2025年4月
高柳さん
この手紙を中国から日本へ帰る飛行機の中で書いています。
プロパガンダといえば、中国にいた一週間たくさん見ました……と言いたいのですが、本当に見たかどうかちゃんと考えると、そんなに見なかったかもしれません。旗、共産主義のシンボル、偉大な指導者の肖像画が確かにありました。けれど、そういうもの自体は何らかのメッセージを発しているわけでもありません。ただのメッセージのパッケージングです。けれど、そういうものが街の中にあるからこそ、政治体制は存続するでしょう。それを目撃しながら、ロシアも今、似たような街の雰囲気なのか、気になってきました。見に行くつもりがありませんけれど、ロシアの中にいる人に聞く意味もないでしょう。慣れ過ぎて色々気づいていないと思いますね。
最近、スペイン語を再勉強しようとして、ガブリエル・ガルシア=マルケスの『族長の秋』を読もうとチャレンジしました。高柳さんもご存知だと思いますが、『族長の秋』は独裁者の人生を描いている小説です。その独裁者は、独裁者になる頃に字を知らない人で、段々字を読めるようになって、自分が読んでいる新聞は彼のためにでっち上げられた国の本物の状況と関係ないユートピア的な噓だと分かってきます。その一節を読んだ時に、人生がいかにフィクションを模倣するかに驚きました。プーチンはプロパガンダを作ることもあると思いますが、現在のプーチン自身はどれぐらいそのプロパガンダでできている人間なのか、いつか知りたいです。自己永続的な悪の循環ですね。
けれど、日本もユートピア的な嘘がたくさんあるのではないでしょうか。ここで、次の一行を書こうとしたら、私は自己検閲してしまいます。喧嘩しない日本人は日本のどこかが批判されたら、それをすぐ攻撃に感じてしまうように思います。私は、どちらかといえば、喧嘩するほうではありませんが、正直な自分の本音を表現したがるほうです。けれど、表現するように努力するために一つだけの条件があります。相手を尊敬することです。尊敬する限り辛いことも言えます。尊敬するからこそです。期待するからです。諦めた人と一切喧嘩しません(その理由でインターネットで見知らぬ人の意地悪なコメントなどに返事したことが一度もありません)。
急な話かもしれませんが、これは高柳さんへ最後の手紙となります。振り返ると、色んな強い意見を述べたと思いますが、日本が大好きだからこそ考えたことをはっきり伝えていました。日本に現在よりいい未来を願っていますから。ロシアも好きですから、無関心でいられません。私にとって、批判が消えた領域は無関心の領域です。なので、私の論争の的になる言葉をずっと読んでいただき、優しく答えていただきありがとうございます。私にとって、素敵なコミュニケーションのチャンスでした。読者の方々にも心から感謝いたします。
これからも勇気を持って、考えていること、悩んでいることを表現し、日本とロシアの繋がりを探り、少しだけでもロシアの一方的なイメージを壊すために頑張りたいと思っています。この一年間は文章力を上げて、いくつかの作品をそろそろ発表しようと思っています。そして、若い人に世界文学への興味をそそるために、今は目白庭園と共同プロジェクトの文学授業を企画しているところです(*1)。もちろん、私と高柳さんのROARの翻訳作業も続きますね。高柳さんは、これからやってみたいチャレンジ、ありますでしょうか?
残念ながら、連載が終わるまでに戦争が終わりませんでした。けれども、戦争の終わりが少しだけ近づいてきたかもしれません。理想論でありますが、私はいつかこの戦争だけではなく、世界のすべての戦争か終わると信じています。本当に。心から。バカみたいに。信じています。そのために様々な国の人間たちは自分の心を開けて、お互いに本音を言う必要があるのではないでしょうか。
高柳さん、この一年間、戦争のない世界を近づけるように数々の手紙を書いていただき、本当にありがとうございました。
プリマック・アレクサンドラ
*1 こちらはロシアの文学ではなく、文学というものの魅力を若い人に伝えることを目的にしたプロジェクトです。詳細はこちら:https://gaku.school/
アレクサンドラさん
私も戦争のない世界が来る理想を諦めたことはありません、バカみたいに信じていますし、そのための努力も続けていきたいです。でも、文学者の私にいったい何ができるのだろうと立ちどまることも間々あります。
『ROAR』17号でリノール・ゴラーリクは、二つの戦争と犠牲になる命に対する強い悲しみや未来への不安といった大きな恐怖を前に何をすべきかわからくて悩んでいると書いていましたね。彼女はその自問自答の中で、『タイタニック』の音楽家たちのようにあればいいというひとつの答えを提示しています。沈みゆく船のなかで、自分が逃げることや救われること、あるいは船の行く末を考えずに「自分の仕事」をする人たちのことです。最期のときまで音楽を奏で続ける彼らのようでありたいと私も思います。レニングラード封鎖中に交響曲を演奏するフィルハーモニーの音楽家たちもこれに繋がるかもしれません。世界にはそんな音楽がもっともっとあったはずですし、今もあるはずです。
私はアレクサンドラさんよりもずっと年上ですし、あまり優秀でもなかったから、数え切れないほどの失敗をしてきました(今も日々まちがえてばかりです)。その中でも、この三年間で気づかされ、そして悔やみ続けていることは、日本でロシア文学に取り組んでいる自分を半ば自虐的に語ってきたことです。「どうしてロシア文学なの?」と驚きながら訊かれることに慣れてしまい、変わり者だと思われているのだろうと開き直ってきた自分を悔いているのです。どんな思いで相手が訊いているのかを問わず、差しさわりのない答えを用意してきたことを後悔しています。きちんと誠実に、ロシア文学の良いところを、言葉を尽くして語るべきだったし、その結果、私が変わり者だと思われるのならよかったのにと思うのです。大統領が誰であろうと、日露関係がどうであろうと揺らぐことのない「ロシア文学」が確固としてあるのですから。それに新しい作品もどんどん出てきています。これからの私は、それらの良さを知ってもらうために残りの人生を捧げることになるでしょう。そのことだけは確信しています。
実は私は、子どもの頃からずっと、自分の好きなものを他人に教えることがあまりなかったのです。自分だけが見つけた特別な本や音楽を大事にしまっておいて、ひとりでこっそり開くのがお気に入りの時間でした。曾祖母の家の箪笥と箪笥の間にある隙間に入りこんで本を読むことが好きだったし、我が家の階段下の三角形の空間にはまりこんで本を読むのも好きでした。押し入れの中にランプを持ちこんで本を読んだりラジオを聴くのも好きでした。ロシアに通うようになってからは、映画の舞台にもなったレーニン図書館の閲覧室で朝から晩まで山と積んだ文献に目を通す時間が至福の時で、あんなに広い空間にもかかわらず、自分だけの世界にこもっている気分になれました。
私の半生を知る人は(そして私自身も)長いこと、私がある日突然に「ロシア文学者になる」と宣言して、急カーブを切って道を変えたように思っていたのかもしれないけれど、そうやって書物と過ごしてきた時間を考えると、とても自然にこの道に続いていたことがわかるのです。そしてその事実は少しだけ私を落ち着かせてくれます。
もっとお話ししたいことはたくさんあります。でもそれは、久しぶりに便箋を取りだして、本当の手紙にしてポストに託すことにしますね。大変な状況のなか、一年間いろいろなことを話してくれて心から感謝しています。そして、これからも一緒に翻訳をがんばりましょうね。
アレクサンドラさんの新しいプロジェクトも楽しみにしていますし、ご成功を心から願っています。これから先の日本での暮らしがより充実した楽しいものとなりますように! そして私たちのこの世界が一日も早く平和になりますように!
高柳 聡子