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倉方健作「ふらんす90年」

第1回 創刊号


創刊号

 2015年、白水社は創設100周年、『ふらんす』は創刊90周年を迎える。ちょうど10年違いのようだが、社の設立は大正4年(1915年)の11月3日、『ふらんす』 の前身となる『ラ・スムーズ』は大正14年(1925年)1月創刊である。白水社の100周年まではまだ少し間があるにせよ、『ふらんす』の90周年のほうは年始早々から祝っていてまったくかまわなかったのだ。

 『ラ・スムーズ』と耳で聞いても、なんのことだかよくわからない。これは当時も現代も同じだろう。創刊号の表紙を見て驚かされるのは、タイトルもフランス語、巻号表記もフランス語、日本語で書いてあるのは納本と発行の日付のみという徹底ぶりである。これはいきなり敷居が高い。雑誌名はLa Semeuse とつづられている。日本語にすれば「種蒔く女」、そのとおりタイトルの下には種を蒔く女性が描かれている。

 「種蒔く女」とは、当時のフランスに関わる人々にはなじみの女性像だった。19世紀末から50サンチーム、1フラン、2フラン銀貨の表面に彫られ、20世紀初頭からは普通切手の図柄にもなっていた。戦後の1959年からユーロ導入までフラン貨にふたたび姿を見せていたので、どこか見覚えのある方も多いだろう。もともとは貨幣の原型彫刻師オスカル・ロティが1880年代に農業省の記念メダルのためにデザインしたもので、種を蒔いているのはそのためである。このメダルの計画自体はお蔵入りになったが、約10年後に新貨幣の計画が金融省で持ち上がったとき、ロティは「種蒔く女」を引っ張り出し、見事に採用された。貨幣ではわかりにくいが、切手では革命の象徴フリジア帽を被っているのがはっきり見てとれる。共和制を擬人化したマリアンヌとの融合である。『ラ・スムーズ』の表紙画のポーズは貨幣・切手と同じだが、髪型だけは異なり、ヴェールを被っているように見える。描いたのは中川紀元(1892 - 1972)、大正8年(1919年)から2年間フランスに滞在し、マティスに師事した洋画家である。

 『ラ・スムーズ』 と同じく大正14年1月号を創刊号とする雑誌に、大日本雄弁会講談社(現・講談社)の『キング』がある。バラの花を手にした肌も露な女性が表紙、500ページにも及ぼうという厚さ、さらに「4大付録」が付いて価格は50銭だった。各書店に幟を立てさせたという未曾有の宣伝活動もあって、創刊号はたちまち50万部を売り上げた。それに対して『ラ・スムーズ』は、女性のイラストを表紙に据えたところまでは同じだが、あまりにささやかな印象を与えたに違いない。付録もなく、総ページ数は70、それでいて値段は『キング』と同じ50銭であった。

 それにしてもなぜ「種蒔く女」なのか。これに答えるように、4月号から表紙に「Il ne faut pas laisser de semer, par crainte des pigeons.」の一文が加わった。さらに5月号の読者質問欄「問と答と」にはこんな問答がある。

 「【問】四月号から表紙に刷り出された題辞は、何さま素晴らしいものだと直感しますがこの直感に基礎を与へるだけの説明を要求します。―きかぬ気の男」「【答】あれは編集の方の拵へ物ではなくて、仏蘭西本国の諺であることを先づ御断りしておきます。[…]文字通りの意味は、『鳩が来てつつく惧れがあるからと云つて、種蒔きを放つて置くわけに行かぬ』といふ事になります。そこでなほ砕いた意味を申せば、Il ne faut pas se laisser arrêter par les risques dans une entreprise nécessaire. 即ち『やらねばならぬ事だもの、危険な事があつたつて、見すみす中途でやめられるものか』といつた事になります。『ラ・スムーズ』は一切を賭して種蒔きを始めました。しなければならない事に手を着けました。世間の評価がよし何うであらうと、信ずる所をやつて行けばそれでよいのです…なんかと、威勢のいい事を申してよいでせうか」。

 やらねばならぬ事だもの、と呟きながら飽かず種を蒔く。これが『ラ・スムーズ』の心意気であった。

 雑誌の運命はわからない。娯楽界に君臨し、最盛期には100万部を越えた『キング』も、戦時中『富士』に改名した時期を挟んで1957年に廃刊されてしまう。30余年の生涯である。それを横目に「種蒔く女」は、ぐっと分かりやすい平仮名の『ふらんす』に名を代えて、今年90歳を迎えた。世に稀な長寿である。これから1年間、彼女の人生を時代とともに振り返っていくことにしよう。

◇初出=『ふらんす』2015年4月号

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著者略歴

  1. 倉方健作(くらかた・けんさく)

    東京理科大学他講師。19世紀仏文学。著書『カリカチュアでよむ19世紀末フランス人物事典』(共著)

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