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「あまはい、くまはい、いちむどぅい 沖縄で考えることばのいろいろ」島袋盛世・兼本円・髙良宣孝

第8回 植物の名前――「サルスベリ」, crape myrtle, [ハゴーギー]/兼本円

「あまはい、くまはい、いちむどぅい」、今回は兼本円さんの第3回。今回からは、植物の名前を、日本語、英語、そして沖縄語でのちがいを見ていきます。

 「サルスベリ」の幹は滑らかで「猿も滑ってしまう」ほどだと言われている。木肌に注目しての名づけだ。少年の頃の記憶だが、近所の優しいオバー(おばあさん)が庭のこの木を触らせてくれた。なるほど、腕白猿の私でも滑ってしまいそうな肌触りであった。懐かしい思い出が蘇ってきた。あれから長い時が経ち、そんな記憶も失せてしまった頃にワープロで「さるすべり」と入力してみた。即、「百日紅」と変換されて出てきた。この名は花の命の長さに注目した別名だ(因みに「千日紅」は別の草花である)。ならば英語名はどうだろうか。crape myrtle がその名である。どこに注目しているのか。花の形である。花弁が縮れているために縮緬、クレープを連想させるのだ(ひと頃流行った甘い香りのあの食べ物も同じくクレープだ)。これら3つの名前は「木肌」、「花の命」、「花の形状」に視点を絞っている。ならば、島くとぅばはどこに注目しているのか。ユーモアが潜んでいるのか、美しさを表わすのか。さぞかし期待される方もいることだろう。しかし、「ハゴーギー」がその名である。この名前を耳にした時にはひどく落胆したものだ。というのも「ハゴー」とは「汚い」である。2つの和名には「ユーモア」があり「美しさ」もあるし、英語名は美味しいスイーツをも呼び起こしてくれるのに。どういうわけで汚い名前になったのか。小学校5,6年生の頃に発見したこのガッカリの島くとぅばの名前はしばらく忘れていたが、自らが考えたこの名付けの理由は思い出せた。この花はあちこちに落下し回りを「汚く」しているし、ハエまでたかってくる、だからだ。「ざまーみろ、まさにうってつけの相応しい名前だ」、と思っていた。
 しかし、時が経って「ティーハゴーサン」という表現を知るようになった。意味は「目の前の人の手(ティ)際が悪くて、見ていられない」、故に手助けをしたい気持ちにかられて自らの指までもが実際に動いてしまう、「もぞもぞしてしまう」ということだ。
 そこまで書いても説明不足の感じが残るので、細かい状況設定をしてみます(自らのことばを説明することの難しさよ!)。庭師と庭の主がいます。庭師は「ハゴーギー」の木の枝を剪定しようとして枝を掴みますが、細くしなやかな枝ゆえに、その枝も他の枝までもが揺れてしまい邪魔をする。彼はもどかしさと苛立ちを感じて、手をこまねいてしまう。そんな気持ちから彼の指も枝のように揺れることになります。傍で見ている庭の主も手助けをしたいが出来ないままなので同じく感情移入をしてしまい、指がふるえてしまう。
 「ハゴー」は「汚い」であるが故に「かたづけたい」気持ちを呼び起こします。その際に、綺麗にしたいがかたづけるのが容易でない場合には手をこまねき、指が揺れ震えることになる。ここまで記すと、サルスベリの花の美しさ、その枝の揺れ、剪定する人と彼を見守る人の苛立ちと指の揺れが絵のように浮かんでくる。そこにユーモアを感ずるのは私だけだろうか。
 今ではこの木を「ハゴーギー」と呼ぶ人は少ない。試しに近所でこの木の花を見事に咲かせている人にその名を尋ねてみた。「サルスベリさー、百日紅とも言うらしいね」としか答えてくれなかった。彼に「ハゴーギーというんです」と教えても、逆に気分を害されることだろう。説明してあげたい、しかし、気を悪くされるかも知れない。今現在私の指は震えないが、気持ちは揺れる。このような状態も「ハゴー」と言えなくもない。
 思い出を辿ろう。この木を触らせてくれたオバーは島くとぅばの名前を知っていたのだろうか。もしかすると彼女は知っていたが、木の美しさだけを憶えていてほしかったから語ってくれなかったのかも知れない。そんな優しい思いやりからも島くとぅばは少しずつ忘れられていく……のかも知れない。チャンプルー文化と一口に言っても、かなりの複雑さを実感させられた。これも「ハゴーギー」からの恩恵である。
 下の写真は近所の「ハゴーギー」である。触ると確かに揺れた。

 次項でも草花と木々の名前をあまはい、くまはいしてみたい。

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