第10回 天上/天井の悦ばしき花綱:ウェヌスが言祝ぐ愛と豊穣の苑
ヴィラ・ファルネジーナで「プシュケーの物語」を見た。私はこの絵の彩色した複製を自室に長いこと飾っている(ゲーテ『イタリア紀行』(上)、鈴木芳子訳、光文社、2021年、p.266)。
昔、ある国の王家に、それは美しい三人の姫君がいたそうな。なかでも末娘プシュケーの麗姿は世に冠絶し、国中が、愛の女神ウェヌスへの信仰をうちすてて、この美姫を崇め奉ったという。面白くないのは女神様だ。人間の小娘ごときが、なんぞわらわを貶めるか!──さっそく息子クピードを呼んで復讐を命じる。お前の矢の力で、あの娘が世界でもっとも卑しい人間と恋に落ちるよう、仕向けておくれ、と。
お母さまの言いつけは絶対なれど、多感なるクピード、いざ仇たる乙女プシュケーを目にするや、そのあまりの可憐さにたちまち魅了され……
と、続きが気になる、このいかにも物語のツボを押さえたプロットは、帝政期ローマ(二世紀)の奇譚『黄金のろば』の話中話として綴られる、幻想的なラブ・ロマンスの冒頭部だ。本編とは関係のない一挿話ながらも、うら若い男女の純愛ストーリーは時代を超えて人々に愛されてきた。
さてプシュケーはこの後、その神々しき美貌がかえって災いをもたらし、悲嘆の放浪をかさねた末、いつしか天上の豪奢な宮殿に至る。そこで優しき男性に癒され、夫婦の契りを結んで幸せに暮らし始めるのだった。ただし、新郎に出会えるのは夜の暗闇の中のみで、その素性は謎に包まれたまま──お察しの通り、クピードが姿を偽って逢瀬を重ねていたのであった。この後、正体の露見、母神ウェヌスからプシュケーへの神罰、お助けキャラの活躍……と、息もつかせぬ展開が続き、最終的には、大神ユピテルのとりなしで恋する男女は再び結ばれ、天上界での祝婚パーティによって大団円を迎える。
異教神話の神々総出演!ともいうべきこの豪勢な恋愛ドラマを、芸術家たちはこぞって作品の主題とした。なかでもラッファエッロが、ローマ都心部のヴィッラ・キージに制作したフレスコ画群が際立っている。ゲーテが見て感動に打ち震えたのは、後に持ち主が変わり、ヴィッラ・ファルネジーナと呼ばれるようになり現在に至る、このヴィッラの天井画であった。
イタリア・ルネサンスを代表する豪商といえば、メディチ家の名がまず思い浮かぶ。けれども十六世紀の初頭、そのメディチをも上回る財力と権勢を誇った銀行家がいた。シエナ出身のアゴスティーノ・キージ(1466-1520年)である。個性的な三代の教皇(アレクサンデル六世/ユリウス二世/レオ十世)に仕えて教皇庁の金庫番の異名を取ったキージ銀行は、イタリアにとどまらず、イングランド、フランス、北欧、エジプト、中東にも支店を構えたほか、明礬採掘、採塩、税関業務なども手掛け、各種商品の取引のため盛時には100艘の船を所有し、従業員は2万人を数えた。たたき上げの商人であったキージだが、絵画、詩文、演劇、古代遺物をこよなく愛し、芸術庇護に莫大な富を投じた。その彼が、終の棲家とすべく、当時望みうる最高の芸術家たちを結集して造営したのが、ヴィッラ・キージである。
敷地はヴァティカンの南東、トラステーヴェレとよばれる地区の一等地。すぐ脇をテーヴェレ河が流れている。1509-11年にかけて建設されたヴィッラの躯体は、凹の字形の平面を持ち、両端から突出する翼棟にはさまれた中央部が、アーチを連ねた開廊を形成する(図1)。ここが「プシュケーのロッジア」と呼ばれる区画で、邸館の主エントランスとして機能した。ラッファエッロ工房が担当したフレスコ画は、1518年にお披露目されている。
(図1)
かつてヴィッラの周囲には、広大な庭園が広がっていた。敷地の北側に大規模な果樹園が広がる一方で、ヴィッラの手前には舗装された広場があり、演劇や祝祭の舞台となった。またヴィッラの東側、つまり建物とテーヴェレ河にはさまれたゾーンには整形庭園が広がり、岸部付近には園亭風ロッジアが建っていた。
この園亭は伝説的な饗宴の舞台となったことで知られる。1518年8月、キージは高位聖職者たちを招いて盛大な夕涼みの宴会を催した。そして食後には、料理を盛っていた無数の銀器・金器をおしげもなく、足下を流れるテーヴェレ河に放擲するパフォーマンスで、会食者たちの度肝を抜いたのだ──実は、河の下流に網を仕掛けて、皿はすべて回収したというオチがつくのだが。
ではいよいよ、ゲーテを感動させたプシュケーのロッジアを訪問してみよう。緑豊かな果樹園を抜け、ロッジアのアーチをくぐった者は、思わず、上空を優雅に舞うオリュンポスの神々の姿にくぎ付けとなることだろう(図2)。長方形の天井面は二つに分割され、それぞれ《神々の集会》と《クピードとプシュケーの婚宴》が描かれている。物語の終盤、クピードとプシュケーの婚姻の可否を協議する場面、そしてめでたく婚姻の宴へといたる情景だ。
(図2)
その天井面を支える四辺の壁の上部には、ペンデンティヴすなわち曲面状三角スペースが合計10箇所あり、そこに物語の主要場面が順に描かれている。ことの発端となった、ウェヌス・クピード母子の姿を起点に、前半は主として妖艶な愛の女神が、豊満な四肢をおしげもなく晒しながら天界をあちこち駆け巡る様子が、そして後半は、試練を潜り抜ける可憐なプシュケーの姿が、語られている。水も滴る美女が多数登場し、しかもほとんどが裸体に近いという、なんとも艶やかな連作画である。
これら天井画を見上げる者の目に映るのは、美しい肉体の乱舞が生み出す淡いピンク色の洪水であろう。けれども全体を俯瞰するなら、賑々しい祝婚譚をなおいっそう盛り上げる、強烈な「みどり色」の存在に気づくはずだ。物語の場面を区切る、華麗な花綱装飾のグリーン・ベルトである。
この種の葉冠は通常、控えめな枠組み装飾の機能を果たすものだが、ここヴィッラ・キージに見られる花綱画には、圧倒的な自己主張の強さと、植物描写のただならぬ迫力が感じられる。単なる脇役とは思えない、ある種の自律性を獲得しているのだ。この部分を専門に担当したのはジョヴァンニ・ダ・ウーディネ(1487-1564年)。ラッファエッロ工房の中でも、動植物を描かせたら右に出る者はいないといわれた綺想の画家だ。
G・ヴァザーリ『美術家列伝』によれば、ジョヴァンニは少年の頃、父の鳥獣狩りに同行し、獲物の動物たちを見事に素描して大人たちを驚かせたという。その後絵画修行を積んで今を時めくラッファエッロ工房に入った後、画面内の装飾や背景、道具類、動植物など、要するに主要人物以外を担当するエキスパートとして活躍した。彼の画業の一大転機となったのが、ネロ帝の「黄金宮殿」(当時地下に埋もれて洞窟化していた)の探検である。そこで、動物・人間・植物・器具類が無碍に融合する不思議な壁画に出会い、衝撃を受けたのだ。いわゆる「グロテスク紋様」である。この装飾パターンはたちまちラッファエッロ工房の、とりわけジョヴァンニの十八番となり、十六世紀ローマのアートシーンを席巻した。
そのジョヴァンニが「プシュケーのロッジア」で手掛けた豊穣な花綱は、天井や壁の稜線を縦横に走り、神々の物語を区切ってゆく。それは庭を縦横に巡るパーゴラ(蔓棚)のようにも見え、あたかもクピードとプシュケーの恋物語が、つい今しがた、キージ邸を取り囲む果樹園や花壇で実際に起こったかのような印象を見る者に抱かせる。
この葉冠紋様の美しさに貢献しているのは、なんといっても、描かれた植物相の多彩さと豊かさと写実性である。この花綱を徹底的に分析したジューリア・カネーヴァによれば、画中には約170種の花・果実・草木・キノコ類が同定可能であり、それらが繰り返されることで、全体としては1200点あまりの植物が確認できるという。(図3)
(図3)
品種は均等に選ばれているわけではなく、バラ科が圧倒的に多い。次いでキク科、ユリ科、ウリ科、マメ科、イネ科の順になる。個体数の面で見るなら、バラ科の中でもリンゴが突出しており、合計143点。この赤い果物だけで描画植物全体の12%を占める。要するにリンゴだらけ。他にも数が多い品種としては、果樹・野菜類ならナシ、モモ、マルメロ、ザクロ、ブドウ、メロン、オレンジ、イチジク、ナス、カボチャなど。花ならバラ、カーネーション、スイセン、ジャスミン……。こう書いているだけでも、フルーツの甘い味わいと、花々の甘美な芳香が、脳内に満たされてくる。
こうした傾向には当然、特別な意味合いがあったのだろう。リンゴやバラといえば、フレスコ画の主役のひとり、愛と美の女神ウェヌスを象徴する植物である。またユリ、ジャスミン、マルメロ、ナシといった花樹は、ユピテルの妃たるユノー(画中に登場)のアトリビュートだ。ユノーといえば、結婚をつかさどる女神として知られる。要するに、婚姻をめぐる物語を囲う額縁自体が、愛・結婚・豊穣といったメッセージを雄弁に発しているのである。それもそのはず、フレスコ画が完成してほどなくして、キージは長年連れ添った愛人フランチェスカと正式に結婚している。愛する二人が結ばれ、豊穣な家庭生活を営む。ヴィッラ・キージは新婚夫婦にとって理想の新居だったのだろう。
「プシュケーのロッジア」の花綱はしかしながら、古典神話の蒼古たる伝統とは正反対の、最先端の自然科学知識の宝庫でもある。たとえば、わずか五点ではあるが、アメリカ大陸産の品種が花綱に紛れ込んでいる。学術名を記すと①Zea mays ②Cucurbita maxima Duchesne ③Cucurbita moschata Duchesne ④Cucurbita pepo L. ⑤Phaseolus vulgaris L. わかりやすく言えばトウモロコシ、カボチャ類2種、ズッキーニ、インゲンマメ。今でこそ世界中の食卓にのぼるグローバルな野菜類であるが、十六世紀初頭のヨーロッパでは飛び切り珍しく、また目玉が飛び出るほど高価な植物であった。(図4)
(図4)
さらに驚くのは、これらの植物の成長のさまざまな段階が、フレスコ画に写し取られていることだ。つまりジョヴァンニは、乾燥標本や他人の手になるスケッチを元に描いたのではなく、目の前で生きて成長している植物の姿をじっくり観察して描写した可能性が高い。ではどこに植わっていたのか? キージ邸の庭、と考えるのが自然であろう。これら5種以外の描画植物の多くも、庭園で実際に栽培されていたものと推測されている。庭の植物がそのまま花綱になったかのような「プシュケーのロッジア」は、大きなアーチが連なる開放的な構成とあいまって、庭の延長的空間として機能したのだろう。
それにしても、この花綱の圧倒的な魅力は、今述べた事柄だけで説明のつくものではない。要するに、ため息がでるほど美しく、見ていて飽きない多様性と、遊び心に満ち溢れているのだ。たとえば、長いキュウリと球果2つで男性性器のかたちをつくったり、下膨れのメロンの上からブドウの房をたらして人面に似せたり、と、隠されたメッセージを探し出したらきりがない。(図5)
(図5)
「プシュケーのロッジア」では、花綱が主人公、とまではゆかないものの、少なくとも神話画と同じぐらいの存在感を示している。植物が絵の主題になる、というと、十七世紀以降に発展する「静物画」(nature morte=死せる自然)を思い浮かべる人も多いだろう。圧倒的な描写クオリティを誇るジョヴァンニの花綱は、まさに静物画の先駆といってもよい。ただしそれは、トンジョルジ・トマーズィの言葉を借りるなら、「死せる自然」などではなく、「生ける自然」(natura viva)、すなわち「生」物画ないしは「活」物画といえるのではなかろうか。
キージ邸の豪華な庭園は跡形もなく消えてしまった。けれども「プシュケーのロッジア」を訪れさえすれば、美しき神々のあいだで楽し気に咲き笑う、永遠の愛の庭の中に、我々はいつでも入ってゆくことができる。
〈図版出典〉すべて筆者撮影
〈参考文献〉
・David Coffin, The Villa in the Life of Renaissance Rome, Princeton: Princeton University Press 1979.
・Giulia Caneva, Il Mondo di Cerere nella Loggia di Psiche, Roma: Fratelli Palombi 1992.
・C. L. Frommel et al. (a cura di), La Villa Farnesina a Roma / The Villa Farnesina in Rome: Atlas / Text (Mirabilia Italiae), Modena: Franco Cosimo Panini 2003.
・Alessandro Cremona, FELICES PROCERUM VILLULAE. Il Giardino della Farnesina dai Chigi all’Accademia dei Lincei, Roma, 2010.
・A. Sgamelotti – G. Caneva (eds.), I colori della prosperità: frutti del vecchio e nuovo mondo, Roma: Bardi edizioni 2017.
・Giulia Caneva, Meraviglia, amore e potere. Le pitture botaniche più ricche del mondo nella Loggia di Psiche di Raffaello e Giovanni da Udine. Villa La Farnesina, Roma, Firenze: Nardini Editore 2022.
・Lucia Tongiorgi Tomasi, “Un giardino sul soffitto. I festoni vegetali di Giovanni da Udine nella Villa Farnesina”, FMR 2024.
・ジョルジョ・ヴァザーリ『美術家列伝』(第5巻)、中央公論美術出版、2017年