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倉方健作「ふらんす90年」

第6回 1941年7月号


1941年7月号

 1940年5月10日、ドイツ軍はアルデンヌの森林地帯を抜けてフランスに侵攻した。予期せぬ攻撃にフランス軍は総崩れとなり、6月22日には「休戦協定」という名の全面降伏を受け入れる。1870年から続いていた第三共和政は廃止され、ペタン元帥を首席とする「ヴィシー政府」がドイツの監視下で誕生した。つるべ落としのようなフランスの落日に『ふらんす』は無言を貫いた。7月1日発行の7月号、あるいは翌8月号に経緯の説明があってもいいはずだが、関連記事は一切ない。わずかに7月号の編集後記にこう書かれているのみである。「『三色旗の由来』は本号で完結。かういふ時節にフランスの旗色が何を意味するかを知つておくことも無意義ではなからう」。

 「三色旗の由来」とは、6月号から2回にわたり連載された註釈付きのテクストである。自由・平等・友愛をうたう共和国フランスの崩壊に事寄せた編集部の確固たる意志表明、と思いたいが、実のところそうでもなさそうだ。フランス人も予期しなかった侵攻を『ふらんす』誌が予見していたはずもない。たまたま掲載された記事に事後的にコメントを絡めたに過ぎない。そもそもこの「三色旗の由来」自体、政治的・時事的な意義を持った記事ではない。もともとは1938年7月にカトリック系の新聞『十字架(クロワ)』La Croixに掲載されたコラムであり、それゆえ「三色旗」の歴史的解釈はかなり独特である。青は聖(サン)マルタンのマント、赤は聖(サン)ドゥニの僧院の旗、そして白は聖(サン)ジョルジュにちなみ、この3色を1449年にシャルル7世が組み合わせたのが旗の起源というのだ。カトリック紙の立場は、国旗が共和政の理念から生まれたなどとは頑として認めないのである。

 フランスの運命に口をつぐんだ『ふらんす』だが、その年末、1940年12月号の「編集後記」はいつになく感情的である。「皇紀二千六百年の多事の一年、われわれは平時の幾年分かの急激な社会的変転を見たが、この波乱の中に少しの動揺も無く本誌が坦々たる歩みをつづけて来たことを思ふと、本誌読者層の知的確固さと共に、言ひ古されたことばながら、事新たにフランス文化の底力を痛感せざるを得ない。」「読者よ、益々加餐せられよ、そして本誌を鞭(むちう)ち、本誌を育て、本誌を踏み台にして、連綿たるゴール文明の精華を我等の飛躍の糧として更に活発に吸収されんことを!」(1940年12月号)。声が裏返るような起伏の激しさに、編集部のやるかたない気持ちがあらわれている。

 この時期の誌面は一時の戦時色が薄まっているようにも見える。これは逆に、もはや煽らずとも社会の緊張感が高まっていたためだろう。1941年1月号の編集後記にはこうある。「皇紀二千六百一年、門松も年賀状も差控へねばならぬとかいふ年ではあるが、とにかく斯うして維(こ)の年もまた光輝ある御代の恩沢に浴しつつ、斯くも立派な記事を盛り上げた本誌第十七巻の新年号を恙なく世に送り得ることは、編集者として寔(まこと)に慶祝の念を禁じ得ないしだいである」。少なくとも外見上は、寄稿者たちも淡々と体制に従っている。たとえば市原豊太(1902-90)の文章は次のように始まる。「歳が更まり新体制第二年です。翼賛の道を元気で行きませう。併(しか)し勉強の方法には別に変りはないと信じます。相変らず字引を忠実に引いてコツコツ行くより他ありません」。

 「編集後記」での例外的な感情の爆発を除けば、忍従とも諦念とも取れるような、奇妙な静けさが雑誌を覆っている。その理由の一つには、やはり肩身の狭さがあっただろう。いまやフランスはまぎれもない「敗戦国」であった。1940年に刊行されたアンドレ・モロワの評論『フランス敗れたり』(高野彌一郎訳、大観堂)は二百版に達する大ベストセラーとなっており、フランスはもはや反面教師とでも呼ぶべき存在になり果てていた。国名と同じタイトルを掲げた雑誌であるがゆえに、「敗戦国フランス」「フランス敗れたり」といった言葉は『ふらんす』編集部と執筆者、さらには読者の胸をも深くえぐったに違いない。

 フランスに関わる人々が胸を張る機会は多くなかったが、1941年8月号から訳註「ペタン元帥の言葉」の連載が始まると、「編集後記」は滔々とその意義を語っている。「『ペタン元帥の言葉』は敗戦国フランスが今やその根強き文化の伝統のうへに新しき建設へと前進する雄叫びとも聞ゆる切々の言葉である。号を追うてますます読者の関心は高まつて来たので続稿を休みなく掲載してゆくつもりである。御期待を乞ふ」(1941年10月号編集後記)。「敗戦国」の文化を紹介する大義名分には違いないが、このような宣伝文句を書くことになろうとは、編集部にも忸怩たる思いがあったのではないか。

 この年、1941年の『ふらんす』の表紙は奇妙なほどに見づらい。赤で刷られたフランスの名所の上に細い縞が重ねられている。この斜線はなんだろうか。雨だろうか。それとも檻だろうか。

◇初出=『ふらんす』2015年9月号

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著者略歴

  1. 倉方健作(くらかた・けんさく)

    東京理科大学他講師。19世紀仏文学。著書『カリカチュアでよむ19世紀末フランス人物事典』(共著)

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