第9回 1949年7月号
1949年7月号
戦後の学制改革により、日本全国で新制大学が続々と発足した。その多くで第二外国語が選択必修科目となり、フランス語の学習者は激増する。雑誌『ふらんす』には大きな追い風である。
フランス語学習のにわかな活況を背景として、ついに1949年4月には『ふらんす』に初めてのライバル誌があらわれた。第三書房の『月刊フランス語教室』である。判型は同じ、創刊時の定価は50円と10円高かったが、『ふらんす』が同年10月に値上げしたためすぐに横並びとなった。実のところ執筆陣もだいぶ重なっていたのだが、編集方針には違いが見られる。「従来のこの種雑誌の型を脱し、「講座式月刊雑誌」と云ふべき編集方法」(創刊号「編輯後記」)を採用した同誌は、1年の前期を初級、後期を中・上級としてそれぞれ半年で修了する形式とした。学年度と寄り添っている点も好まれたのか、「慶應大学では本誌を創刊号から取り揃へて副読本に採用されました」(1949年9月号「編集後記」)とあるように、教育現場でも一定の支持があったようだ(1951年休刊)。
一方で『ふらんす』は、ライバル誌を意識したうえでのことか、徐々に語学雑誌ではない方向に進んでいった。もちろん訳註や、和文仏訳・仏文和訳の懸賞問題、また語学的エッセーなどは常に誌上にありつづけたが、それらと並行して、フランス文化への「扉」としての役割を充実させた。とりわけ1949年7月号から巻末に原書カタログが付いたことは特筆される。「数年来途絶していたフランスの原書の輸入が再開され、自由に予約注文が出来るようになりました。」「第一回目に到着した大小新旧併せて八十余の出版社中代表的なものより文芸書と語学関係書三百余点を抜粋し別紙カタログNo.1を作りました」(同号編輯後記)。こうして読者は、誌上から簡単に原書が注文できるようになったのである。
カタログには定価がフランで記載されていた。「フランの概算は現在、1フランが4/3円くらいです。したがつて売価は定価×4/3+諸経費になります」「各冊の定価1フラン1円の割合で予約金を預り、入荷後清算の上差額を頂きます。入荷するのは注文後3〜4ヶ月の予定です」。だがこれでは「諸経費」がどのくらいになるのかわからない。そのためか1950年11月号からは説明が変更された。「1フラン価は現在10/9円で、売価は諸経費を含めて1フラン=1円30銭前後になります」。これなら安心して注文することができるだろう。また入荷にかかる時間も、1950年3月号から「4〜6ヶ月」、10月号からは「4〜5ヶ月」と微修正が続けられている。一日千秋の思いで原書を待つ読者の問い合わせが多かったのではないだろうか。1949年7月のカタログには、辞書や古典に混じってサルトル『シチュアシオンI』やボーヴォワール『両義性のモラルについて』(ともに原書1947年)といった書名も見られる。戦後に隆盛を極めるフランス文化の流入に『ふらんす』が果たした役割は、もっと注目されてもいい。
味わい深いエッセーも『ふらんす』の魅力を高めた。1949年4月号からは、戦前に長きにわたって読売新聞パリ支局長をつとめた松尾邦之助(1899-1975)の、11月号からは仏文界の先達・内藤濯(あろう)(1883-1977)の連載が始まった。初学者に語りかける対談形式の内藤の文章は、いま読んでも面白く、興味深い。
だが内藤は、自らの旧制高校時代を引き合いに、戦後の学習者への苦言も忘れない。「フランス語が一週に十四時間もあつた時分のことで、そのうち二三時間は動詞の変化にあてられる。八十近くの基準になる動詞を一処に三つずつ、ピンからキリまで黒板に書かされたり宙に言わされたりするのですから、覚えるも覚えないもありはしません。[…]私たちの時とちがつて、このごろは変化した形からもとの形が引けるように辞書の方が気を利かしているので、学習者の方は悪くいえば図に乗つて、私たちのやつた事をやらずに済ます傾きがあるようですが、これでは土台のぐらついた家も同じで、到底永持ちはしないと思いますね」(1950年9月号)。現代にも通じる言葉である。普段から「気の利いた辞書」に頼り切り、いざというときにacquérirやvaincreの活用にあたふたしてしまう。そんな身としては、実に耳が痛い。
◇初出=『ふらんす』2015年12月号