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「あまはい、くまはい、いちむどぅい 沖縄で考えることばのいろいろ」島袋盛世・兼本円・髙良宣孝

第2回 「チャンプルー文化」の発想/兼本円

「あまはい、くまはい、いちむどぅい」、今回は異文化コミュニケーションを専門とする兼本円さん。料理で有名な「チャンプルー」ですが、それを冠した「チャンプルー文化」とは?

 沖縄を訪れたことのあるなしに関わらず、読者の方々は「チャンプルー文化」ということばを見聞したことがあると思う。今ではこのことばは沖縄の代名詞になっている。旅行雑誌にも名所と伴に「トーフチャンプルー」、「ゴーヤーチャンプルー」、「ソウミンチャンプルー」、「フ―チャンプルー」を提供する穴場食堂等が紹介されている。
 「チャンプルー」とは、異質と思しきものを混ぜて(チャンプルーして)、好ましい新しいものを作り出すことをいう。近年では「タコス」がその殻(シェル)を取り払ってライスの上に具を乗せた「タコライス」として誕生している。「スパムスビ」も誕生した。元々家庭、大衆食堂にあった素朴なメニューの「ポーク卵」(焼いたスパム、目玉焼き、ライス)がハワイ経由でおにぎり化して「逆輸入」されたものだ。長方形の「スパム」と「卵焼き」を二枚重ねのライスの中にサンドイッチ風に入れて、その上を海苔で包んでいる(因みに歌姫、成底ゆう子も『ポーク卵』」を歌っている)。新聞は「スイーツかまぼこ」の誕生も報じている。衣類ではハワイ経由で誕生した「カリユシウエア」もチャンプルーである。「アロハシャツ」が沖縄風にチャンプルーして出来上がっている。住まいも和洋に沖縄をチャンプルーした家屋を見ることができる(コンクリに沖縄赤瓦屋根、内部に床の間、シーサーが迎える門)。
 結婚披露宴の幕開けには古典の「かぎやで風」が厳かに踊られるが、お開きには新郎新婦、来客が一体となる「カチャーシー」が踊られる。「カチャーシー」とは「混ぜる」の動詞「カチャースン」の名詞形である。カチャーシーで「祝われる者」と「祝う者」が一体化、チャンプルー化される。話は飛躍するが、30年以上も前に南カリフォルニアを訪れた時のことが思い出される。かの地の「沖縄県人会」の祝いに立ち寄ると、会員が自己紹介をしてくれた。当然、大半が沖縄を出自とする方々であったが、ちらほら「新潟です」、「横浜です」、「茨木です」という人まで握手を求めてきた。会長さんに小声で「どうして?」と尋ねると、即座に「沢山いた方が楽しいでしょう」との答えが返ってきた。外国に来て改めて「チャンプルー文化」の大らかさを見直すこととなった。
 「島唄」はどうか。以前は「沖縄の人」が「島くとぅば」、「沖縄の楽器」を使って「沖縄の事を」歌うもの、との定義があった。しかし、現在はどうか。喜納昌吉ひきいる「チャンプルーズ」は二つ目の要素「島くとぅば」を抜きにして「花」を歌っている。宮沢和史の「島唄」はどうか。彼は生まれも育ちも沖縄ではない。しかし、沖縄の人でこの歌を「島唄」と見なさない者は皆無であろう。沖縄民謡会の女王、大城美佐子は去年亡くなったが、愛弟子の堀内加奈子は生まれも育ちも北海道だ。彼女はセネガルのアーティストとアフリカの楽器「コラ」を取り入れて歌っている。親しんできたものに新しいものを取り入れる、チャンプルー化の例はまだまだある。ビギンはどうか。かれらの「三線」と「ギター」がチャンプルー化されて「一語一会」なる楽器が生まれている。「オキハワ」は、「ウクレレ」と「三線」をチャンプルーしたものだ。この楽器のおかげだとは断言できないが「涙そうそう」はハワイアンの大御所ケアリ・リシェルがKa Nohona Pili Kaiとして歌っている。ハワイの方も「チャンプルー」の視点を取り入れている。
 チャンプルー文化は斬新な物事を作り出すのではなく、地元にもその他の地域にも新しく且つ懐かしいものを作り出していくに違いない。「島唄」の一節にもあるように、「海を渡り」羽ばたいて行くことになるだろう。次回は文化の根幹であり発想の源ともいえる言語の中にチャンプルー文化を見て行きたいと思う。

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著者略歴

  1. 兼本円(かねもと・まどか)

    琉球大学教授。インディアナ大学卒、同大学で修士号取得。専門はコミュニケーション学、非言語コミュニケーション論。主な著書に『言語教育学入門』(共著、大修館書店)、『地球市民としての英語』(共著、英宝社)など。

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