2025年2月
高柳さん
全然明るくないお正月をお過ごしになりましたね。体調が早く良くなることを祈っています。
私は、ニューイヤーが過ぎると1月と2月は喜びのない時期と考えています。戦争のずっと前もそう感じていました。シベリアの気象の影響もあると思いますが、子供の時に初めて死を経験したのは2月だったという事もあります。その時、"February"(ロシア語だと同根の"февраль")という言葉の語源は死者の神のフェブルウスの名前だと知っていて、「死」と「2月」は自分の中で混ざり合ってきました。なので、戦争が2月に始まったという事だけには驚きませんでした。自分はもちろん、占い師の才能はありません。占いは少しも信じていないし。しかし、なぜか2月はロシアには明るくない月ですね。「2月だ。インクをとって 泣け!」ボリス・パステルナークの詩の通りですね。
その詩は、何回か現代の詩人たちに引喩的に言及されています。パステルナークの時代を想像も出来なかった私たちは、パステルナークが想像も出来なかった時代に生きることになってしまいました (生き延びると言えばいいのでしょうか……) 。
しかし、文学は沢山の人の救いになった気がします。少なくとも、私はそうです。ROARを翻訳することは、切ない孤独の対策になりました。戦争が始まった頃、急に自分の気持ちを共有できる人の少なさを意識し、ロシアを離れてからロシア人と繋がりを失ったことを後悔しました。海外の友達と会うと、みんなは普通に冗談を言ったり笑ったりして、前の交友関係はもの足りないと悟りました。その時にROARと出会うことは、2月の真っ只中に大きくて暖かい布団に包まれるようなことでした。
この3年間(私がROARのチームに参加した頃から数えると2年半)を振り返ると、ROAR自体も変わりましたね。いいえ、ROAR自体より、ROARの寄稿者の表現でしょうか。私はずっとROARを歴史の記録として考えていました。小説みたいな散文は時間が経ってから現れ、距離が許す客観的な視点から時代を描いて分析しますが、ROARで寄稿されている詩やエッセイは目撃者の証言に近いと思います。様々なバックグラウンドの人たちがその瞬間に感じたことを叫ぶと、その叫びはある意味ロシアの市民の合唱になるでしょう。特に、詩を通じて生の感情がよく伝わると思います。
今は、ロシア語版は16号まで、日本語版は13号まで公開されていますが、詩人たちのトーンが変わってきましたね。3年前の痛みの叫びは、だんだんスタイル的に調整されて、「文学」と呼べるものになり、内容ももう少し冷静的になりましたが、私は初めて一緒に翻訳した5号の詩を思い出します。
クリスチーナ・ソロヴェイチクのシンプルで、修辞技法はほぼ使われていない詩の最後の一行、まさに当時、詩人たちが向き合った状況を反映します:
思考が大きくて
頭に入らない(*1)
新たに起こった悲劇は当時はまだ頭に入らなくて、シンプルな表現にしかなれませんでした。
もう一人の詩人、リューバ・マカレフスカヤの作品の中で、以下の言葉がありました:
冷酷さが
私たちを
血と涙
に分けた
視力を
連続の
目撃に
変換した(*2)
この言葉も、当時の詩の役目を要約するのではないでしょうか。
しかし、数年がたったら、表現は成熟した気がします。歴史上の自分の位置を考えている詩人が増えてきて、だんだんロシア社会で起こっている社会学的、哲学的な議論に関わる詩も増えてきました。同時に、徐々にロシアの作家たちが戦争時代を舞台にした小説を出版し始めています。3年たった今、何かが変わってきました。トラウマの第1段階の否認が終わっているところなのでしょうか。そうでしたら、喜ぶべきことですが、否認の後で来る怒りの段階は、どのような形になるか私は心配です。
しかし、未来の状況にかかわらず、新しい文学の立ち上がりを目撃できたことに感謝します。2年半前はまだ液体アスファルトのように形のなかったロシアの現代詩はだんだん固まり、道になりました。この道はどこに通じているのでしょうか? ゴーゴリの「疾走するトロイカ」は、この道に沿ってどこへ行くのでしょうか?
プリマック・アレクサンドラ
*1 https://www.roar-review.com/ROAR-5-f94eab73ea3f478ca287c86a6ec37d51?p=ba815acd6be14d07a8e2c237a57e97fb&pm=c
*2 https://www.roar-review.com/ROAR-5-f94eab73ea3f478ca287c86a6ec37d51?p=dd774cbcc5b7477db2ed5fb67073e858&pm=c
アレクサンドラさん
お手紙を何度も読み返しました。あの日から、ついに3年が経とうとしています。
私の個人的なお話をまずさせてください。実は、2月24日は私の母の命日なのです。だから、私にとっても2月は「死」のイメージを帯びていたのだといえます。私と母の関係は幼い頃から複雑だったので、母の死という出来事とともに、子どもの頃の苦い記憶に苛まれるのもまた2月のお約束になっていました。
2022年のあの日は、母の23回忌(仏教の年忌法要です)でした。23日に法要を済ませた私たちは、もうすぐ東京を離れて地方に移住する予定だった弟と久しぶりに箱根の温泉に行きました。一泊して東京に戻る車の中で、ぼんやりとスマホを見ていた私の目に、軍事侵攻開始のニュースが飛び込んできました。とても爽やかな快晴の午後でしたが、視界が狭くなったような感覚に陥り、ただ呆然として、救いを求めるようにロシア語のニュースやSNSをスクロールし続けていました。私にとっては、あの日に世界が変わったといってもいいほどです。
『ROAR』の発起人リノール・ゴラーリクは、以前から私の好きな作家でした。多才な彼女のSNSはいつも楽しく、当時は「カピバラくん」シリーズのコミックスを描いていたのに、あの日から、がらりと様子が変わってしまいました。そして私は、「何かできないだろうか」と思案する彼女が、やがて『ROAR』を立ち上げる様子を目にしました。その後は、昨年のお手紙に書いた通りです。
同時に、日本で生まれ育った私は、「戦争など起こるわけがない」と長いあいだ疑いもせずに固く信じていたのだということも自覚しました。ある時期までの日本には、この国では戦争は起きないという確信が確かにあったと思っています(残念ながら今は変わってしまいました)。
ロシア人と話しているときに、「戦後に……」と私が言うと、「どの戦争の後?」と訊かれたことは一度や二度ではありません。その都度、ロシアでは、どの世代の人も戦争体験者なのだと思い出すのです。長い「戦後」を過ごしてきた日本で生まれ育った私には、ロシアで生きる人たちを(そして、その他の地域で戦争を体験している人たちを)理解するためには、もっと大きく、かつ精巧な想像力が必要なのだと、いま感じています。そして、そのために努力するときに、私を助けてくれるのはやはり文学なのだろうということも。
アレクサンドラさんのご指摘の通り、初期の『ROAR』に寄せられる作品には、ロシア人たちの羞恥や後悔、落胆の気持ちが溢れていました。作品としては洗練されていないものの、戦争を、それも身内や友人たちの国であるウクライナとの戦争を嘆く人たちの張り裂けそうな鼓動の音が聞こえてくるかのようでした。詩が、同時代の感情の記憶を刻み付けるものであることを、ひしひしと感じる一瞬、一瞬がそこにありました。
ハンガリーの哲学者アグネス・ヘラーは、悲劇(アウシュヴィッツ)を取り巻く沈黙を破るために書かなければならないと言っています。人びとが罪の意識や羞恥ゆえに沈黙するとき、あるいは、黙って死ぬしかなかった人たちの沈黙を記さねばならないと。この3年の間に、日本でも、この戦争をめぐって騒々しい声や議論を多く耳にしました。戦争に反対するために自分ができることとして、私は『ROAR』の翻訳を選びました。『ROAR』の存在はいまの世界の小さな希望でもあるし、日本語版の編集を担当してくれているSさんが、あるとき、「『ROAR』がなければ生きていけなかった」と話してくれたことが、ずっと胸にあるからです。
16号まで出た『ROAR』には、文学性の高い作品が増えてきました。いずれ大きな作品が生まれるだろうというゴラーリクの最初の「予言」は、近い将来、現実となることでしょう。
歴史には息抜きもなく闇ばかり
けれど通行不能のロシア語に
蝋燭を立て指を焼け
母が息子と永久の別れに涙するあいだ
けれどロシア語で泣け喚け
甘い言葉を集めて言葉は血まみれ
ありがとう私の息子たちはいない
栄誉をわけてくれずありがとう
彼らを救いたまえ神よ死んだ者と生きている者たちを
ロシア語に打ち込まれた殺された者たちを
踊れ砲火に斃れ詩行の手のひらで
闇の中の沈黙も叫びも、それがロシア語で書かれたならば、日本語の読者への小さな架け橋となることができる――それが私の仕事のようです。
最後に、良いニュースがあります。『ROAR』の日本語翻訳チームに新しい訳者(Kさんと言っておきましょう)が加わります。これもまた、死の季節に芽吹いた希望のようです。今度、三人でお茶でもしましょうね。春が待ち遠しいです。
高柳聡子