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往復書簡 「あなたへ」と「あなたから」のあわいで 高柳聡子/アレクサンドラ・プリマック

2024年7-8月

高柳さん

 素敵な思い出をシェアしてくださってありがとうございます。ご祖父様の言葉や物語に対しての熱心さが今高柳さんの中に生き続いていることは、文学の不死の一例になりますね。

 私の場合、祖母が大学で文学の教授として勤めていたのに、残念ながら文学と繋がっている心温まる家族のストーリーがありません。しかし、家族との関係が親しくなかったからこそ、文学は私の人とのつながりへの憧れを満たしたのかもしれません。「私たちは自分が孤独でないことを知るために本を読む」とイギリスの作家C.S.ルイスは言いました。今まで、自分がどうしてこんなに文学が好きになったか、実は考えたことがありませんが、まさにそういうことではないでしょうか。

 4か国、5つの都市で遊牧生活を送っていた自分は、友情や愛情や血縁関係というものにあまり頼れませんでした。しかし、どの国に行っても、どんなに辛い時期を乗り越えないといけなくても、文学はいつも傍にいてくれました (それで文学を擬人化する癖があります……)。12歳の時、初めてジャン=ポール・サルトルの作品集を開いて、「死」とは何なのか、「神」とは何なのか、存在することの意味などを考えたくなりましたが、周りの人とその話がなかなか出来なくて、寂しくて寂しくて、結局亡くなった巨匠を自分の話し相手にしました。

 シベリアからモスクワに引っ越すと、文学好きの友達ができて、学校の文学の先生も素晴らしい先生でしたから、自分の興味を他人と共有することができるようになりました。今その時期を思い出すと、ずっとモスクワに住み続ければ良かったとすら思います。全体主義下であっても戦争の中であっても、自分が属しているグループがあることが、人間にとって一番大きな幸せだと信じています。モスクワのインテリは私にとってそういうグループでした (ちなみに、同じ理由で反政府デモに行くのは全く怖くありませんでした)。

 しかし、当時はまだそこまで考えずにヨーロッパに引っ越すことは実用的で刺激的だと思っていました。スペインの同級生は大体パーティやブランドにしか興味がなく、そこからまたずっと一人で図書館で本を読む生活が始まります。

 日本に引っ越して、段々深い話ができる友達が増えていきましたが、最初の日本の友達は、やはり、太宰治でした。冗談に聞こえるかもしれませんが、今年桜桃忌の日に三鷹で太宰関係の研究発表会に参加して、急にその事実に気が付きました。自分にとって、太宰はアレクサンドル・プーシキン(*1)とミハイル・レールモントフ(*2)の系統にあります。異文化世界の中にあって、太宰が言おうとしていたことは異文化ではありませんでした。それから彼の紹介のおかげで他の日本の作家たちや彼らの作品と出会いました。そして太宰がルパンで織田作之助や坂口安吾と賑やかに呑んだり、三島由紀夫と馬鹿馬鹿しい喧嘩をしたりしたことを想像するとロシアの「銀の時代」の詩人や作家たちの情熱的な日々を思い出して、まさに生身の人間の友達ができたと感じていました(笑)。

 今はもちろん、現実の友達は日本にいますが、作家たちとの友情は特別な友情だと思い、ずっと大切にしたいです。ある意味、それも高柳さんが言い及ぶ「自分の生より遥かに大きなものに触れていたいという欲求」だと思います。文学に関わる人は紀元前8世紀のホメーロスや970年代に生まれた紫式部と対話ができますね。そして、作家の道を選んだ人は自分の作品を通じて百年、もしくは一万年後に生きている人たちに考えていることを伝えられます。

 それを思うと、自分の人生は文学の道に導かれてとても嬉しいです。高柳さんも同じ気持ちを持っているのではないでしょうか。

アレクサンドラ・プリマック

*1 19世紀のロシアの詩人・作家。バイロンの影響を受け、ロシア文学で初めてバイロン的ヒーローを描いた。
*2 19世紀のロシアの詩人・作家。プーシキンの後継者と呼ばれている。


アレクサンドラさん

 とても楽しいお話をどうもありがとう。もちろん、私も同じ気持ちです。

 アレクサンドラさんがこれまで暮らしてきた、シベリア、モスクワ、スペインの景色が垣間見えて(スペインには行ったことがないですが)、興味がわくと同時に、「遊牧生活」が生む孤独が、死や神、そして存在の意味といった本質的な問題に繋がることがまさに文学的だと感じました。それに、太宰がプーシキンやレールモントフの系譜に連なるという指摘は、考えたこともなかったので意外な驚きでした。

 私は12歳でサルトルを読むほど優秀ではなかったですが、太宰を読み始めたのはちょうどその頃です。自分の生い立ちに複雑な事情があることを理解できる歳になり、生まれてきたのは間違いだったのかと深く悩んでいた時期でした。何かで、「『人間失格』を読むと死にたくなる」という一文を目にし、じゃあ、それを読んで、私もこの重く暗い気持ちにけりをつけようと決心したのです。

 もうお分かりだと思いますが、読み終わった私には死にたい気持ちなど少しも残っておらず、あの作品の中に自分と似たような人間を、アレクサンドラさんの表現を借りるなら「友達」を見つけたのでした。その後の私は、あの主人公のように、大人たちの前で妙にふざけてみせたりしながら朗らかに過ごすことを覚えると同時に、自分の存在の意味や「生」や「死」というテーマが、個人的なものにとどまらぬ普遍的なものになっていきました。

 なんだか楽しくなってきたのでもうひとつ告白すると、私は『人間失格』の冒頭部分がとても好きです。12歳の私は、写真を「一葉、二葉」と数えることにときめき、さらにこの部分には「言葉」という語が多用されている上に、主人公の名が「葉蔵」だったから、「葉」という文字の美しさを初めて意識しました。本の頁に「言の葉」がひらひらと舞い降りたような、そんな詩的な魅力を感じたことを覚えています。そんなふうにして、あの時の私は『人間失格』を読むことで生かされたのでした。

 一方で、アレクサンドラさんとはちがって、私は東京に出てきてからも文学的な「孤独」を今なお続けているといっていいでしょう。中学生の頃は、喫茶店で文学談義に花を咲かせる大学生に憧れたものですが、実際の大学時代はとにかく忙しく、そんな時間はほとんど得られませんでした。でも、いま思いだしてみると、私は子どもの頃から、本の世界に没入することが心地良く、誰にも教えない自分だけの秘密基地のように感じていました。

 それはおそらく環境のせいもあるでしょう。私の家の周りには親戚たちが住んでいて、自分の家と隣家との区切りがなく、子どももたくさんいて、いつも騒々しかったのです。幼馴染や親戚の子たちと一緒に毎日くたくたになるまで外で遊び、それはとても楽しかったけれど、一人になって本を開く時間も静かながら心躍るものでした。

 お盆やお正月には曾祖母の住む母屋を親戚一同が訪れ、子どもも大勢集まるので大騒ぎになるのです。私はその騒がしさが苦手で、いつも箪笥と箪笥の間の狭い隙間に入りこみ、誰にも見つからないように本を読んでいました。しばらくすると、全盲だった曾祖母が「聡子がいない」と言い出すのです。耳だけで、子や孫、曾孫たちの存在を認知していた彼女は、もともと声が小さくあまり話もしない曾孫の声が、ざわめきの中にないことをいつも聴き取るのです。箪笥の隙間から出た私が曾祖母のそばに行き、「ここにいるよ」と手に触れると、まるで本物かどうか確かめるように私の顔をなでまわしながら「おまえの声がせんから心配した」と言われるのでした。読書は中断されたけれども、毎回繰り返されるこのやりとりは「見つけられた」というわずかな喜びを伴い、私にとっては小説の一場面のような記憶となることを、そのときはまだ知らないのですが……。

 この手紙を書いている今もちょうどお盆です。あちらに旅立っていった人たちを思いだしながら、とてもとても静かなお盆です。そして今、坂口安吾の故郷に来ていることも、アレクサンドラさんからのお便りを読み返しながら、なんとも奇遇なような、それでいて自然なことのような不思議な気持ちでいます。

高柳聡子

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著者略歴

  1. 高柳聡子(たかやなぎ・さとこ)

    福岡県生まれ。ロシア文学者、翻訳者。早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。おもにロシア語圏の女性文学とフェミニズム史を研究中。著書に『ロシアの女性誌──時代を映す女たち』(群像社、2018年)『埃だらけのすももを売ればよい ロシア銀の時代の女性詩人たち』(書肆侃侃房、2024年)、訳書にイリヤ・チラーキ『集中治療室の手紙』(群像社、 2019年)、ローラ・ベロイワン「濃縮闇──コンデンス」(『現代ロシア文学入門』垣内出版、2022年所収)、ダリア・セレンコ『女の子たちと公的機関 ロシアのフェミニストが目覚めるとき』(エトセトラブックス)など。

  2. アレクサンドラ・プリマック

    ロシア生まれ、ヨーロッパ育ち。スペイン、イギリスに住んで、2018年に日本に移住する。University College Londonでロシア詩人のヨシフ・ブロツキーを研究、上智大学で太宰治の作品を研究した。在学中ロシア語で詩や記事を執筆して、雑誌『新世界』等に掲載される。2016 年にロシアの若手詩人賞受賞。現在は出版社に勤めながら、日本文学とロシア文学との繋がりを回復することを目指して、翻訳や執筆に従事している。夢は日本の小説家になること。

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