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往復書簡 「あなたへ」と「あなたから」のあわいで 高柳聡子/アレクサンドラ・プリマック

2024年11月

高柳さん

 様々なロシアの思い出を共有してくださってありがとうございます。ロシアでは、高柳さんがヴォロネジで出会ったイリーナさんたちみたいな方が多いと感じています。ロシア人は冷たいというステレオタイプがありますが、全くそんなことはないですよね(日本だけではなく、ヨーロッパでも「アレックスはロシア人に似ていないよね、ロシア人は冷たいからね」とよく言われました)。ただ、日本人と同じで、ロシア人は「内」と「外」がはっきりしていると思っています。ロンドンに住んでいた時に、ほぼ毎週地下鉄のホームで電車を待ちながら見知らぬ人に声をかけられて、「この靴どこで買ったの?」とか、「このコートいいね」とか、いろんな世間話に巻き込まれました。ロシアは確かにそういうことがないので、その気軽さに憧れました。しかし、今はロシア国外に13年間住んでいて、ロシア人の「内の人」に対しての親切さが恋しくなってきました。「外の人」に対しては確かに嫌な態度をとることは残念ながら普通ですが、気に入った人のためにはロシア人は何でもしてくれる気がします。高柳さんもご存知かもしれませんが、その過大な優しさについて「自分の最後のシャツまでをくれる」(отдать последнюю рубашку)というロシア語の表現がありますよね。日本語の「苦労を惜しまない」と近いでしょうか(*1) 。

 私は実は今、あまりロシア人と出会う機会がありませんが、今年の夏に東京のロシア語演劇クラスに参加してみました。先生もロシア人で、受講生もロシア人とベラルーシ人でした。短い二か月間のクラスでしたが、すぐにいろんな人と仲良くなってきて、終わってから先生の家や受講生同士の家を訪ねたり、家族に紹介されたり、一緒に料理したり、急にプレゼントをもらったりしました。結局先生の長野県の新しい家にまでも行って、三日間過ごすことになりました。その三日の間に、一緒に家事をしたり、いろんな幸せな経験や辛い記憶を分かち合ったり、夕飯を終えてからリビングルームで広い田んぼを臨むフランス窓の前で踊ったりしました。夜は引っ越しを祝うためシャンパンを開けようとしたところに隣の日本人のカップルが挨拶をしに来て、その方々も先生と仲良しらしく、喜んでお祝いに参加してくれました。

 最近までそういう親密さは独特だと思ったことがありませんでした。しかし、そう考えると、自分もとくに意識することなくずっと家に誘うこと、料理をふるまうこと、おもてなしすることを当たり前に思って、色んな人を誘ったことがあります。その中に誘いを迷惑に思った人もいたでしょうか……数年前、戦争が始まる前の時代に、大晦日の夜にロシア料理を作って、家やクリスマスツリーを飾りつけて、海外の友達とロシア風のニューイヤーを過ごそうと思ったら、やはりあまり伝わらなかったことがありました(笑)。

 ですが、日本人とお正月のお祝いもやったことがあって、逆にとてもいい思い出になっています。彼女は私よりかなり年上ですが、お互いの家に行ったこともあり、お正月は彼女がおせち、私はロシアのニューイヤーのオリヴィエ・サラダを作って、着物を着て楽しく年末年始の休みの日を過ごしました。私はそういう文化の交流を楽しめる日本人が好きで、自分でも「冷たくない」ロシア人であり続けたいと思います。

 東京は寒くなってきましたので、もうニューイヤーのこと考えずにいられない私ですが、しょうがないです。毎年12月に自分のロシア人らしさを強く感じていますので、また次回はいろんなニューイヤーの話をさせてください。

アレクサンドラ・プリマック

*1 今のお話と全く関係ありませんが、最近日本語とロシア語の共通イディオムを探すのにハマってしまいました。日本語では事実検証されていない記事は「こたつ記事」と呼ばれていると聞いた時、現代ロシア語の「ソファーの達人」(диванный эксперт)、つまりソファーに座ってテレビの番組からしか情報を得ないくせに政治の議論に熱中している人、という言葉を思い出しました。言語の暗流は人間の意識に把握できない素晴らしい現象ですね。


アレクサンドラさん

 日本でロシアやベラルーシの人たちが集って、そんな楽しい時間を過ごしていると知り、私まで嬉しい気持ちになりました。いつか演劇の上演があるのなら、ぜひ教えてください、観に行きたいです。

 以前、日本のことをまったく知らないロシア人に訊かれて、日本人がお正月をどんなふうに迎えるのかという話をしたことがあります。大晦日の夜は定番の歌番組が終わると、テレビは除夜の鐘が響くお寺の映像に変わり、一年の終わりは静かに迎えるのだと言ったら、とても驚いていたことを思いだします。外に集まってカウントダウンをする若い人たちもいるのでしょうが、私の大晦日はずっと、小さな家族でこたつに入って穏やかに過ごすものでした。テレビや近所のお寺から響いてくる除夜の鐘の音と年越しそばをすする音だけが響く静かな時間です(一夜明けて元旦になると、親戚たちが集まってきてどんちゃん騒ぎになるのですが……)。

 私の祖父は喜劇役者になるのが夢だったという人で、普段から人を楽しませることが大好きでした。彼は若い頃にエノケンさん(榎本健一さんという歴史的な喜劇俳優です)の舞台を見て、役者を志したことがあったそうです。でも、体に少し障害があったために「舞台を飛び回るのは無理だった」と言っていました。土曜日になると二人で昼食を食べながら、テレビで新喜劇を見ていたことを思いだします。

 そんな祖父が年末になると毎年、「さとこちゃん、じいちゃんにストッキング貸してくれんかね、ちょっと郵便局に行ってくるけん」と険しい顔をして言うのです。ご存じですか? ロシアやヨーロッパはどうなのか知らないのですが、昔の日本では女性物のストッキングを頭にかぶって顔を隠した銀行強盗が多かったのです。とりわけ年末になると、資金繰りや借金に困った人が犯罪に走ることが多く、12月はこの手の事件がいつもよりも増えていました。うちの近所には銀行がなかったから郵便局なのですが、体も小さく、いかにも弱そうな祖父がわざと怖い顔を作ってこれを言うのがとても滑稽なのです。不愛想な子だった私が笑うのが嬉しいのか、毎年毎年、飽きもせずに(私が20歳を過ぎても)この悪ふざけをやっていました。年末になるといつも思いだして、今でも笑ってしまいます。

 そんな祖父は年末に体調を壊し、元旦に危篤状態になり、三日に息を引き取りました。「意識を失くして三日以内に逝きたい」といつも言っていたことが叶い、きっと満足しているのだろうと悲しみのなかで思いました。

 炭鉱労働で塵肺を患った人たちが暮らすサナトリウムのような病院に18年間入院していたのですが(入院というより「住んでいた」という感じでした)、祖父の死後、病室の遺品を片付けていたら同じ入院患者さんたちが集まってきて、シャツや下着類を分けてくれと言うのです。新品の物はともかく一度身につけた下着はさすがに……と思ったけれど、同じ労働で同じ病気になり同じ病院で余生を生きる人たちに乞われて断ることもできませんでした。

 意味は違うものの、アレクサンドラさんのお手紙を読んで、祖父の「最後のシャツ」を、あのとき誰かに手渡したことは間違いではなかったのかもしれないという気がしたのです。それにしても、最後のシャツまで他人に施すなんて、まるでユロージヴイ(*2)のようですね。

 12月になるとロシア人らしさを感じるというお話もとても興味深いです。桜の時期の日本人と感覚が似ているのでしょうか……。来月のお手紙を楽しみにしています。私は今年もとても静かなお正月になりそうです。

高柳聡子

*2 聖愚者・佯狂者などと訳される正教会の苦行者のこと。知性や私有物を捨て、神に与えられたままの姿で聖なる愚者として生きる人たち。

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著者略歴

  1. 高柳聡子(たかやなぎ・さとこ)

    福岡県生まれ。ロシア文学者、翻訳者。早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。おもにロシア語圏の女性文学とフェミニズム史を研究中。著書に『ロシアの女性誌──時代を映す女たち』(群像社、2018年)『埃だらけのすももを売ればよい ロシア銀の時代の女性詩人たち』(書肆侃侃房、2024年)、訳書にイリヤ・チラーキ『集中治療室の手紙』(群像社、 2019年)、ローラ・ベロイワン「濃縮闇──コンデンス」(『現代ロシア文学入門』垣内出版、2022年所収)、ダリア・セレンコ『女の子たちと公的機関 ロシアのフェミニストが目覚めるとき』(エトセトラブックス)など。

  2. アレクサンドラ・プリマック

    ロシア生まれ、ヨーロッパ育ち。スペイン、イギリスに住んで、2018年に日本に移住する。University College Londonでロシア詩人のヨシフ・ブロツキーを研究、上智大学で太宰治の作品を研究した。在学中ロシア語で詩や記事を執筆して、雑誌『新世界』等に掲載される。2016 年にロシアの若手詩人賞受賞。現在は出版社に勤めながら、日本文学とロシア文学との繋がりを回復することを目指して、翻訳や執筆に従事している。夢は日本の小説家になること。

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