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往復書簡 「あなたへ」と「あなたから」のあわいで 高柳聡子/アレクサンドラ・プリマック

2024年10月

高柳さん

 「異化」された祖国の文化は最高に面白いですね。私もロシアに行った日本人のお話を聞くことがとても好きです。毎回、どんな話題を挙げてくれるか、どんなエピソードを語ってくれるか、楽しみにしています。シベリア鉄道に乗ったお話や、ものを盗まれたお話をはじめ、ロシアの学生寮で部屋をシェアした人のロシアに来る動機がフェリクス・ユスポフ(*1)をテレビで見て狂おしいほど好きになったというお話まで、自分が全く想像できないロシアとロシアに興味のある人たちのイメージが段々目の前に現れてきます。最近、他人とロシアの話をしないようにしていますが、意外とロシアに行ったことがある方の感想を聞くと、みんながとても心強い思い出を共有してくれます。

 実は、地方生まれの私にとってでも、ロシアのサンクトペテルブルクやモスクワは馴染みのない場所です。モスクワを初めて見たのは、4歳ぐらいのはずですが、その時はシベリアからスペインに向かう際に、モスクワで乗り換えただけです。小さい国に住んでいる日本人には把握しづらいかもしれませんが、ロシアは現在の制裁時代の前でも国内での移動は大変でした。シベリアのトムスクに生まれた私は、お母さんといつも4時間半のフライトでモスクワへ行って、せっかくなので二日間ぐらいモスクワに過ごして、そこからヨーロッパへ行きました。モスクワの初めての記憶を聞かれると正直分かりませんが、大きいショッピングモールで買い物をして、マクドナルドに行って、アップルパイを食べたことをなんとなく覚えています。期待外れですね(笑)。当時、ロシアの地方にはアメリカのファーストフードチェーンがなく、ずっとマクドナルドみたいなお店は異文化に思っていました(私の故郷にはまだマクドナルドが一店舗もありません……)。今思い出すと、ある意味では2000年頃のモスクワの生活は、どちらかというとロシアの地方の生活より、海外の生活に近かったかもしれません。今はどうなっているか分かりませんが、今でも同じだという予感があります。しかし、東京も北海道に近いのか、アメリカの方が近いのか、すぐ答えを出すのは難しい気がします。

 サンクトペテルブルクに初めて行ったのは、モスクワへ引っ越したからです。ロシア人はみんなペテルブルク派とモスクワ派に分かれていると言われていますが、私は明らかにモスクワ派です。ペテルブルクはロシアの一番ヨーロッパっぽい街だとよく聞いていて、期待しましたが、ペテルブルクに行く前にスペイン、ドイツ、フランス、ギリシャ、イギリス、多数のヨーロッパの国へ行ったことがありましたから、ペテルブルクにガッカリしてしまいました。全然ヨーロッパに似ていないと。けれども、文学関係の観光地が大変面白かったです。友達の家族がプーシキン市に住んでいて、彼らの家に泊まって、詩人のアレクサンドル・プーシキンが歩いていた小道を毎日歩いて、色々考えることができました。ちょうど秋の季節で、有名な「緋色と金の衣をまとった森」(*2)が繁茂していました。モスクワでもペテルブルクでも、ロンドンでも東京でも、私は広い公園に喜びを覚えます。トムスクの公園は本当に大自然で、公園というよりは整理されていない森でした。ロンドンのハイド・パークに初めて来た時に、自然ってこんなに奇麗な姿もあるんだと驚きました。ちなみに、皇居外苑も凄くハイド・パークを思い出させます。特に、自然の後ろに見える高層ビルの姿が。

 皇居外苑でこうした予期せぬ押韻に衝撃を受けると、全てが重なって全世界はどこかの遠い場所に既にあるものの繰り返しに過ぎないと感じます。世界の大規模な模様が見えない人は政治家になるべきではない……ですよね?

 高柳さんも、ロシアに行った時の経験を語ってくださるととても嬉しいです。

アレクサンドラ・プリマック

*1 ロシア帝国の貴族。グリゴリー・ラスプーチンを殺害したことで知られる。
*2 アレクサンドル・プーシキンの「秋」の詩の一行。


アレクサンドラさん

 ロシアでの思い出話をありがとうございます。とても面白く、久しぶりにロシアの話を聞くことができて嬉しくも感じました。ちなみに九州の私の故郷にもいまだにマクドナルドはありません(これから現われることもないでしょう)。

 日本でのアメリカ文化の普及はとうにピークを過ぎましたが、子どもの頃にも私たちの町まではそれほど届いてはおらず、そのことがアメリカ的な文化と距離を置く一因となったのかもしれません。それでもテレビではよくアメリカ映画をやっていて、ド派手なアクションものの映画が大好きな母につきあってよく見ていました。東京に出てきてヨーロッパの映画を見たときにはとても驚き、ソ連ものを見てからは自分の中で「映画」の概念がすっかり変わってしまったことを覚えています。

 それは、あの頃にやはり日本のテレビでしきりに報道されていた「ソ連」の映像や、高校生のときに読んでいたトゥルゲーネフやトルストイの世界を想起させたからなのか、いずれにせよ、ロシア的なものに、より親近感を覚えることになったのでした。

 私にとってのロシアは、長いあいだモスクワとペテルブルクでした。留学したのはモスクワでしたから、今でもいちばん落ち着くのはモスクワです。私をよく知る人は、ロシアに向かうときの私は東京にいるときよりもリラックスした顔をしていると言います。どうやら東京よりもモスクワのほうが自由でいられるようなのです。

 一方でペテルブルクは、数々の文学作品の舞台となった都市ですし、大切な作家や詩人たちが生きた街として訪れるたびに心が落ち着かずにそわそわとしてしまいます。初めてセンナヤ広場に立ったときには、本当に時間が巻き戻ってしまったかのように19世紀の雑踏の音に全身が包まれ、周囲を行き交う馬車が確かに見えた気がしたほどです。あるいは、洪水に見舞われて水に沈む恐怖に囚われることがあったり……。

 そうした文学の記憶によって共有しうる「ペテルブルク」は、為政者の思惑でペトログラードになったり、レニングラードになったりはせず、ずっと「ペテルブルク」のままで、白夜の中を歩きまわる詩人ヨシフ・ブロツキーが愛した街なのでしょう。不思議ですよね、ブロツキーはレニングラードにしか住んだことがないはずなのに、「ペテルブルクの詩人」なのですから。

 幾度も名を変えた街のもうひとつの顔である「永遠のペテルブルク」は、いつでも私を落ち着かない気持ちにさせるのですが、同時に、あの街の現実として失うことができないものでもあります。余談ですが、私の大好きな作家で、レニングラード出身のマリーナ・パレイという人がいますが(彼女は95年からオランダに移住しています)、彼女もまた「ペテルブルク」を何よりも愛しながらも、なぜかときどき自分の故郷を「イングリア」(*3)と呼ぶのです。どうやら彼女の中には確固たるものとして「イングリア」が存在するようです。

 モスクワやペテルブルクに通った後に、私はロシアの地方に関心をもつようになりました。極東やシベリア、長時間の夜行列車に揺られて行く南部の都市など、これから何度でも通いたい場所が少しずつ増えていきました。

 2019年の夏に最後に行ったのはヴォロネジでした。モスクワ郊外にあるマンデリシターム博物館で偶然知り合った人が、「これからヴォロネジに行く」と言ったら現地の知人を紹介してくれたのです。ヴォロネジに着いてからは、そのイリーナさんがずっと案内をしてくれた上に、急遽、小さな文学の夕べまで企画してくれました。突然「日本の文学の話をして」と言われ、私はものすごく焦ったのですが、30人ほど集まってくれたその会には、ヴォロネジ在住の詩人や作家たちも来てくれました。

 ヴォロネジを発つ日は、深夜1時過ぎの列車を待つまでの時間をイリーナさんの自宅で過ごしました。駅に向かう時間になると、イリーナさんの友人が車を出してくれて、申し訳ない気持ちでいっぱいになりながらも出会ったすべての人たちに甘えながらひと夏の旅を終えました。

 けれども、こんな逸話はロシアではいくつもあって、結局のところ、ロシアの魅力とは、「人」なのでしょう。

 またきっと会いに行こう、今度はあのときお世話になった人たちにたくさんお土産を持って行こう、深夜まで話し相手になってくれたイリーナさんの息子のミーシャが興味をもっていると言っていた日本の建築家の写真集を送ってあげようという意気込みは、パンデミックで封印せざるをえなくなりました。葉書一枚やりとりできない現状に憂いながら、私たちにとっての悲劇とは、こうして人と人とのつながりを絶たれることなのだと思い知らされる日々です。

高柳聡子

*3 フィンランド湾、ナルヴァ川、ペイプシ湖、ラドガ湖に囲まれた、現在のペテルブルクを中心とした地域の歴史的名称で、18世紀にロシア帝国の領土となった。パレイが「イングリア」と呼ぶとき、ペテルブルク誕生以前の彼の地へと思いを馳せているようだ。

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著者略歴

  1. 高柳聡子(たかやなぎ・さとこ)

    福岡県生まれ。ロシア文学者、翻訳者。早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。おもにロシア語圏の女性文学とフェミニズム史を研究中。著書に『ロシアの女性誌──時代を映す女たち』(群像社、2018年)『埃だらけのすももを売ればよい ロシア銀の時代の女性詩人たち』(書肆侃侃房、2024年)、訳書にイリヤ・チラーキ『集中治療室の手紙』(群像社、 2019年)、ローラ・ベロイワン「濃縮闇──コンデンス」(『現代ロシア文学入門』垣内出版、2022年所収)、ダリア・セレンコ『女の子たちと公的機関 ロシアのフェミニストが目覚めるとき』(エトセトラブックス)など。

  2. アレクサンドラ・プリマック

    ロシア生まれ、ヨーロッパ育ち。スペイン、イギリスに住んで、2018年に日本に移住する。University College Londonでロシア詩人のヨシフ・ブロツキーを研究、上智大学で太宰治の作品を研究した。在学中ロシア語で詩や記事を執筆して、雑誌『新世界』等に掲載される。2016 年にロシアの若手詩人賞受賞。現在は出版社に勤めながら、日本文学とロシア文学との繋がりを回復することを目指して、翻訳や執筆に従事している。夢は日本の小説家になること。

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