白水社のwebマガジン

MENU

倉方健作「ふらんす90年」

第8回 1946年5月復刊号


1946年5月復刊号

 1946年5月、敗戦から8カ月半を経て『ふらんす』は復活した。

 表紙には草野貞之(1900-86)の名前があるが、実際に編集の任にあたったのは、フランス語学者の三宅徳嘉(1917-2003)であった。戦中に東大仏文研究室の助手であった三宅を、友人の加藤周一(1919-2008)はこう回想している。「三宅君は、身体が小さく、痩せて、顔色が悪く、決して大声を出さず、また決して興奮せず、酒に途方もなく強くて、優しい少女のような心をもち、あらゆる事に関心を抱きながら、その知識の正確さと推論の綿密さで抜群の頭脳をもっていた。研究室に集って、議論を上下しているとき、黙って聞いていた三宅君が、「それ、一寸どうかな」と一言いうと、誰も喋るのをやめて、考えなおしたものだ。フランス語の解釈についても、統計の数字についても、歴史上の年代についても、調べてみて、三宅説の正しくないことはほとんどなかった」(『羊の歌』、岩波新書、1968年)。

 29歳の三宅の抱負は、巻末に掲載された「編輯者の言葉」に垣間見える。「フランス文学そのものが多彩なだけに、殊にこの頃の出版景気につれて、いはばau hasardに、à qui mieux mieuxに世に送り出される訳著書の氾濫ぶりは、徒に文運の隆昌を寿ぐよりも、寧ろ余りにも無批判な植民地風景として憂ふるに値しよう。自由が乱脈無秩序を意味しないことは敢へて政治経済の部門にとゞまらない。学問文化の分野においても各がそれぞれの個性を発揮し、互ひに啓発刺戟し合ひながら、相共に全体の水準を高めることに努めなければなるまい」(1947年1月号)。フランス語を織り交ぜた独特の文章を操る三宅の視線は、一雑誌を前景としてその向こうに戦後社会全体を捉えている。

 同年5月号の「編輯者の言葉」はこう始まる。「先生―いつも御本を有り難うございます。頂くたびに、でも実を申しますと、冷汗の出る念ひが致します。自分の不勉強の申し訳なさと、敗戦の現実によつて思ひ知らされたはずの日本全体の無知と思ひ上りに対する文化人の一人としての責任と、それよりもこの謂はばde circonstanceな文章の底に流れるこんなにも激しいもの、しかもそれがなほ「空しい祈祷」「白日夢」と題されなければならなかつたことに、若いgénérationとして痛いほどの反省を促されざるをえないからです」。相変わらずフランス語混じりの文章に「文化人」の自負が強く滲むが、宛名人である「先生」の名は最後まで明かされない。なんのことかさっぱりわからない読者もいたはずである。『空しい祈祷』と『白日夢』はいずれも、三宅や加藤の世代に決定的な影響を与えた渡辺一夫(1901-75)の著書であった。「先生」ゆずりの、過度にも思える「文化人」としての矜持といい、仲間内の符牒を楽しむような私信の体裁といい、若きエリートたちの同人誌のような閉鎖性を感じさせないでもない。実際、三宅が編集していた時期には、20代の新顔の書き手が続々とあらわれた。加藤周一が復刊号と7月号に執筆しているほか、福永武彦(1918-1979)が6月号に、中村真一郎(1918-1997)が8月号に、白井健三郎(1917-98)が9月号にと、「マチネ・ポエティク」の同人たちが月代わりで登場している。

 結論から言えば三宅の『ふらんす』は、旧来の読者や、あるいは戦前からの執筆者たちが望む雑誌の方向性とも齟齬があった。「本誌『ふらんす』に対してもつと初歩的な記事をといふ声の起るのも尤もである。本誌はこの輿望に応へて今回編輯方針を一変フランス語初学者のための研究誌とすることにした」(1947年8月号「編輯後記」)。「文化人」の雑誌は1年余りですっぱりと終わったのである。後年、三宅は当時をこう回想している。「敗戦の翌年の春五月、白地に濃紺の文字とデッサンをあしらった簡素にも美しい表紙につつまれて« La France »が再刊されたとき、それは焼野の灰からよみがえるphénixの姿さながらに僕らの目に映った。[略]一年あまりで、僕は編集部を去った。僕らの雑誌は、その後、日を追うて盛りあがるfranco-phileまたはfranco-manieの潮流に支えられて、読者を倍加し、métamorphoseを重ねながら、今日ますますその瀟洒な姿を示している。めでたい」(『ふらんす』1955年1月号)。「僕らの雑誌」―かつての青年編集者の脳裏には、ありえたかもしれない、いわば条件法のなかの『ふらんす』誌が浮かんでいただろうか。

◇初出=『ふらんす』2015年11月号

タグ

バックナンバー

著者略歴

  1. 倉方健作(くらかた・けんさく)

    東京理科大学他講師。19世紀仏文学。著書『カリカチュアでよむ19世紀末フランス人物事典』(共著)

フランス関連情報

雑誌「ふらんす」最新号

ふらんす 2024年5月号

ふらんす 2024年5月号

詳しくはこちら 定期購読のご案内

白水社の新刊

中級フランス語 あらわす文法[新装版]

中級フランス語 あらわす文法[新装版]

詳しくはこちら

ランキング

閉じる