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髙山裕二「ポピュリスムの時代」

第9回 もう1つの共産党宣言

民衆よ、団結せよ!

 「そこにいるのはもはや兄弟ではなかった。主人と奴隷だった」。もともと、力は強いが仕事嫌いなある男が、他人を働かせ搾取し、蓄財することで不平等は生まれた――。

 『一信者の言葉』の著者は、簡潔さと崇高さを備えた聖書をモデルに、みずからの言葉を紡いでゆく。ただ、このように不平等の起源を物語のようにして叙述するだけではない。今日存在する社会格差の理由とその不当性を暴露するとともに、これを打倒するためには孤立していてはいけないと、その対処法も解き明かしている。

 人間は1人でいては弱い、権力の風にすぐ吹かれてしまう。だから「お互いに団結せよ。そして支え合い、お互いに保護し合いなさい」。不平等と不公正に抵抗するよう、民衆に団結を呼びかけるこの書は、「叙事詩的共産党宣言」(H.ラスキ)と後に呼ばれたのには十分理由がある。ある同時代人は、目で見て耳で聞くべき音楽のような詩だと述べた。『共産党宣言』の14年も前のことだ。

 だが、ラムネが語りかけたのは、労働者(プロレタリア)という特定の階級を超えた人民=民衆(プープル)だった。「民衆へ」と題された1835年の序文冒頭にはこうある。「この本は主としてあなた方のために作られたものである」。読書クラブで同書に熱中した若者のほか、保守の論客シャトーブリアンが共感を示し、亡命中のフレシヌーさえ、「崇高で心を震わせる」面を認めた。「司祭の衣を纏(まと)ったロベスピエール」と評したのは、批評家のサン=マルク・ジラルダンである。

 『一信者の言葉』のテーマは、ラムネにとって決して新しくなかった。彼はつねに「人民=民衆(プープル)」を見いだそうとしてきた。それが政治的主張として明確に示されたのはやはり『未来』だろう。そこではこう語られていた。「われわれがつねに忘れてきたのはフランスの民衆、われわれである」(1830年12月14日付)。また、翌月の手紙にはこうある。「一体化しなければならないのは民衆、真の民衆である」。この点でラムネは、民衆の側にない教会を厳しく批判する。そして、人類の「進歩」とともに歴史の表舞台に登場する真の・・民衆と調和するような宗教が必要だと説く。同書の刊行前年(33年5月)の手紙には、次のような決意が示されている。「教会やカトリシズムを超えた、作家という立場に身を置く決意をした」。さらに翌年、「今後、司祭の役目を一切やめることを決意した」という。

 他方で、弟子など近親者が離反していった。彼らは「悲嘆にくれています」、モンタランベールがそう伝えてきた。サント=ブーヴが同書への「熱狂」を早くも後悔するなか、新たに聖職者を改心させることにも、共和派を導くことにも成功しなかった。1837年末に刊行された『民衆の書』Le livre du peupleも、同様に反響を呼ぶことはなかった。

 

「破門」と自己内対話

 ローマ教会の対応は早かった。『一信者の言葉』(1834年)刊行から2ヵ月も経たないうちに回勅『シングラリ・ノス』Singularis Nos (6月25日)を発表、同書を糾弾した。「その書を読むだけで、精神はほんとうに戦慄を覚える」。前の回勅では満足できず、「破門」を要求してきたメッテルニヒに代表される、ウィーン体制側の意志も汲み入れた格好だった。

 破門後、ラムネは深い孤独のなか自己内対話を繰り返した。1833年から38年のあいだに主に書かれた紙片からなる『批判的討議』は、彼の葛藤を示している。そのなかでローマ・カトリック教会は手厳しく批判される。そもそも教会の位階制はイエスの教えに反しており(断章3)、またそれでは民衆の深い感情と一体化できない。さらに、神の超越性を退け、被造物と一体化した神の姿を描く。すなわち、宗教とは両者が一体化した「宇宙の神性な活力」のことにすぎないと喝破するのだ(断章16)。ここにシェリングらドイツ・ロマン主義との邂逅を見るのは容易(たやす)い。

 他方、「教会の決定が神の言葉ではない」場合、これに従う義務はないと述べ(断章43)、教会と神を区別する。そして、教皇の無謬性を認めながらも、現在の教皇が無謬であるとはかぎらないと主張する(『第三論集』Troisièmes Mélanges (1835))。実際に彼が面会した人間グレゴリウス16世と、教皇グレゴリウス16世とを区別したうえで、後者は民衆、一般的な同意と一致するかぎりで無謬であるとされるのである。

 ここで『一信者の言葉』の著者は、既成宗教からはかけ離れた地点に至ったように見える。だが破門後も、カトリシズムの信仰のうちに真理の存在を認める。その外形は進化させる必要があるとしながらも、ラムネはあくまで「キリスト教徒」であり続けようとした。彼はつねに分裂・・を怖れていたのだ。

 ラムネは最後まで「宗教」を手放さない。これが「民衆」との一体化を望みながらそれを妨げる原因ともなる。2月革命の際には、「宗教」社会主義者との距離も明らかになるだろう。その意味で、1844年マルクスらがパリで創刊した『独仏年誌』Annales franco-allemandesへの協力を断ったのも、「社会主義」に回収されないラムネ思想の独自性を象徴する出来事だった。

◇初出=『ふらんす』2013年12月号

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著者略歴

  1. 髙山裕二(たかやま・ゆうじ)

    1979年生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科博士課程修了。博士(政治学)。現在、明治大学政治経済学部准教授。専門は政治学・政治思想史。『トクヴィルの憂鬱』(白水社)で渋沢・クローデル賞、サントリー学芸賞を受賞。『社会統合と宗教的なもの』(共編著、白水社)、『共和国か宗教か、それとも』(同)他。訳書に、カス・ミュデ/クリストバル・ロビラ・カルトワッセル『ポピュリズム』(共訳、白水社)他。

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