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「ヨーロッパ綺想庭園めぐり」桑木野幸司

第8回 花樹は剣よりも強し:雄弁の人エラスムスが望んだ平和の庭

 かつて十六世紀のヨーロッパで「人文主義の王者」と称えられた人物がいた。その者の座右の銘は「我レ何モノニモ譲ラズ」concedo nulliであったという──こう書くと、いかにも権威を笠に着た、傲慢不遜な知識人のイメージを抱くかもしれない。けれどもその実は、平和を何よりも愛し、理性をもって党派争いの調停につとめ、暴力を心の底から憎んだ博愛・融和の士であった。デシデリウス・エラスムス(1466-1536年)の筆名で知られる学者である、といってぴんとこなければ、『痴愚神礼賛』(1511年出版)の著者と言えば、たいていの人が教科書で目にしたその名を思い出すのではなかろうか(図1)。


図1:ハンス・ホルバインによるエラスムスの肖像画
出典:https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/9/94/Hans_Holbein_d._J._-_Erasmus_-_Louvre.jpg

 自分のことを作中で「ポリュグラフス」(多作家)と称する(『対話集』)ほど、膨大な著作や書簡を、あきれるほど多彩なトピックにわたって、とにかく書いて書いて書きまくったエラスムスではあるが(書簡集だけでも11巻に及ぶ!)、その平和主義は決して片手間の仕事ではなかった。ライフワークたる聖書研究を続ける傍ら、その名も『平和の訴え』(1517年)を筆頭に、若き君主への平和思想の訓育をまとめた『キリスト教君主の教育』(1516年)、さらには戦争に明け暮れたローマ教皇ユリウス二世を揶揄した風刺篇『天国から締め出されたユリウス』(1514年)などを矢継ぎ早に上梓。宗教改革前夜のヨーロッパの不穏な空気を、ペンの力で鎮めようと粉骨砕身した。それもこれも、ベストセラー作家としての自身の影響力の強さを自覚していたからに他ならない。いずれもラテン語で記されているが、もはや悪達者ともいえるレベルに達していた彼の流麗な古典語能力は、国境を越えて広範な読者を獲得した。
 おそらくそれらの長大な著作群のいずれにも増して、人々に平和の尊さを訴えかける力をもっていたのが、「戦争はこれを体験しない者に美しい」Dulce bellum inexpertisなる箴言であろう。これは、古代ギリシア・ラテン語文献から、智慧と教訓に満ちた金言・俚諺を数千という単位で抜粋し、注釈を加えた彼の代表作『格言集』(初版1500年)の、何度目かの改訂版(1515年)に加えられた黄金の警句だ。この簡潔な三語にエラスムスが添えた熱のこもった長文の注釈は、彼の平和思想を凝縮したレジュメの体裁となっている。実際、1517年にはこの格言と注釈のみを切り出して、独立した論考として出版。たちまち版を重ね、各国語にも訳された。

 庭の連載なのに何故にエラスムス?といぶかる読者には、そもそも庭園文化が花開くのは平和な世の中であればこそ、と言ったら、こじつけめくであろうか。けれども庭園とはそもそも、その時代の最先端の文化・美学・感性・技術を投入して作られる芸術作品であり、それゆえにこそ、戦乱時には真っ先に破壊の対象となった。こうして古代メソポタミアでは王族の狩猟園が戦争で荒れ、英仏の市民革命時には王党派の庭園が民衆の憎悪の対象となり、アロー戦争の際には清朝文化の精華たる円明園が英仏軍に蹂躙されたのだ。
 ではエラスムスその人の戦争観を見てみよう。一般に、戦争で世を乱す輩は野獣のようだ、などと言われるが、この考え方はおかしい。そもそも自然界の獣たちは同じ種同士で血みどろの闘争をしない。他の生き物を襲うとすれば、それは仔を養うため、家族を守るためであろう。しかもその際、生まれ持って備わる己の武器(爪や牙)以外は使用しない。翻って人間は、空疎な主義主張を掲げ、卑賎な領土欲・権力欲を満たし、薄っぺらい名誉を守るために同じ種族同士で無慈悲に殺し合う。しかもその際、悪魔のごとき大量殺りく兵器を用い、恐喝、裏切り、奸計なんでもござれ、ときている。これは獣以下の所業だ。
 エラスムスは説く。人間にはみな、神の恩寵によって理性が共通に与えられている。言語を操る能力が備わっている。剣や銃を振りかざす前に、言葉を尽くし、立場を超えて共通の理解を目指すべきではないか──いささか理想主義的な机上の空論とも響くものの、エラスムスが凄いのは、どんなにその立場を非難され、時に脅しを受けようとも、決して己の平和主義を曲げなかったことだ。「我レ何モノニモ譲ラズ」のモットーは、その意味での決意表明に他ならない。「人文主義の王者」にとっては、言葉こそ、そしてその言葉の説得力を最大限に発揮させる弁論術/修辞学こそが、人間文明のあかしであるべきであった。だからそんな彼が、聖書の有名な一節「はじめに言葉があった…」を、ギリシア語原典の研究をもとに訳し直すと、「はじめに語りがあった。神は語ることですべてのものをお造りになった…」となる。そう、この世界は神の雄弁によって創造されたのだ。
 このようなエラスムスの平和思想がそのまま具現化したような庭が、もしあったとしたら、どんな姿形になるだろうか。それは、草木が語り、花々が笑い、動物たちがおしゃべりに興じる、雄弁なる園林池水ではないだろうか。まさにそうした人文主義の理想ともいうべき架空の庭園を詳しく描写した珠玉の一篇が、彼のベストセラー『対話集』に収録された「敬虔なる午餐会」と題された優雅なテクストである。その言葉の園生に、我々も出かけてみることにしよう。

 対話は、田園での閑雅静逸の生活を推すエウセビウスと、都会の活気を上位に置くティモテウスの議論で幕を開ける。後者は、街中での対話を好んだソクラテスの例を挙げながら、木や泉は言葉を持たないから学ぶ機会が無い、とする。それに対してエウセビウスは、聞く耳を持つ者には、木金石蟲魚鳥獣のことごとくが、雄弁に語りかけてくるのだと、と諭す。
 数日後、ティモテウスが友人たちをともなって、田園郊外のエウセビウスの別荘を訪れる。午餐の宴に招かれたのだ。一同は食事の前に、前庭を散策しながら会話に花を咲かせる。発言と発言のあいだに豊かな情景描写があるため、舞台となる庭園の様子を思い描くことができる。まさに言葉の枝葉が繁茂する饒舌な緑陰だ。
 まず戸口のところで一行を出迎えるのが、使徒ペトロとイエスの像。彼らがしゃべっているかのように、ラテン語、ギリシア語、ヘブライ語で三種の碑文が添えられている。いずれも敬虔の探究や改悛、神の権能などを説く、聖書の文言の引用だ。主人によれば、夜間以外は庭の門扉は解放されているというから、要するにこれは、ルネサンス期の都市ローマを中心に流行した庭園の一般解放の慣習、すなわち「庭の掟」(Lex hortorum)のアレンジと見ていいだろう。通常なら、園内での行動規範(花を手折るな、主人に迷惑をかけるな、等)が入り口に掲げられるところ、ここでは聖書の抜粋句が、訪問者のふるまいを宗教的・倫理的に規定することになる。
 一同がこの小さな前庭を抜けると、今度は四方を壁で囲まれた広大な主庭に至る。そこは多様な香草が、品種ごとに区画を割り当てられているという。その情景を眺めたティモテウスが目ざとく気づく。なんと草花たちが、散策者に向かって雄弁に語りかけているではないか!
 実際、分類栽培されているハーブたちは品種ごとに、古典語の寸句(tituli)を刻んだプレートを掲げているのだ。それらの文言は、それぞれの植物の特徴を巧妙に言い表したものだという。たとえばマジョラムには「豚メ、我カラ遠ク離レヨ!汝ノタメニ香ルニアラズ」の銘が。すかさず主人のエウセビウスが解説を加える。この草は甘い芳香を放つものの、豚はこれを嫌うのだ、と。作中で示されるのはこの一例のみであるが、無数の香草ごとに、この種の含蓄に満ちた格言が付された花壇を歩けば、博識な散策者たちのあいだには会話の花が咲き続けることだろう。
 さて、再び庭を見渡すなら、園内には三本の開廊が走り、訪問者に日陰を提供するとともに、空間に建築的アクセントを加えている。この開廊というのがまた凝っていて、長大な壁面に、ヴァーチャルな庭の姿が写実的に描かれているのだ。要するに、花壇に植わる本物の植物(=自然)と、絵の中の仮想の草花(=芸術)とを、競わせようという趣向である。
 驚くのは、壁の中の庭もまた雄弁に語っていることだ。作中ではおもに、木陰に見え隠れする多種多様な生物たちが詳しく描写される。具体名があげられているのは、フクロウ、ツバメ、カメレオン、ラクダ、サル、サソリ、ヘビ、トカゲ、アリ、イルカ、ワニ、カニ、アザラシ、ビーバー、貝類、ポリプ、シビレエイ…。それぞれが、思わずその意味を問いたくなるような、謎めいた寸句(「神は罪を見いだされている」、「捕らわれた捕らえ人」など)を掲げ、あるいは、格言をそのまま視覚化したような仕草をしている。
 開廊をめぐりつつあれこれと質問するティモテウスに、嬉々として知識を開陳するエウセビウス。古典籍からの様々な引用をちりばめた彼らの博雅な会話を通じ、自然の個々の要素が倫理的、あるいは哲学的に読み解かれてゆく。
 いいかげん食事が冷めますよ、との使用人からの催促で、一行はようやく食卓に着く。と、ここでも、食器に古典語の銘文がびっしりと書かれているのを見た客人たちは、この家では皿までしゃべるのか!と、陽気に驚きつつ、午餐が始まる。実はここから展開する対話こそが本編なのだが、我々はこのあたりで切り上げることとしよう。

 ここに描かれた庭は、人文主義者エラスムスが理想とする文雅の林園の極致といえる。他の作品でも、教養人たちが優雅な庭園に集まって歓談する、という設定がよく見られる(『反蛮族論』、『対話集』など)。そもそも彼の頭の中では、読書/文筆活動は、庭と分かちがたく結びついていたと思しい。ある書簡では、主著『格言集』の生まれた経緯をこんな美しい言葉で綴っている。「古典文学作品によってできた庭園を逍遥しつつ(…)あたかも多彩な色調の小花を摘んで花輪を作り上げるかのように」、自分は格言という文学の花を摘み取って、この集成を編んだのだ、と。
 エラスムスの庭好きを傍証する事実がもうひとつある。彼の著作を精力的に出版したバーゼルの印刷業者フローベンは、この蒲柳の質の文人が心置きなく執筆に専念できるよう、街中に庭園付きの邸宅を用意して迎えたという。学匠や出版関係者たちとの愉しき知的交流の場となったそのささやかな園生から、平和を訴える著作が次々と芽吹いていったのだ。
 なるほどエラスムスは書斎の人であり、その動植物についての知識はもっぱら書物に由来するものではあるが、文筆活動に疲れた心身を慰撫してくれる庭の価値を、十分に知悉していたのだろう。そして宗教改革の騒擾がいっそう狂乱の度を増す中で、カトリック、プロテスタントの両陣営からその平和主義の立場を日和見と激しく批判される日々が続いても、庭の草木はこの孤高の作家に、やさしい癒しの言葉を投げかけてくれていたのだと信じたい。

「敬虔なる午餐会」の冒頭で、エウセビウスが自身のヴィッラ庭園を前にして、どんな王宮よりも大切な住まいだと自慢する箇所がある。そして、心の自由を保って暮らせる者こそが王だとするなら、自分は確かにこの庭と館では王なのだ、と。「人文主義の王者」エラスムスは、最後まで己の信条を曲げずに心の自由を貫き通したという意味で、まさに王の称号にふさわしい人物であった。理を尽くした言の葉が繁茂する、平和の庭の王であったのだ。

 ブリュッセルのアンデルレヒトには、エラスムスが1521年に五カ月ほど滞在し、新約聖書の研究を行なった邸館が残り、「エラスムス・ハウス」として公開されている。付属庭園として、「敬虔なる午餐会」に着想を得た「薬草園」と「哲学の庭」が設けられている。「戦争はこれを体験しない者に美しい」Dulce bellum inexpertisの格言が再び重く響く今の世こそ、訪ねてみたい庭だ(図2・3)。

図2:薬草園
出典:https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/43/GezondheidstuinErasmus.jpg


図3:哲学的庭園
出典:https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/8/89/Erasmus_House_11.jpg

〈主要参考文献〉
・Erasmo da Rotterdam, Adagi, a cura di Emanuele Lelli, Milano, Bompiani 2013/2014.
・エラスムス著、箕輪三郎訳『平和の訴え』(岩波文庫、1961年)
・エラスムス/トマス・モア著、渡辺一夫・二宮敬訳『世界の名著17 エラスムス トマス・モア』(中央公論社、1969年)
・エラスムス著、木ノ脇悦郎訳『天国から締め出されたローマ法王の話』(新教出版者、2010年)
・エラスムス著、沓掛良彦訳『痴愚神礼賛』(中公文庫、2014年)
・エラスムス著、金子晴勇訳『エラスムス「格言選集」』(知泉書館、2015年)
・エラスムス著、金子晴勇訳『対話集』(知泉書館、2019年)
・清水美洲『エラスムス』(清水書院、1981年)
・J. マッコニカ著、高柳俊一・河口英治訳『エラスムス』(教文館、1994年)
・シュテファン・ツヴァイク著、内垣啓一他訳『エラスムスの勝利と悲劇』(みすず書房、1998年)
・J. ホイジンガ著、宮崎信彦訳『エラスムス:宗教改革の時代』(ちくま学芸文庫、2001年)
・沓掛良彦『エラスムス:人文主義の王者』(岩波書店、2014年)
・高階秀爾『エラスムス 戦う人文主義者』(房新社、2023年)

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著者略歴

  1. 桑木野幸司(くわきの・こうじ)

    1975年、静岡県生まれ。東京大学大学院工学系研究科博士課程単位修得退学。博士(文学)(ピサ大学)。第8回(平成23年度)日本学術振興会賞受賞。大阪大学教授。専門は西洋建築史・庭園史・美術史。
    主な著書に、『ルネサンス庭園の精神史――権力と知と美のメディア空間』(第41回サントリー学芸賞(芸術・文学部門)受賞、白水社)、『記憶術全史 ムネモシュネの饗宴』(講談社選書メチエ)、『叡智の建築家』(中央公論美術出版)、『ルネサンスの演出家ヴァザーリ』(共著、白水社)、『ブラマンテ 盛期ルネサンス建築の構築者』(共著、NTT出版)など。
    主な訳書に、ヴォーン・ハート+ピーター・ヒックス編『パラーディオのローマ』、ジョン・カナリー『古代ローマの肖像』、アンドルー・ペティグリー『印刷という革命』(以上、白水社)など。

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