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「あまはい、くまはい、いちむどぅい 沖縄で考えることばのいろいろ」島袋盛世・兼本円・髙良宣孝

第12回 ヘアスタイルは時代を映す鏡/髙良宣孝

「あまはい、くまはい、いちむどぅい」、今回は髙良宣孝さんの第4回。米軍が沖縄にもたらしたのは英語だけではありませんでした。

 時代が変化すると共に私達の生活も様々な影響を受け変化していく。ヘアスタイルもその1つだろう。例えば、1956年に芥川賞を受賞した石原慎太郎のヘアスタイルが「慎太郎刈り」と呼ばれ、若者の間で流行した。1960年代には、世界的ロックバンドのビートルズのヘアスタイルである「マッシュルームカット」が一大ブームを引き起こした。その後も、1980年代の「チェッカーズカット」、1990年代の「ロン毛」、2000年代の「ベッカムヘア」等多くのヘアスタイルが流行の最先端となり、特に若者の間で普及していった。同様の現象が第二次世界大戦後の沖縄でも見られた、と父から聞いている。その当時のヘアスタイルの変遷は、米軍基地で働く軍人のヘアスタイルに由来するものである。今回のエッセイでは、父の話を基に、戦後の沖縄で流行したヘアスタイルとその名前を紹介しながら、当時の沖縄を振り返っていく。
 父によると、もともと沖縄の男性の多くが「タンメー刈り」と呼ばれるヘアスタイルにしていたようだ。「タンメー」とは沖縄の言葉で「おじいさん」のことで、「タンメー刈り」とは上部は3~4センチほど残し側面は短く刈り上げるヘアスタイルで、ほとんどの沖縄人男性はこのヘアスタイルだった。
 父によると、沖縄に最初に入ってきたアメリカ軍は、陸軍(Army)と空軍(Air force)だった。父の記憶では、陸軍兵や空軍兵のヘアスタイルは特に沖縄の男性のヘアスタイルに影響を及ぼすことはなく、多くの男性のヘアスタイルは「タンメー刈り」のままだった。
 しかし、その後に沖縄にやってきたフィリピン人兵のヘアスタイルが沖縄の男性の流行を変えていった。フィリピン人兵は主に基地内でガードマンとして働いていた。彼らは、おかっぱ頭のように髪を肩のあたりまで伸ばし、その髪を全て後方に向けて流し固めるようなヘアスタイルをしていた。沖縄の人々はこのヘアスタイルを「オールバック」と呼んでいた(恐らく現在の「オールバック」と同じであろう)。このヘアスタイルは他の米軍人がやることはなく、フィリピン人兵のみがやっていたそうだ。フィリピン人兵のこのヘアスタイルが「カッコイイ」と評判になり、多くの沖縄人男性がこのスタイルにしたそうだ。フィリピン人兵が沖縄にやってきたことで、ヘアスタイルだけでなく彼らが話すタガログ語の語句も沖縄に広まっていった。父が教えてくれた語句の1つが「パタイ」。意味は「死ぬ」で、これはタガログ語の“patay”に由来する。1 もう一つが「プータンギー」。父自身正確な意味は分からないらしいが、フィリピン人兵がよく使っていた言葉で、どちらかと言えば「悪い言葉」として使っていたようだ。インターネットで調べてみると、タガログ語に“putang ina (mo)”という表現があり、「こん畜生」という意味になるそうだ。2 恐らくこの表現が父の言う「プータンギー」ではないだろうか。今回父が教えてくれたタガログ語由来の語句はこの2つだが、何故この2つが沖縄で使われるようになったり、沖縄の人々に認知されるようになったりしたのだろうか。正直なところ推測の域を出ないのだが、恐らく上記の2語のもつ「意味」と関係し、スラングとして広まったのではないかと考える。新英語学辞典によれば、スラングは非常にくだけた口語で下品・下劣になり、また標準口語でタブーとされるような事柄はスラングになりやすい一方で、スラングが使われる動機として「新しさ」「親しさ」「力強さ」を求める心理からきていると考えられる。3 「死ぬ」や「こん畜生」といった語句は時として下劣な言葉でタブー視される可能性もあり、これに代わる表現をスラングとして使用する可能性は十分にあり得るだろう。さらに、「新しさ」という観点からフィリピン兵が話すタガログ語から表現を取り入れてスラングとして使っていくことも考えられるのではないか。他にも沖縄で使われるようになったタガログ語由来の語句があるかもしれないので、どのような語句が使われるようになったのか今後調べてみる価値はあると思う。
 フィリピン人兵の次に沖縄にやってきたのが海兵隊員(Marine)だった。それ以降海兵隊の基地は沖縄に広がり、現在でも米軍基地の多くが海兵隊の基地である。 彼らのヘアスタイルは「マリーンカット」と呼ばれた。ほぼ丸坊主に近い感じの「マリーンカット」は、側面は非常に短く刈り上げられ、上部も一分刈りから五分刈り程度だったというのが父の印象である。海兵隊員は「一線部隊で活躍する気性の激しい兵士」と考えられ、彼らが沖縄にやってきた当初は沖縄の人々にとって「恐ろしい存在」だった。しかし、時間の経過と共に、海兵隊員のヘアスタイルが沖縄の男性にとって「イケてるスタイル」となり、多くの男性がそのヘアスタイルを真似ていった。
 戦後沖縄の男性のヘアスタイルの変遷は、米軍人、特にフィリピン人兵や海兵隊員の影響が大きい。彼らの存在が「オールバック」や「マリーンカット」といった当時の沖縄での流行を作り上げたと言っても過言ではないだろう。その意味で、戦後沖縄の「ヘアスタイル」はまさに当時の沖縄を映す鏡と言えるだろう。

1 「私のウチナーグチ考 第9回 オバア達の外来語・その4」
http://www.champroo.com/Uchina-guchi/text9.html) 2022年9月20日閲覧
2 へびぱく「Putang ina(プータン イナ)」
https://ameblo.jp/hebipaku/entry-12197327854.html) 2022年9月20日閲覧
3 大塚高信、中島文雄 監修(1995)『新英語学辞典』pp. 1120-1123 研究社。

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