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加賀野井秀一「メルロ=ポンティを読む」

第2回 失楽園と始源へのノスタルジー

 メルロ=ポンティは1960年、52歳の頃(もうこの翌年、彼は他界してしまうのだが)、めずらしく懐古的な口調でジャン=ポール・サルトルとポール・ニザンとの思い出を語り、この二人の大きなすれ違いが一体どこに由来していたのか、実に見事な分析をほどこしている。

「〔二人のすれ違いは〕青年である二つの仕方があり、両者は相手を容易には理解しえないということを物語っている。一方の人々は、幼年時代によって魅惑されている。幼年時代が取り憑き、特権的なさまざまな可能性の次元において、彼らを魔法にかけたままにしておくのだ。また他方の人々は、幼年時代によって大人の生活の方へ投げやられている。彼らは、自分には過去がなく、あらゆる可能性のすぐそばにいると思っているのである。サルトルは後者の人間に属していた。したがって、彼の友人になることは容易ではなかった」(『シーニュ』序)

 こうした幼年期の原体験を重視する立場は、当然ながら、『ボードレール論』などで夙(つと)にサルトルが試みてきたあの「実存主義的精神分析」を髣髴させるものだろう。それによればボードレールは、6 歳の時に母の再婚で「失楽園le paradis perdu」を経験し、そこから解放されぬまま欺瞞の自己形成を図り、マゾヒスティックで自己対象化的な世界観に囚われて、結局は、自由な行動へと開かれることがなかったと断罪されていた。だが、ここでのメルロ=ポンティの分析にはもう一捻(ひね)りがあり、そこから解放されているはずのサルトル流の生き方も、しょせんは、この幼年期へのもう一つの応答の仕方に過ぎないというのである。

 ボードレール同様、サルトルもまた2歳で母の再婚に遭遇しているが、彼の場合には、それがむしろ楽園への執着を断ち切り、自由を求めて、未来への「投企projet」にこれ努める姿勢を作り上げることになる。つまるところ、だれ一人として根を持たない者はなく、根を持つまいとする決断も、根があることを告白するもう一つの仕方になっているというわけだ。

 幼年期に魅惑されて後ろ向きに前進するスタイルと、幼年期を断念することによって後ろを振り返ろうとしないスタイルとの「青年である二つの仕方」、こうした二分法の可否はさておくとして、少なくともメルロ= ポンティ自身がその観点をとり、みずからを前者の側に位置づけていることだけは確かだろう。そしてこのあたりの事情については、逆に、サルトルの側からの証言も残されているのである。 

「メルロは、一九四七年のひと日に、比類のない幼年期から自分は決して恢復しなかったと私に告げたことがある。[…]彼は、楽園喪失でないとすれば、いったい何であったろうか。[…]われわれの幸福の能力とは、幼年期がわれわれに拒んだものとそれがわれわれに譲り与えたものとの間の或る種の均衡に左右される。何から何まで奪い取られても、すべての望みを叶えられても、われわれは破滅する。そこで、無限の数の宿運というものがあるわけだ。[…]以上が、青年として、彼が、いまだそれを言葉に言い表わし得ないままに感じていたことであり、彼がどのような回路を通って哲学をやるにいたったかの事情である。彼は驚いたのであり、それだけのことだった。すべて勝負は初めについてしまっているのに、しかもゲームは続いているのだ。何ゆえか。何ゆえ不在のものによって失格させられている生活を送り続けるのか。生きるとは一体何なのか」(サルトル「メルロ=ポンティ」『シチュアシオンⅣ』所収)

 これはメルロ=ポンティの死に際してのサルトルの追悼文ともいうべきものだが、何のことはない、今度はここに、「楽園喪失」としてのメルロ=ポンティの姿がつぶさに描き出されているのである。こうしてみると、この期に及んでようやく私たちにも、あの「青年である二つの仕方」が、実は、吟味されるべき単なる一般論ではなく、失楽園を経験した者同士の深い相互洞察によって言わずもがなの前提となっていたことが分かるだろう。つまるところ「自分には過去がなく、あらゆる可能性のすぐそばにいると思っている」サルトルの思索のスタイルも、また、とりわけ「ノスタルジックnostalgique」(ノストス〔帰還〕+アルゴス〔苦悩〕)な趣を見せ、始源への驚き(タウマゼイン)に満ちているメルロ=ポンティのスタイルも、共に楽園から放逐された双子の物語であったと言うべきか。

 後にドゥルーズが指摘しているように、そこからサルトルは、さらに身軽になることを夢見て(成功のほどはかなり疑わしいとしても)「非人称的・絶対的・内在的な意識に帰せられるような主観のない超越論的領野を提示」(ドゥルーズ「内在性:一つの生……」)しようとした。一方、メルロ=ポンティの方は、始源に立ち戻る方法を模索する。結果、得られたものは何だったのか?「知覚」である。

 もとより、メルロ=ポンティはその主著『知覚の現象学 Phénoménologie de la Perception』(1945)によって知られているが、彼が「知覚」に着目したのは、それより10年以上も溯る1930年代。国立学術金庫の研究助成金を申請するために書かれた計画書には、すでに「知覚の本性に関する研究計画」というタイトルが看て取れる。それにしても、なぜ「知覚」に定位することが始源に立ち戻る方法になるのか。「知覚」にかけられた賭金とはいったい何なのか。次回はベルクソン流に、「意識への直接与件 les données immédiates de la conscience」について考えてみることにしよう。

◇初出=『ふらんす』2018年5月号

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著者略歴

  1. 加賀野井秀一(かがのい・しゅういち)

    中央大学教授。著書『メルロ=ポンティ 触発する思想』『猟奇博物館へようこそ』、監訳『メルロ=ポンティ哲学者事典』

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