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「ヨーロッパ綺想庭園めぐり」桑木野幸司

第5回 カプラローラのパラッツォ・ファルネーゼ:堅牢な軍事要塞から宇宙誌としてのヴィッラ庭園へ

 建築の歴史を勉強していると、「世界で初めて~」とか「最も~な」といった形容辞をかぶせた建物にしばしば出会う。建築版ギネス世界記録とでも言おうか。いわく、世界最古の木造建築、世界で最初の鉄筋コンクリート造住宅、高さ世界一のビル、などなど。「十七世紀最大の建築」の称号をめぐるヴェルサイユ宮殿(仏)とカゼルタ宮殿(伊)の角逐や、「世界最初の近代的植物園」をめぐるピサとパドヴァの鍔迫り合いなども、知る人ぞ知る係争だ。少し変わったところでは、「世界で初めて、風景を見るために建てられた住宅」などというものもある。イタリア・トスカーナ州はピエンツァの町に建つ、ピッコロ―ミニ宮殿がそれだという(もちろん異論もあろうが)。
 西欧の十六世紀からひとつ、その種のトピックを拾ってみよう。この世紀で「もっとも建設費が高額な建物」はどれか。その栄誉(?)を主張する建物に、筆者はこれまでに二つ出会った。ひとつは、フィレンツェが、いやイタリアが世界に誇るウッフィーツィ美術館。もともとはトスカーナ大公国の中央行政庁舎で、大きさもさることながら、住民の立ち退き費用や地盤改良工事などが建設費高騰のおもな原因らしい。ではもうひとつはどれか。

 その建物もまた、風景を眺めるために建てられた。いや、自然の眺望を遥かに超え、宇宙への飛翔を可能にする推力をも象っていたという──。

 ローマの北約60キロの自然豊かな丘陵地に、カプラローラと呼ばれる小邑がある。町の名の語源には諸説あるが、山羊を意味する「カープラ(Capra)」と関連することは間違いない。現在の人口は5400人あまり。南北に長い丘の斜面に旧街区が広がり、その真ん中を貫いて「フィリッポ・ニコライ通り」という名のメイン・ストリートが走っている。店舗や住居の連なりが壁をなすその道を、一番標高が低い南東端から、北西に向かって上ってゆこう。
 坂道の途中で分岐する小路はいずれもぐねぐねと湾曲しているが、この中央路のみ、定規で引いたような直線だ。やがて正面奥に、行く手をふさぐようにして建つ、壮麗な壁が見えてくる(図1)。その輝きに吸い寄せられるように近づいてゆくと、突然、道路左右の建物がばさりと断ち切られ、広々としたスペースに文字通り放り出される(・・・・・・)。そして正面をふさぐ障壁のように見えたものが、実は、幾重にも重なったスロープや階段の上に聳える、まるで砂糖菓子のように可憐なルネサンス風宮殿であることに気づく(図2)──。これが、「十六世紀で最も高価な建築」なる爵位(・・)を要求するもうひとつの建物、パラッツォ・ファルネーゼである(図3)。
 宮殿に近づき、正面から見上げる。なるほど、これはローマ都心部に堂々と建っていてもおかしくない、ルネサンスに典型の古典風パラッツォである。が、側面に回ってみると、たちまちおかしな点に気が付く。どうも建物が歪んで見えるのだ。それもそのはず、上から見ると正五角形をしているのである(図4)。この特殊な形状は、そのまま建物の出自を物語っていた。


図1 フィリッポ・ニコライ通りをすすむ
(筆者撮影)


図2 通りの終端
(筆者撮影)


図3 パラッツォの全景を台形テラスよりのぞむ
(筆者撮影)


図4 パラッツォ・ファルネーゼを上空から見る
(Margherita Azzi Visentini, La villa in Italia Quattrocento e Cinquecento, Milano, Electa 1995, p. 187.)

 十六世紀初頭以来、名門ファルネーゼ家の所領に組み込まれていたカプラローラは、人口こそ希薄であったものの、戦略上重要な拠点であった。同家の枢機卿アレッサンドロ(のちの教皇パウルス三世)は、さっそくこの地に軍事要塞の建設を命じる(1530年代初頭)。当時急速に発展しつつあった砲撃・攻城術に対応すべく、正五角形平面の頂点に稜堡を突き出した、美しい星型の土台が組みあがった。設計は、軍事建築のエキスパートたるアントニオ・ダ・サンガッロ(若)とバルダッサーレ・ペルッツィ。五角形の平面は一辺が約60メートル、周囲には深い堀が巡る難攻不落の砦となる──はずであった。
 ところがである。委細は不明だが、工事は中途で放棄されたらしい。施主の枢機卿は大の狩猟マニアで、自然豊富なこの一帯でもたびたび大規模なハンティング・イヴェントを開催していた。その際の逗留地や迎賓館として使うには、あまりに無骨で不便であると見なされたのだろう。自身が教皇に就任したことによる、地政学的変化もあったはずだ。
 作りかけの要塞を華麗なルネサンス風宮殿へと作り替えるプロジェクトが開始されたのが1556年。施主は、今度もアレッサンドロ・ファルネーゼ枢機卿。ただしパウルス三世の孫にあたる人物だ。ローマ市内では、古代遺跡の宝庫たるパラティヌスの丘にオルティ・ファルネジアーニを作るほど、文化と庭をこよなく愛した教養人であった。この難しいお題の設計を担当したのは、当時のローマ建築界においてブラマンテの衣鉢を継ぐ存在と目されていたヴィニョーラ。軍事・土木建築に通じると同時に、最新の古典主義スタイルを駆使した邸館建築や教会の設計もこなし、作庭にも造詣が深いという才人であった。
 枢機卿自身がこの建物を「ヴィッラ」と呼んだように、このプロジェクトの眼目は可能な限り軍事色を薄め、洗練されたルネサンス風の庭付きヴィッラを作り上げることであった(図5)。その凝りようは、建物へのアプローチ路からすでに見て取れる。住民にとっては甚だ迷惑な話であるが、なんと町のど真ん中に一本、宮殿に至る直線路をびし!と開削してしまったのだ。これには中央軸線によるモニュメンタリティの獲得という理由の他に、中世の屈曲した細い道を辿ってゆくと馬でも数十分かかるという不便さの解消という側面もあった。


図5 パラッツォ・ファルネーゼの全体平面
(G. C. von Prenner, Illustri fatti farnesiani..., 1748 in Margherita Azzi Visentini, La villa in Italia Quattrocento e Cinquecento, Milano, Electa 1995, p. 186 に方位マークを加工)

 その中央路の上端には広々としたスペースが挿入され、いよいよ敷地に入ってゆく。扇状のゆるやかなステップを数段上ると、凱旋門風のアーチにぶつかり、左右に道が分かれる(図2)。両腕で大きな輪を描いたような巨大な湾曲階段をつたって上昇すると、視界が一気に開けて広大な台形テラスに出る(図3)。建物の全景を賞玩できるベスト・ポイントだ。その広場を奥にすすんでゆき、再び折り返し階段で左右どちらかに分かれて上った末に、ようやく主玄関に至る。このように、強力な中央軸線を設定しつつも、スロープや折り返し階段などを用いて動線を左右に振りながら昇降させる手法は、まさにヴィニョーラの師ブラマンテが、ヴァティカンのベルヴェデーレの中庭で開発したデザインだ。
 さっそく主階を訪れてみよう。建物の正面ファサードいっぱいに、五つのアーチ窓をそなえて広がるのが「ヘラクレスの間」。壁面には、ファルネーゼ家の所領支配を描いたランドスケープ画が広がる。天井画もヘラクレスがテーマで、彼が棍棒で地面をたたき、ヴィーコ湖を誕生させたエピソードが語られている。カプラローラの西に実在する湖だ。そして圧巻は窓からの眺望(図6)──街並みを貫いて走る直線街路が、いつしか風景と融合し、無限のかなたに消え霞んでゆく。ここから見渡せるのはファルネーゼ一族の広大な領地であり、その地平線の彼方には彼らの権力の源たる聖都ローマが位置している。これほど視と権力の結びつきを体験できる眺めもないだろう。


図6 「ヘラクレスの間」からの眺望
(筆者撮影)

 もう一部屋、主階でぜひとも見ておくべきなのが「世界地図の間」だ。四方の壁には巨大な世界地図が掲げられ、天井一面には、北半球を飾る四十八の星座群が描かれている(図7)。ファルネーゼの権力志向が、一地方にとどまらぬ宇宙誌的ヴィジョンを抱いていたことを明示する装飾といえる。


図7 「地図の間」の天井画
(筆者撮影)

 その宇宙誌という観点からこの建築をあらためて見ると、さまざまな工夫に気付く。全体平面が五芒星であることはもとより、正面ファサードの左右の土台にも日時計と時計が設置され、太陽の運行法則や四季の変化をモニタリングしていた(図3)。そして居室のプランニングにおいても、季節の変化が巧みに写し取られている。五角形平面のうち、北および北東の辺が「夏の区画」、南西および西の辺が「冬の区画」に割り当てられ、残りの一辺すなわち南東正面が、エントランスや公的広間を構成しているのだ。
 居住区に対応して、庭園にも季節区分がほどこされていた。すなわち、建物の北に広がるのが夏の庭、西が冬の庭である。それぞれ一辺70メートルあまりの正方形で、内部は矩形に分割。四辺を壁で囲われ、建物からは木橋を渡っていく仕掛けになっていた。閉鎖的でやや保守的な構成ではあるものの、周壁にうがたれた窓からは、周辺のランドスケープを見渡すことができた。装飾として特筆すべきは、壁に設置されたグロッタ噴水である。なかでも重要なのが夏の庭の北壁に設けられた「ウェヌスのニンフェウム」(図8)。現在は破損が激しいものの、かつては築山の上にウェヌス女神が立ち、彼女の足元の水盤には、二頭のユニコーン像が角を水に浸していたという。まさにこの地域一帯の地誌を噴水化したもので、水盤はヴィーコ湖、女神像はその傍らに実際にそびえるその名もウェヌス山(標高341メートル)。ユニコーンはその角で水を浄化するという伝説があり、ここでは、ファルネーゼ家による湖の水位調整ならびに周辺一帯の灌漑工事──いずれもヴィニョーラが担当──を言祝いでいる、と解釈できる。また天井部分にはかつて、新大陸産の動植物を描いた鮮やかなフレスコ画が見られたという。


図8 ウェヌスのニンフェウム
(筆者撮影)

 とはいえ、こうした権力や領域支配といったメッセージに常に囲まれていたら、くつろげないのではないか──そんな思いは、当時の家主も感じていたようだ。ファルネーゼ枢機卿は晩年、建物の北に広がる森を抜けたところに、隠れ家のような離れ屋を作り、小さな庭を周囲に配した。「(かみ)の庭園」と呼ばれるゾーンだ。

 夏の庭の西壁に門が開いており、そこを抜け、ゆるやかな坂道を上ってゆく。いつしか径路は栗林を抜け、モミの林苑の樹陰をくぐり、やがて前方の木々の茂みが途切れたあたりから、軽やかなせせらぎの音が聞こえてくる。音の正体は「水の鎖」と呼ばれるカスケード(図9)。上から流れてきた水は、底に突起のある水路を軽やかに、リズミカルに音を立てて流れ落ち、貝殻の水盤に注ぎこむ。水路を囲むイルカの不思議なデザインともども、いつまでも見飽きない水の演出だ。水路を見ながら坂をあがってゆくと、カジノとよばれる瀟洒な小建築に至る。あくまで一時滞在のための、しかし俗塵を完全に離れてひとり瞑想にふけることのできる、極私的空間であった。


図9 水の鎖
(筆者撮影)

 けれどもそれは、豪奢で圧倒的なパラッツォ・ファルネーゼと対になって、はじめて機能する庭ともいえる。日時計を用いて歳時を計り、所領の風景や世界地図を見ながら地理的地平の広がりを掌握し、天井の星座画の彼方に天上の星度を透かし見る──その宇宙誌的ヴィジョンを思考に結晶化するための、瞑想装置としての庭。動が静を求め、活動的生は沈思省察によって補完される。そんな普遍的な心身のサイクルを具現化した空間こそ、ファルネーゼ家の当主たちが求めたものだったのではないか。

 パラッツォ・ファルネーゼは、その規模の大きさ、内部装飾の豪華さ、関連土木工事の複雑さや補助施設(傍らに建つ巨大厩舎や兵舎など)の多さなどを考慮するなら、間違いなく十六世紀中最も高価な建築のひとつであろう。この建物を指して「世界八番目の驚異」と称したり、十六世紀でもっとも美しいパラッツォだと誉めそやしたりする人もいる。評価はあくまで主観、人さまざまだろう。
 だが、あらためてこの絢爛豪華な宮殿=ヴィッラの前に立ってみるなら、地上に満ちているエネルギーをすべて吸い上げて上空に向かって吹き上げているかのような、いまにも飛び立ちそうなその姿に目が覚める思いがし、そこに盛られた宇宙誌的コンセプトは夢想を誘う──少なくとも、天に一番近い建築であることは確かであろう。

<主要参考文献>
・David Coffin, The Villa in the Life of Renaissance Rome, Princeton, Princeton University Press 1979.
・Marcello Fagiolo, Vignola: l'architettura dei principi, Roma, Gangemi 2007.
・Francesca Romana Liserre, Grotte e ninfei nel ’500. Il modello dei giardini di Caprarola, Roma, Gangemi editore 2008.

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著者略歴

  1. 桑木野幸司(くわきの・こうじ)

    1975年、静岡県生まれ。東京大学大学院工学系研究科博士課程単位修得退学。博士(文学)(ピサ大学)。第8回(平成23年度)日本学術振興会賞受賞。大阪大学教授。専門は西洋建築史・庭園史・美術史。
    主な著書に、『ルネサンス庭園の精神史――権力と知と美のメディア空間』(第41回サントリー学芸賞(芸術・文学部門)受賞、白水社)、『記憶術全史 ムネモシュネの饗宴』(講談社選書メチエ)、『叡智の建築家』(中央公論美術出版)、『ルネサンスの演出家ヴァザーリ』(共著、白水社)、『ブラマンテ 盛期ルネサンス建築の構築者』(共著、NTT出版)など。
    主な訳書に、ヴォーン・ハート+ピーター・ヒックス編『パラーディオのローマ』、ジョン・カナリー『古代ローマの肖像』、アンドルー・ペティグリー『印刷という革命』(以上、白水社)など。

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