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往復書簡 「あなたへ」と「あなたから」のあわいで 高柳聡子/アレクサンドラ・プリマック

2024年6月

高柳さん

 

 返事が遅くなってすみませんでした。

 やはり、少しだけでも現代ロシア文化に触れると、どうしても「亡命」という言葉がインク染みのように他の言葉を覆いますね。自分にとって10年以上考えていたテーマの一つなので、もう少し亡命のお話をさせてください。

 高柳さんがおっしゃる通り、亡命には悲劇性があると思います。自分ももちろん、自由にロシアに帰ったり、友達を連れて行ったりできる世界を望んでいます。普通の市民としてですね。ただ、悲劇性というものは、必ずしも悪いことではないかもしれません。少なくとも、アーティストと作家を考える場合は。

 日本でよく聞かれることがあります。「ロシア人はどうして暗くてダークなものが好きなのですか」という質問です。最初は本当に好きかどうか悩んでいましたが、やはり好きなのかもしれません。ただし、「暗い=落ち込む=悪い」と私たちは思わない気がします。暗いものは大体、人間の本質、存在の核心に繋がります。つまり、「暗い=意味を持っている=向き合うべき」という式がロシアの一般的な考え方ではないかなと思います。その考え方には危ない面もあり、いい面もありますが、今回は文学の話に狭めて考えてみましょう。

 スターリン時代が恐ろしかったことに異論を唱える人はいないと思います(ロシアの中にまだ異論を唱える人はいますが、その人たちを例外だと信じたいです)。しかし、ご存知の通り、文学史を見るとスターリン時代が幾人かの天才を生みました。天才の小説は、天才の愛の詩と同じく、深い痛みからしか生まれないという説はよく知られたロシア文学の土台であり、秘訣であるのではないかなと思います。

 一つだけ過去のエピソードを語らせてください。

 私は2016年の冬にモスクワにいました。運命のいたずらで、当時自分が論文の主題にしていたヨシフ・ブロツキーの翻訳者と、当時まだ悪の象徴になっていなかったモスクワ・シティ(*1)で飲んでいました。周りでは美しい服を着た人たちがパーティをしているなか、その翻訳者が私の方へ身をかがめて、こう言いました:

 「ブロツキーは何で27年間、ずっと同じ女の人に詩を捧げたか、分かる?」

 私は息を止めて、耳を傾けました。

 「27年あれば、どんな失恋でも癒えるでしょう。でも、彼はわざと自分の魂を針みたいにペンで刺して、痛みが落ち着かないようにした。素晴らしい詩を書き続けるために」

  すみません、長くなってしまいましたが、言いたいことはとても簡単です。現在、たくさんのロシア人は亡命しなければならない状態になって、それは悲劇にしか思えません。もちろん、スターリン時代みたいな時代にならないで欲しいし、出来るだけ皆が苦しまない人生を送って欲しいです。けれども、今のままでしたらロシア文学の未来に対して、私は心配しません。亡命の経験はロシア文学の質を高めるはずです。それでしたら、個人的に私はこの亡命の負担を受け入れます。

 

 ただ、もう一つの問題は高柳さんが言い及んだテーマに繋がります。

 高柳さんが気に入っている若い作家や詩人たちに、ロシアの地方都市出身の人たちが多いということは、偶然ではないと思います。現在最も影響力があるロシアの文芸評論家のガリーナ・ユゼフォヴィチによると、何十年もかかったプロセスではありましたが、ちょうど戦争が始まる前に地方文学が栄えました。しかし、今の状況を見ると、ローカルのアイデンティティより国民のトラウマの方がまた大きな話題になるでしょう。そうなると、地方という文学の一つの可能性が残念ながら失われるかもしれません。

 高柳さんは、どう思いますか? これからのロシア文学は亡命した人たちの力で世界文学に統合されますでしょうか? 逆に、検閲に絞め殺されて、衰退しますでしょうか?

 ご意見をお聞かせください。

アレクサンドラ・プリマック

*1 モスクワ国際ビジネスセンターも呼ばれる。モスクワ中心部における都市再開発プロジェクトおよび地域の名称。2023年夏、象徴的価値のためウクライナ軍に攻撃の対象に選ばれた。

 


 

アレクサンドラさん

 

 「亡命」のお話、とても興味深く、何度も読み返しました。

 私はちょうど、ロシア文学の新しい亡命の波について考えていたところです。この二年間でロシアを出た作家や詩人たちは、ロシアを離れる悲しみや苦労はあったとは思いますが、移住先で生活を始めることや、ロシア語で執筆を続けることについては、過去の亡命者よりもスムーズだったように見えました。そして今、私の好きな作家たちはさまざまな国でロシア語で執筆をしています。私たちの共通の友人であるリノール・ゴラーリクも、ロシア語で執筆する素晴らしい作家ですが、彼女は民族的にもロシア人ではないし、ロシア国籍も持ったことがないのです。

 これまでの亡命者たちによって、すでに世界文学の担い手となっているロシア語文学は、新たな亡命作家たちをそこに寛容に受け入れるのだろう、そんな気がしています。

 

 ユゼフォヴィチの意見は私にとっても現実味があります。だからこそ私は、地方の文化的アイデンティティをコツコツと築き上げてきた人たち、それから、LGBTQの活動家たち(詩人や作家も含め)の努力を、戦争という国家的なトラウマで上書きしてしまうような政治に腹が立ってしかたないのだと気づきました。そして、それでも抵抗を続ける詩人や作家たちがいることに希望を見いだしてもいます。

 最後にいただいた問いに答えるならば、私自身は、ロシア語文学が衰えることはないと確信しています。これはどの言語の文学もそうですが、文学は私などよりずっと長生きだし、私が読まなくても、無視していても、たとえ罵倒したにしても消えはしません。時の権力者は詩人を粛清したり、追放したりできるけれど、それも一時的なこと。「雪どけ」の時代を迎えたソ連で、長い眠りから覚めたように、わらわらと新しい文学が登場していく様もまた、私にとって確かな希望となりました。文学(すべての芸術)がもつ不死の可能性をはっきりと意識した事象です。

 文学の永遠性を本能的に察知したかどうかはわからないけれど、もしかしたら、私が文学に身を寄せるようになった要因のひとつなのかもしれません――自分の生より遥かに大きなものに触れていたいという欲求が潜在的にあったことは否めません。私の幼い頃のことを少し聞いてください。

 私は九州で生まれ育ちました。北九州工業地帯と呼ばれた大きな鉄の町はとても活気がありました。私が住んでいたところは大企業の下請けをする鉄工所が多かったので、町工場のかん高い機械音や淀んだ川のむっとする匂いを感じると、今でも懐かしい気持ちになります。

 そんな町の小さな家で、幼い日の数年間、私は祖父と二人で暮らしていました。祖父はほとんど教育を受けたことのない労働者でしたが、読み書きが好きで、私によく「おもしろい話」を聞かせてくれました。私が20歳を過ぎて祖父が亡くなったさいに、わずかな遺品の中から古びたガリ版刷り(ご存じですか?)の紙の束が出てきました。かつて炭鉱で働いていた祖父は、閉山後の失業対策事業にかかわっていて、そこで発行されていた壁新聞だかビラだかを大事にとっていたのです。そこには、「高柳さんの一口話コーナー」という連載があり、私が子どもの頃に口移しで聞いた、あの「おもしろい話」が手書きの文字で記されていました。

 幼い日々に、「おもしろい話、してやろっか」と祖父がいつも楽しそうに話してくれた、滑稽な勘違いや遊びに満ちた言葉が、長い時を経て私の元に戻ってきた瞬間でした(残念ながらその紙束は私の手から奪われて廃棄されてしまいました)。

 誰も読書などしないし、わが家には一冊の本もなかったけれども、言葉へ興味をもつきっかけを与えてくれたのは、まちがいなく祖父でした。彼からもらった言葉は、毎日のようにテレビから流れてきていた歌や、幼なじみとの会話と一緒に私のからだのなかにずっとあります。

 この書簡を書きながら気づいたのですが、私が本を読みはじめたのは、祖父が長い長い入院生活に入り一緒に暮らすことができなくなった時期と一致しているようです。どうやら、祖父の代わりにお話ししてくれる人を求めて本を見つけたような、そんな気がしています。

 アレクサンドラさんのシベリアでの子ども時代など、気が向いたらぜひ書いてください、とても興味があります。

高柳聡子

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著者略歴

  1. 高柳聡子(たかやなぎ・さとこ)

    福岡県生まれ。ロシア文学者、翻訳者。早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。おもにロシア語圏の女性文学とフェミニズム史を研究中。著書に『ロシアの女性誌──時代を映す女たち』(群像社、2018年)『埃だらけのすももを売ればよい ロシア銀の時代の女性詩人たち』(書肆侃侃房、2024年)、訳書にイリヤ・チラーキ『集中治療室の手紙』(群像社、 2019年)、ローラ・ベロイワン「濃縮闇──コンデンス」(『現代ロシア文学入門』垣内出版、2022年所収)、ダリア・セレンコ『女の子たちと公的機関 ロシアのフェミニストが目覚めるとき』(エトセトラブックス)など。

  2. アレクサンドラ・プリマック

    ロシア生まれ、ヨーロッパ育ち。スペイン、イギリスに住んで、2018年に日本に移住する。University College Londonでロシア詩人のヨシフ・ブロツキーを研究、上智大学で太宰治の作品を研究した。在学中ロシア語で詩や記事を執筆して、雑誌『新世界』等に掲載される。2016 年にロシアの若手詩人賞受賞。現在は出版社に勤めながら、日本文学とロシア文学との繋がりを回復することを目指して、翻訳や執筆に従事している。夢は日本の小説家になること。

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