第11回 偏倚を示す哲学者のスタイル ─「駆け抜ける悲しみ」から「器官なき身体」へ ─
アンリ・ゲオンがモーツァルトの音楽を評して言った「駆け抜ける悲しみ」は、まさに言い得て妙の形容だが、ここではtristesse〔悲しみ〕とallante〔aller の現在分詞、活発な → 駆け抜ける〕との二語のぶつかり合いが特別な効果を生み、小林秀雄にも「モオツァルトのかなしさは疾走する。涙は追いつけない」と言わせることになったいわくつきの表現である。以後、モーツァルトを語る者は、おそらく誰もが、この表現を意識しないではいられなくなるといったたぐいのものなのだ。
これと同じような表現を哲学の分野で探すならば、たとえば、ドゥルーズがアルトーから借りてきた「器官なき身体corps sans organe」などいかがだろうか。身体の中には当然ながら五臓六腑があり、ここに酒がしみ渡ったり、煮えくり返ったりするのが普通だが、不思議なことに、この身体にはそれがない。それがない代わりに、その中を、「他者」でも「石っころ」でも「花」でも、すべてが強度の流れとして通過してゆくというのだから大変だ。まあ、この表現が腑に落ちるためには、同じドゥルーズの「強度intensité」「非有機的なものinorganique」「潜在的なものvirtuel」「先験的領野champ transcendantal」「プラトーplateau」など一連の関係概念を経めぐらなければならないわけだが、よくよく考えてみれば、いずれの哲学者の鍵概念も、実は同じような仕組みになっている。
デカルトの「コギトcogito」を理解するためには、彼が炉部屋にこもるまでの物語を知る必要があり、ベルクソンの「イマージュ image」を会得するためには、やはり『物質と記憶』の冒頭部分に親しむ必要があるだろう。そしてそこでは、デカルトなりベルクソンなりの語りが、彼らに特有のスタイルで展開され、そこで使用される言語(ラング)」の諸辞項(テルム)は、彼らの言行為(パロール)によってしかるべき伸縮をこうむり、「首尾一貫した変形」をほどこされることになってくる。メルロ=ポンティはこうした哲学者たちの試みを、「まず第一に記号を記号として構成する最初の作業」として描き出している。
この作業は、記号の配置と外形が生み出す雄弁だけによって、記号の内に表現物を住まわせるのであり、何ひとつ意味など持っていなかったものの中に或る意味を植えつけるのだ。こうしてそれは、それが生じた瞬間の中で使い果たされるどころか、或る秩序の端緒となるのであり、或る機構ないし伝統を築き上げるのである。(『シーニュ』所収「間接的言語と沈黙の声」p.84)
つまり、そのようにして構築された記号の組織体にあっては、構成要素のひとつひとつが、百の文字盤上の百の指針のように、この体系に従って同一の偏倚を示しており、その偏倚の総体が哲学者のスタイルとなり、さらにその要(かなめ)となるのが、「コギト」であり「イマージュ」であるというわけなのだ。これらはいずれも、哲学という広大な原野の只中に里程標のごとく屹立し、この概念がなければ気づかれることさえなかった未知の領域を区画して、そこに私たちを誘(いざな)ってくれるものとなっている。誘い方はもちろん、哲学が言語による組織体である限り、他の文学作品などと取り立てて変わるところはない。
私は、スタンダールの使っている世間一般の語を通してスタンダールのモラルの中に入り込むわけだが、しかしそれらの語は彼の手の中で秘かに歪められているのである。語の裁ち直しが多角的になるにつれ、そして以前には私は行ったこともないし、おそらくスタンダールなしでは決して行くこともなかっただろうような思想の場を示す矢印がより多く描かれるにつれて[…]それだけ私は彼に近づき、ついには彼の語を、彼が書いた意図そのものの中で読むまでになる。誰かの表情や、要するに彼の個人的スタイルを再演することなしに、その声を真似るというわけにはいかないものだ。そんなわけで、著者の声が、ついには私の内に彼の思想を導き入れてしまうのである。初めは私を万人共通の世界に差し向けていた共通の語や、決闘だの嫉妬だのという、要するに万人周知の出来事が、突然、スタンダールの世界の密使として働くようになり、ついには私を、彼の経験的存在そのものの中にではないにしても、少なくとも彼が作品に換金しながら五〇年間自分を相手にその話をし続けてきた当の想像的自我の中に、住み込ませてしまうことになる。(『世界の散文』p.19)
いかがだろうか、この部分、スタンダールを任意の哲学者に置き換えてみたところで、何ら変更すべきところは生じないし、さらに、こうした発想をもとにして、各哲学者のスタイルを際立たせ、その鍵概念を洗い出せば、そこには、それぞれが独自の磁場をめぐらしながら互いに共存し合うような、古今東西の哲学者たちの姿が見えてくることになるだろう。これはそのまま、全哲学史を捉えるための透徹した視点にもなるはずだ。
かつてヘーゲルは、全ての哲学に防腐処理をほどこし、自己の体系の中にそっくりそのまま安置しようと夢見ていたが、メルロ=ポンティの哲学史観はそうではない。彼はむしろ個々の哲学者のスタイルの中に入り込み、そこに同期し、当の哲学者が語らなかったこと、語るかもしれないこと、語るべきであったことなども含めて生き生きとその姿を描き出そうとする。後年(1956年)、メルロ=ポンティが監修者となり、世界中の名だたる執筆者たちを糾合して作り出した大部の哲学史(邦訳『メルロ=ポンティ哲学者事典』全4巻、白水社)が、哲学者たちの列伝形式をとっているのも、その証左ではないだろうか。
◇初出=『ふらんす』2019年2月号