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髙山裕二「ポピュリスムの時代」

第11回 1848

2月革命と同床異夢

 1846年末、経済恐慌が勃発、政治スキャンダルも相次ぐなか、選挙制度改革を求めた「改革宴会(バンケ)(banquets)」が全国各地に拡大した。そして48年2月22日、パリで予定された大規模集会を政府が禁止すると、不満を爆発させた民衆が国民衛兵の合流をえて街路をバリケードで埋めた。結局、ルイ=フィリップは亡命し、7月王政はあえなく倒壊した。

 2月革命は、王朝左派と共和派、中小ブルジョアジーと民衆が協同して王政を崩壊させた画期的な事件だが、共和政の樹立以前に矛盾が次々と露呈してゆく。第1に、革命後すぐに成立する臨時政府は以前共和主義者ではなかった「翌日の共和派」によって占められた(ただ、民衆の突き上げによってルイ・ブランと労働者アルベールが政権入りし、生存権・労働権・結社権等が承認された意義は無視できない)。第2に、革命の最大の成果ともいえる普通選挙が4月23日に初めて実施されたが(選挙権は21歳以上の男性)、日和見共和主義者と王党派が圧勝、その結果はきわめて保守的だった。第3に、労働者たちが、クラブによる請願提出を禁じた議会に失望し、ポーランド独立支援を叫んで議場に乱入したが失敗(5月15日)、ブランキら民衆の指導者が逮捕された。事件に衝撃を受けた政府は、失業対策のために設立したものの財政逼迫(ひっぱく)の原因ともなっていた国立作業場の閉鎖を布告(6月21日)、民衆は再び蜂起するが、全権を委ねられたカヴェニャック将軍によって鎮圧された。この凄惨を極めた「階級闘争」は、階級対立を決定的なものにし、社会的共和国の夢はここに崩壊した。

 もっとも、社会的共和派がみな同じ夢を見ていたわけではない。例えば、ラムネは革命後『憲法制定人民』をすぐに創刊し、人民の統合を唱えたが、社会主義の物質主義を批判、立法議会選挙で社会主義者の一員としては立候補せず、当選後は極左議員と離れて行動する。また、個人の自由の核として所有と家族を擁護、カベやルルー、特にルイ・ブランの「共産主義」を、あらゆる自由を破壊するものだと批判した。憲法制定委員会でも、「地方(コミューン)の自由」を要求し、左派の中央政府万能的施策に懸念を表明した。いずれも、かつて自由派と共闘した保守主義者としての顔を覗かせる見解ではあるが、ここで注目したいのは、ラムネが「宗教」を手放さないことだ。彼は早い時期から人類の進歩は不可避だと主張してきたが(革命ではなく進化と称する)、それはどこまでも神にその源泉を持つものだった。ジョルジュ・サンドがラムネから離れてルルーに傾倒したのは、彼のキリスト教的な価値観のためとされるが、マルクスとの不一致もそれと無関係ではなかった。宗派は別にして、ラムネにとって民衆は神と共にある・・・・・・必要があった。

 

神なき後の民衆

 「孤立といった状態に一番苦しんでいるのは誰でしょうか ? ……皆さん全員が知っています。そうです、若者なのです。/ 若い・・とはどういうことでしょうか? ……熱意にあふれて血の気が多く、いまだ全人的で、生来の自発性を保ったままだということです」(『学生よ』大野一道訳)。革命前夜、学生の前でこう語ったミシュレは、社会的に分化されていない自然な・・・ままの若者こそ民衆に近い存在だと説き、連帯を呼びかけた。この次の第3回講義の後、時の政府は煽動的だという理由で講義の中止命令を出した。

 ミシュレJules Michelet(1798-1874)は1846年に『民衆』Le Peupleを刊行、ブルジョアとプロレタリアの対立を強調するよりは「民衆」の名のもとに両階級を再統合しようとした。彼によれば、民衆とは「若々しく原始的」存在である。ここで民衆(プープル)は、貧しいが無垢な社会的・・・階層として表象されてきた〈民衆〉と同時に、諸階層を包摂した政治的・・・統一体としての〈人民〉(国民)を含意する。こうして民衆を政治的主体とするのは、他ならぬミシュレである。「民衆の出の私は彼らと共に生活し働き苦しみ、彼らを知っていると言う権利を他の誰よりも得て、すべてに抗して民衆の人格(personalité)を呈示しよう」。だが、民衆に意味を賦与するミシュレが、それを神聖化し、みずからもそこに没入してゆくとき、民衆は代弁者を失い、政治的統一体ではなくなる。

 この矛盾が現実になったのは、5月15日の民衆の議場乱入だろう。民衆は自身を代弁する存在(議会)を否定する行為に出たが、そこに現われた瞬間、彼らは民衆という全一的存在とはほど遠い「群衆」と化した。このとき、民衆が1つの意志のもとに統合するという「神話」は事実上解体したといえる。いまや民衆がみずから統合することが不可能な以上、統一した像(イメージ)を与えてくれる存在が待望される。5月事件、6月蜂起の後、〈社会秩序の維持〉を合言葉に「秩序党」が形成される一方、12月に行なわれた大統領選でルイ・ナポレオンが圧勝した。その後、議会が言論・集会の自由の制限を含む反動的な施策を次々と打つなか、大統領はこれに対抗して普選復活などを要求、民主主義の擁護者を演じた。そしてラムネの神なき後、民衆が統一の象徴(シンボル)に戴くことになるのがこの人物だった。51年12月2日、ナポレオンがクーデタを決行、共和政は事実上崩壊した。

◇初出=『ふらんす』2014年2月号

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著者略歴

  1. 髙山裕二(たかやま・ゆうじ)

    1979年生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科博士課程修了。博士(政治学)。現在、明治大学政治経済学部准教授。専門は政治学・政治思想史。『トクヴィルの憂鬱』(白水社)で渋沢・クローデル賞、サントリー学芸賞を受賞。『社会統合と宗教的なもの』(共編著、白水社)、『共和国か宗教か、それとも』(同)他。訳書に、カス・ミュデ/クリストバル・ロビラ・カルトワッセル『ポピュリズム』(共訳、白水社)他。

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