第11回 1962年5月号
1962年5月号
1960年前後になると、「耳からのフランス語」「生きたフランス語」といった謳い文句が学習界に溢れだした。当時の『ふらんす』の広告欄を見れば、語学会話学習用レコード「リンガフォン」、1958年にフランスで創刊された「耳で聴く雑誌」こと『ソノラマ』Sonoramaの輸入販売、1952年4月以来前田陽一(1911-87)が担当していたNHKラジオのテキストなどが競うように読者を誘っている。語学学校もフランス人講師の「本物のフランス語」を前面に押し出す。だがこうした広告を掲載している雑誌のほうはといえば、どこを押しても振っても音は出ないのである。
そこで『ふらんす』が打った手は、ラジオ番組との連動であった。白水社提供「ふらんす語教室」の放送が1960年10月から開始される。「本誌は、安堂信也氏を講師として、毎週火曜日午前5時15分から30分まで、ニッポン放送でラジオによる《ふらんす語教室》をひらきます。第1回は10月11日、以後、シャンソン、映画など多彩な話題をもりこんだユニークな講座です。[…]フランス語を全然ご存じないかたでもたのしめる番組ですから、みなさん、誘いあわせておききください。放送局の出力は50キロワット、関東一円はもちろんですが、その時間にはじゃまになる他の電波が少ないので、かなり遠方でもききとれるとのことです」(1960年11月号「さえら」)。なかなか思い切った事業展開だが、その後の歩みはまさに紆余曲折であった。
放送開始から3カ月後に番組名を「Salon du français」と変更、放送時間も土曜深夜としたものの、1961年10月には早くもAMラジオからの撤退が決まった。「ニッポン放送を通してお送りした « Salon du français » は、10月をもって終了いたします。なお、あらたに《実用外国語講座フランス語》を、短波放送にて10月4日を皮切りに、毎週水曜日夜11.15〜11.30まで放送します。担当は東京外国語大学の鈴木健郎先生、テキストは本誌11月号より掲載いたします」(1961年10月号「お知らせ」)。だが「実用」と銘打ちつつも内容は短い文章の訳読であったりと、ラジオの特性が生かされていたとは言い難い。1962年5月からは講師にジャン=ジャック・オリガス(1937-2003)を迎えてリニューアルがはかられ、さらに同年10月からは「歌うフランス語講座」という思い切ったタイトルの番組に姿を変えた。従来のフランス語講座に石井好子(1922-2010)によるシャンソン歌唱指導が組み合わさったのである。「歌うフランス語講座が10月4日からはじまりました。すでにお聞きになったかたもいらっしゃると思いますが、今度の講座は石井好子さんのシャンソンと鈴木健郎さん、オリガスさんの会話がうまく調和して、楽しい番組になっています。まだ一度もダイヤルを回したことのない方は、この機会にどうぞ!」(1962年11月号「さえら」)。だがこの番組も1963年8月いっぱいで終了、ラジオとの連動はついに3年弱で幕を下ろした。こう経緯をまとめてみると「迷走」といった観は否めないが、果敢な挑戦であったと言えるだろう。
同時期にはフランス語の発音を収録した「フォノカード」を本誌に付けるという試みもあった。フォノカードとは、ソノシートのような薄いビニールのレコード盤を厚紙に貼り付けたもので、田口史人『レコードと暮らし』(夏葉社、2015年)によれば、広告や雑誌の付録に当時多く用いられたとのことである。通常定価100円に対して、フォノカードが付いた1962年5月号、6月号はそれぞれ150円となったが、読者は値段相応の満足感を得られたのだろうか。7月号には以下のような「おわび」が掲載されている。「『ふらんす』5月号、6月号に付録としてつけました、発音フォノカードは、一部に大へん聞きぐるしいものがありましたことを、深くおわび申し上げます。(編集部)」。
また、1961年6月には臨時増刊として、その後毎年恒例となる「夏休み学習号」がはじめて刊行されている。付録の音声はソノシートで、この形式は1981年まで続いた。その後3年間は音声なし、1985年に「別売カセット」が登場したのち、1999年からCDが付属するようになった。2000年以降は『ふらんす』本誌の4月号にもCDが付いている。だが最近はデジタル・ダウンロードの普及により、家にCDプレイヤーがないという学生の声もたびたび耳にする。「耳からのフランス語」とどう向き合うか、雑誌の葛藤は今後も続きそうだ。
◇初出=『ふらんす』2016年2月号