

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著者略歴

  1. 兼本円(かねもと・まどか)

    琉球大学教授。インディアナ大学卒、同大学で修士号取得。専門はコミュニケーション学、非言語コミュニケーション論。主な著書に『言語教育学入門』(共著、大修館書店)、『地球市民としての英語』(共著、英宝社)など。

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