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往復書簡 「あなたへ」と「あなたから」のあわいで 高柳聡子/アレクサンドラ・プリマック

2024年9月

高柳さん

 お手紙をありがとうございます。

 子供の時代のひいおばあさんとの思い出、心が癒されました。東京から遠い土地の生活を想像することは何故か好きで、落ち着きます。そういう日本は、観光客はどんなに頑張っても体験できないですね。

 私は、今年の夏に初めてそんな日本に触れてきました。ある日、友達と話しながら「ホンモノの日本を見たい」と言ったら、その言い方で笑われましたが、驚いたことに実家に誘われました。本当にいいのか心配しながらお誘いを受けて、飛行機のチケットを取って、お土産としてロシアのお菓子を持って九州へ行ってきました。ちなみに、一番ショック受けたのは、初めて使った日本国内線の便利さです。「なんと、身分証明書を見せずに飛行機に乗れる! ロシアなら絶対に他人のチケットを使って乗る詐欺師がたくさん出てくるだろう」と思いながら乗りました(笑)。

 着陸すると、やはり東京の空港と地方の空港は違うと驚嘆しながら、楽しく周りを見つめました。東京を初めて出たわけではありませんが、新幹線が通る駅は大体似ていますね。空港は明確に地方の空港で、懐かしさに浸って故郷のトムスクの空港を思い出しました。意外と似ています。『シベリア』というお菓子までギフトショップで販売されていました。偶然ですね。

 しかし、空港以外は、全ては別の世界でした。車で30分ぐらい田舎の方へ向かうと、時代映画みたいな日本が現れました。友達の家は100年以上前に建てられた日本家屋で、美しくてたまらなかったです。最近、東京にいると、よく日本人の過去との切断を考えずにいられないのですが、その家に入ったら世代の繋がりを感じ、歴史が息づいていると感じました。フローリングもなく、20世紀がもたらした人工素材の家具もなく、畳、仏壇、そして次の世代に残したくなる伝統的なものしかありませんでした。神棚も何箇所かあって、宮崎駿の世界にいるのか、ガブリエル・ガルシア=マルケスの魔術的リアリズムの作品の中にいるのか、分からなくなりました。

 日本人の高柳さんへこんなにナイーブに当たり前のことの描写を手紙で書くのは恥ずかしいですが、頭の中の思い出は実際に芸術作品のようなものになっていますので、やはり共有したいです。自分の文化の魅力は他人の目を通すと一番見やすいのではないかと思います。もちろん、地方から東京に引っ越す理由は分からなくはありませんが、地方の魅力を忘れるべきではないでしょう。もし、地方や伝統的な日本はもう「カッコ良くない」のでしたら、外国人がその魅力を捉え直して、カッコ良さを取り戻せる……のではないか? という、自分が日本にいる理由を最近熟考しています。それが出来ると、温かく歓迎してくれた九州の方の親切に、少しだけでも報いることになるのではないでしょうか。

 その日、ランチを食べてから友達と三人で柴犬を連れて田んぼの間を散歩しました。空が珍しく低くて平らに見えて、地面も平らで永遠に遠くまで広がっているように見えました。ランチはスペインみたいに終わりのない何時間ものランチでしたので(南の人の共通点でしょうか) 、少しだけ歩いたら、稲の若苗にくすぐられながら太陽が段々と沈み始めました。早速来た黄昏を、私たちは犬と小川の亀と田んぼのダイサギと一緒に迎えました。変なことを言ってしまうかもしれませんが、その時は「自分もこの世界の一つの生き物だな」と思いました。家へ帰って、友達のご両親と一緒に野菜を収穫しながら久しぶりに幸せを感じました。ホンモノの世界はここで、東京はコンクリートと鉄で創られた夢にしか過ぎないと。

 今は、この手紙を東京で書いていますので、九州のほうが夢に入れ替わっていますが、高柳さんの思い出のおかげで生き返ってくれました。温かい思い出なので感謝します。是非、日本人しか知らない地方の生活のこと、もっと聞かせてください。

アレクサンドラ・プリマック 


アレクサンドラさん

 九州に行かれたのですね、なんだか嬉しいです。

 お手紙を読みながら、一昨年に行った佐賀のことを思いだしていました。一人で田んぼの道を歩いていると、誰もいないはずなのに、ポチャン、ポチャンという音がして、しばらくしてからようやく、甲羅干ししていた亀が私の気配に気づき用水路に飛びこむ音だとわかりました。楽しい気分になったものの、せっかくのんびりと陽を浴びていた亀たちの邪魔をしてしまった申し訳なさもあって、その後はそろりそろりと歩いたことを覚えています。亀たちの立てる水音が止むと、時折強く吹く夏の風に、豊かに実った稲穂が大きな波のように揺れながらさわさわと鳴る音がまるでコーラスのように聞こえました。佐賀は大好きだった祖父の郷里なのですが、祖父もこの景色を見ながら育ったのだろうかと思うと、いつまでも見ていたいような気がしました。

 佐賀には小学生のときに一度行ったきりでした。大きな法事があって祖父と一緒に訪ねることになり、一週間ほど前から挨拶の練習をさせられました。祖父と正座して向き合い、指をついて頭を深く下げながら「伸太郎の娘の綾子の娘の聡子です」と名乗るのです。なんとか合格点をもらって、本番でもうまくできますようにとドキドキしながら列車に揺られていきました(緊張のあまりひどく酔ってしまいました)。

 到着すると、玄関先で出迎えてくれたのは大叔父(祖父の兄)でした。にこにこと微笑む優しそうなおじいさんで、挨拶をしなければ、と思ったものの、ここでは正座もできないし、どうしたらいいんだろう……と少し戸惑ってしまいました。仕方なく、立ったままで「はじめまして、私は伸太郎の……」と始めたら、家の奥から「じいちゃんは耳が聞こえんから言うてもわからんよ」という声がしたのです。どうしたものかと思ったそのとき、大叔父が大きな手のひらを私の前に差し出しました、私がそこに指で「さ・と・こ」と書くと、満面の笑顔でうんうんとうなずきながら、今度は私の小さな手をとって、「ようきたな」と書いてくれたのです。祖父に仕込まれた挨拶を披露する機会は結局一度もなかったけれど、聾唖の大叔父と交わした「会話」の喜びは、手のひらをなぞられたときのこそばゆい感じとともに幸福な記憶となっているようです。

 いつも思い出話ばかりになってしまって恐縮していますが、アレクサンドラさんとこうしてお話していると、どうやら記憶の扉が開くようで、長いこと封印されていた出来事が不意に浮かんできます。残念ながら、数十年ぶりに訪れた場所にあったのは、今では廃屋となったあの懐かしい家でした。とりわけ東京に来てからは、親戚付き合いもなくなってしまい、残されたのは覚束ない自分の記憶だけになってしまいました。

 でも、私の記憶の景色も、アレクサンドラさんが書いてくれたように、違う文化で育った人が語ってくれるときっと「異化」されるのでしょう。モスクワに到着した私が、都心に向かう電車の窓から何の変哲もない古びた(おそらくソ連時代に建てられた)団地を見てときめくように、あるいは、ペテルブルクに行くと必ず足を運ぶバイパス運河(大好きな作品の舞台なのです)が想像力を刺激してくれるように、映画や文学で「見た」場面が、現地の人にとってはなんてことのない景色を特別な場所にしてくれる——そんな体験が私たちにはたくさんあります。

 東京も憧れて出てきたけれど、もう人生の半分以上をここで暮らし、おそらくこれからもここで暮らすのだろうという身としては、故郷のような「距離」があるからこそ生まれる情が育まれないように感じます。記憶の中の住人になってこそ生きる人や出来事というものがあるのでしょう。アレクサンドラさんのシベリアやモスクワにもそんな記憶があるのではないでしょうか。

高柳聡子

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著者略歴

  1. 高柳聡子(たかやなぎ・さとこ)

    福岡県生まれ。ロシア文学者、翻訳者。早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。おもにロシア語圏の女性文学とフェミニズム史を研究中。著書に『ロシアの女性誌──時代を映す女たち』(群像社、2018年)『埃だらけのすももを売ればよい ロシア銀の時代の女性詩人たち』(書肆侃侃房、2024年)、訳書にイリヤ・チラーキ『集中治療室の手紙』(群像社、 2019年)、ローラ・ベロイワン「濃縮闇──コンデンス」(『現代ロシア文学入門』垣内出版、2022年所収)、ダリア・セレンコ『女の子たちと公的機関 ロシアのフェミニストが目覚めるとき』(エトセトラブックス)など。

  2. アレクサンドラ・プリマック

    ロシア生まれ、ヨーロッパ育ち。スペイン、イギリスに住んで、2018年に日本に移住する。University College Londonでロシア詩人のヨシフ・ブロツキーを研究、上智大学で太宰治の作品を研究した。在学中ロシア語で詩や記事を執筆して、雑誌『新世界』等に掲載される。2016 年にロシアの若手詩人賞受賞。現在は出版社に勤めながら、日本文学とロシア文学との繋がりを回復することを目指して、翻訳や執筆に従事している。夢は日本の小説家になること。

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