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髙山裕二「ポピュリスムの時代」

第1回 見失われた鉱脈を求めて

民衆の煽動、デマゴーグ?

 「亡霊が世界を徘徊している。ポピュリズムという亡霊が」

 ナショナリズム研究で著名なアーネスト・ゲルナーがこう語ったのは、1967年のことである。それから半世紀、ポピュリズムは新たな相貌を纏(まと)って世界中で増殖しつつあるように見える。

 当時はアメリカのマッカーシズムのほか、トロツキズム、チトーイズム、マオイズム、カストロイズムといった共産主義圏の独裁を示す言葉として注目されたが、冷戦後の現在、全世界的な現象を指し示すものになりつつある。

 ゲルナーがそう語ったロンドン大学(LSE)でのシンポジウム(1967年5月19-21日)の課題は、「ポピュリズム」populismという言葉を定義することにあった(その報告書は2年後にWeidenfeld & Nicolson社から出版されている)。だが、今日再びよく耳にするようになったこの言葉は、今なお明確な定義もなく、1つのイデオロギーや政治理念というより、政治家が人気取りに終始する態度を漠然と指して使われている。

 実際、ポピュリズムは歴史的に見て多様な概念で、研究者によっても定義困難とされてきた。それは「ある症候群」だと語った学者もいるほどである。それでもたとえば、代表的なハンナ・アーレント研究者で、『ポピュリズム』(1981年)を著したマーガレット・カノヴァンは、その意味が曖昧で多様であることを認めながらも、2つの共通した特徴を抽出できると述べる。1つは、人民の熱狂ないし人民への訴え、もう1つは、反エリート主義である。

 この言葉の由来は、1890年代のアメリカ合衆国で起こった農民主体の社会改革運動と考えるのが一般的である。確かに言葉の使用では、ロシアで1870年頃用いられた (露語でポピュリズムを意味するとされてきた)ナロードニキ運動Narodnichestvoのほうが早い。だが、これは皇帝アレクサンドル2世の「近代化」政策に反発し、古き良き農村共同体への回帰を主張する一部の知識人の運動にとどまった(Guy Hermet, Les populismes dans le monde, 2001)。

 これに対して、アメリカ発のポピュリズムは、産業化自体を否定するというよりは、19世紀末の産業構造の変動と移民労働者の大量流入によって生じた社会格差の不公正を訴える運動だった(R.ホーフスタッターが『改革の時代』(1955年)で指摘したように、このとき「農民」神話が喧伝される一方で、農業はすでに営利主義化していた!)。具体的には、腐敗した「既得権を持つ勢力」に代わって真の〈人民〉(実直な人びとからなる集団)の意志を実際の政治活動を通じて実現する、反エリート主義的運動として展開した。1892年2月、セントルイスで「人民党」People’s Partyを結成、同年大統領候補を擁立までしたのは有名な話である(2年後の連邦議会選挙では150万票、7議席を獲得した)。

 ところで、フランスでの使用例はもっと遅く、最初に「ポピュリスム」populismeが辞典に載ったのは1929年とされる(« populiste »は1907年)。しかも、政治現象ではなく、新しい文学思潮を言い表す用語としてだった。その代わり、フランスではそれまで、「ボナパルティスム」bonapartisme(ナポレオン家の統治の支持・崇拝、あるいは人民投票に依拠した独裁制)や「ブーランジスム」boulangisme(1880年代にブーランジェ将軍が対独報復運動を唱えるなどして雑多な不満分子を糾合した運動)が用いられた。これらは、指導者による民衆の煽動という意味合いが強く、いわゆるデマゴーグの意味に近かった。


豊かな鉱脈:19世紀フランスへ

 とはいえ、単なる民衆の煽動や喝采とは異なるような「ポピュリスム」が19世紀フランスになかったわけではない。それは、産業化によって生じた社会問題に対する民衆の抵抗、団結の必要から生じたもので、欧米諸国で広く見られた現象だった。権益をますます拡大・独占する一部の支配層に対して貧窮に喘ぐ大多数の民衆。この構図のなかで、民衆と権力(指導者)の距離の排除を目指す運動として展開されていった。

 ただフランスでは、アメリカなど他国とは大きく異なる事情があった。フランス革命による劇的な社会変動とその揺り戻しの経験である。まず大革命は、政治権力の起源(正統性の在処(ありか))を王から人民に移行させ、「人民=民衆」peupleを政治の表舞台に一気に登場させた。しかしその後すぐ、統治層はその権力の起源を隠し、民衆感情への直接的な訴えを避けるよう腐心する。しかも社会問題が深刻化、人民主権の理想と民衆の現実との落差が大きくなる。こうしたなか、そのズレを埋めるべく、人民=民衆を復権する思想が登場する。それは人民党の運動とはまた異なる独特な熱気を帯び、特定の集団の利害を代表する類のものではなく、諸集団の包摂、統合を目指した。

 フェリシテ・ロベール・ド・ラムネFélicité-Robert de Lamennais(1782-1854)は、なかでももっとも強い使命を自覚しながら人民=民衆に訴え続けた思想家だった。初期は世紀最大の護教論と呼ばれる書物を著しながら、後期は「叙事詩的共産党宣言」(H.ラスキ)と呼ばれる著作を世に送ったラムネ。なぜ彼はそのように熱く人民=民衆について語る必然性があったのか。しかも、その熱気は伝染病のように広がってゆき、ユゴーやミシュレ、ピエール・ルルーやジョルジュ・サンドといった無数の作家を生み出した。

 この連載では、ラムネらのテクストを同時代の文脈で繙きながら、現在巷間に溢れる平板なイメージに回収されないポピュリズムの鉱脈を探ってみたい。

◇初出=『ふらんす』2013年4月号

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著者略歴

  1. 髙山裕二(たかやま・ゆうじ)

    1979年生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科博士課程修了。博士(政治学)。現在、明治大学政治経済学部准教授。専門は政治学・政治思想史。『トクヴィルの憂鬱』(白水社)で渋沢・クローデル賞、サントリー学芸賞を受賞。『社会統合と宗教的なもの』(共編著、白水社)、『共和国か宗教か、それとも』(同)他。訳書に、カス・ミュデ/クリストバル・ロビラ・カルトワッセル『ポピュリズム』(共訳、白水社)他。

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